障害競走の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:29 UTC 版)
障害競走の起源には狩猟の文化が強く影響しており、初期の競走には馬に乗って猟犬を追いかけるものもあった。最初の障害競走は1752年にアイルランドにおいてコーネリアス・オーカラガンとエドマンド・ブレークとの間で行われた、バターバント教会からセントレジャー教会の尖塔(Steeple)を目指してのマッチレースであるとされる。初期の障害競走は競馬場で行われるものではなく、クロスカントリーの形式で行われ、障害もレースのために用意されたものでなく、牧場の囲いや小川、天然の生垣などを飛越していた。発馬地点や走路に明確な規定はなく、通過すべき障害の地点に係員が立ち、旗を振って誘導を行った。 当時の障害競走は未整備の原野で行われたため騎手、馬ともに大変危険を伴ったため、良馬を潰してしまうという批判が根強かったが、イギリス及びアイルランドで民衆の熱狂的な支持を集めた。しかし、平地競走におけるジョッキークラブのような統括組織が存在しなかったため、施行規則が整備されず不正も横行した。 しかし19世紀に入ると競馬場や人工の固定障害などが用意されはじめ、1821年には初のハードル競走がイギリスのブリストル近郊のダータムダウンで開催、1830年代よりチェルトナム競馬場、そしてエイントリー競馬場が障害競走の中心地として認められるようになり、1836年にはエイントリー競馬場でグランドナショナルが創設される。1863年にイギリスの障害競走の全国統一機関であるNational Hunt Committeeが誕生し、1870年ごろまでに施行規則を整備した(1969年にジョッキークラブの傘下として統合される)。
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