夏のリゾート、ブライトン競馬場とルイス競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:31 UTC 版)
「ジョージ4世と競馬」の記事における「夏のリゾート、ブライトン競馬場とルイス競馬場」の解説
ジョージがブライトン競馬場近くに建築した離宮ロイヤル・パビリオン。 アスコット競馬場のほか、サセックス州のルイス競馬場やブライトン競馬場もジョージのお気に入りだったと伝えられている。どちらもドーバー海峡に面する夏のリゾート地にあり、特にブライトンはイギリスのリゾート地として有名である。ここでは7月末から8月初旬にかけて競馬開催があり、貴族たちはビーチでのヨット遊びと競馬を楽しむ。ジョージはここに瀟洒な離宮を造営した。(この建設費によって借金が膨れ上がり、父ジョージ3世の精神病を悪化させた原因になったとも伝えられている。)ブライトンのビーチから海を挟んで対岸にはフランスがあり、多くのフランス貴族たちもここへやってきて、イギリスの貴族たちと交流した。ブライトンでのジョージはいつもフランス人の取り巻きをしたがえていたという。 ブライトン競馬場はカンバーランド公によって1783年に設置された競馬場で、ジョージは翌1784年からブライトン競馬場を訪れるようになった。現地の伝承では、ジョージは仲間の貴族たちと競馬場のまわりを馬に乗って走りまわり、ヒツジの牧柵を飛び越えて回った。これがハードル競馬(障害競走)の起源になったという。 ブライトン競馬場は19世紀の初め頃に不振に陥り、しばしば開催できなくなった。摂政時代のジョージは競馬場に100ギニー相当の金杯を下賜し、これを賞品とするレース(ブライトン金杯)を企画して競馬場を再興した。 ジョージはルイス競馬場に自分専用の厩舎を構えていた。サセックス州での夏競馬は、ブライトン競馬場のあとルイス競馬場へ移動する。特に1806年のルイス競馬場では、ジョージが大勝負をしたことでよく知られている。当時、代表的な名馬サンチョ(Sancho)号という競走馬がいた。1804年にセントレジャーステークスに勝ち、1805年にはブライトン競馬場で3代エグルモント伯爵(George Wyndham, 3rd Earl of Egremont)と1000ギニーを賭けた一騎打ちに勝ち、さらにルイス競馬場でダーリントン伯爵(William Vane, 1st Duke of Cleveland)と3000ギニーを賭けた勝負にも勝った。翌年、ジョージはこのサンチョ号に1000ギニーを賭けた勝負を挑んだ。どちらも同じハンデで、勝負は4マイル(約6.4キロメートル)で行われ、ジョージの馬が勝った。
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