ダイヤモンドフェリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/02 06:18 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒870-0003 大分県大分市生石5丁目3番1号 |
設立 | 1968年5月20日 |
業種 | 海運業 |
事業内容 | 一般旅客定期航路事業、海上運送及び取扱業、船舶貸渡業、陸上運送及び取扱業など |
代表者 | 興村明仁(代表取締役社長) |
資本金 | 10億円(2008年3月31日現在) |
売上高 | 114億3483万6910円(2008年12月期) |
営業利益 | △10億1279万6873円(2008年12月期) |
純利益 | 1億2981万0465円(2008年3月期) |
純資産 | 30億6135万5635円(2008年3月31日現在) |
総資産 | 188億8432万9552円(2008年3月31日現在) |
従業員数 | 284名 |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 | フェリーさんふらわあ |
主要子会社 |
ダイヤモンドライン さんふらわあトラベル ダイヤモンドウイング 西日本フェリーマネージメント |
外部リンク | https://www.ferry-sunflower.co.jp/ |
特記事項:神戸本部:〒658-0031 兵庫県神戸市東灘区向洋町東3丁目21番地(ダイヤモンドフェリービル4階) |
阪神地区から大分・志布志(鹿児島県)へのフェリーを運航していた。商船三井系列となった後、2009年9月に完全子会社となった。さらに同年10月、営業部門を同じ商船三井系列の関西汽船とともにフェリーさんふらわあへ移管したのち、2011年10月1日に関西汽船とともにフェリーさんふらわあに合併した。
沿革
- 1968年(昭和43年)5月20日:阪神地区の内航船会社や寄港地となる大分と愛媛の企業代表者10名を発起人として九四阪神フェリー株式会社を設立する[1]。
- 1969年(昭和44年)5月27日: 株式会社ダイヤモンドフェリーに社名変更する。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)1月: 来島どっくが出資し傘下におさめる[1]。
- 1973年(昭和48年)5月:愛媛阪神フェリーより「おくどうご」を用船、(後に購入)神戸 - 松山 - 大分航路に就航する。
- 1976年(昭和51年)2月:愛媛阪神フェリーより「おくどうご2」を用船、(後に購入) 神戸 - 松山 - 大分航路に就航する。「フェリールビー」は係船。
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)12月:来島どっくより「おくどうご6」「おくどうご8」を用船、 神戸 - 松山 - 大分航路に就航。神戸 - 松山間の一般旅客輸送を開始し、すべての区間で一般徒歩客の乗船が可能になる[1]。
- 1986年(昭和61年)
- 1990年(平成2年)7月
- 1991年(平成 3年)2月: 神戸 - 松山 - 大分航路に「スターダイヤモンド」が就航する[1]。「おくどうご8」は用船解除。
- 1993年(平成 5年)4月:神戸市六甲アイランドに4階建ての本部ビル「ダイヤモンドフェリービル」(現・フェリーさんふらわあビル)が完成[2]。
- 1995年(平成 7年)7月: 郡中(愛媛県伊予市) - 大分航路に高速船「スピーダー」が就航する。
- 「海の新幹線」と称し両港間を1時間45分で結んだが、利用客は低迷し、年間の赤字が2億円にものぼったという。
- 1997年(平成 9年): 郡中 - 大分航路(高速船)が別府寄港を開始する。
- 1998年(平成10年)
- 2000年(平成12年) 7月: 愛媛阪神フェリーの航路事業廃止に伴い、同社の航路を承継する。
- 2001年(平成13年)10月: 「スターダイヤモンド」に機関故障が発生し長期間運休する。代替として2001年9月に航路廃止され係船中だった「さんふらわあ くろしお」を用船するが、大分港に接岸できないことから同年12月中旬まで神戸 - 別府直行便として運航する。
- 2003年(平成15年)4月1日: 同じ商船三井グループの関西汽船と業務提携し、上りの第3便(「さんふらわあ こがね」「さんふらわあ にしき」)において大分 - 神戸間で共同運航を開始する。「クイーンダイヤモンド」が引退し3隻体制となる。瀬戸内海昼行便が就航する[1]。
- 2005年(平成17年)
- 4月1日: 関西汽船と「フェリーさんふらわあ共同営業センター」を設立し、共通の窓口営業を開始する。これに伴い、各種割引の相互利用が可能になる。
- 10月1日: 中九州航路に、燃料油価格変動調整制度を設定する。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 1月16日: 「さんふらわあ ぱーる」「さんふらわあ ごーるど」が中九州航路の直行便に就航する[1]。また、寄港便は関西汽船運航便と統合し上下1便ずつに集約のうえ昼行便を廃止、合計6隻に減船し「スターダイヤモンド」が引退する。
- 2月7日: 「さんふらわあ こがね」がダイヤモンドフェリー運航船として就航し、ファンネルマークがダイヤモンドフェリーの「Dマーク」に変更される。また、この日の大分発寄港便をもって「ブルーダイヤモンド」が引退する[1]。
- 3月1日: 志布志港から鹿児島市内への徒歩乗船客向けに、志布志港 - 鹿児島市内にシャトルバスの運行を開始する。
- 3月: 関西汽船との共通会員組織「瀬戸内海倶楽部」を解消し、新たにダイヤモンドフェリー独自の会員組織として「ダイヤモンドフェリー瀬戸内海倶楽部」を発足する。
- 4月1日: 南九州航路のダイヤ改定を実施し、各港の出港時刻の繰り上げと入港時刻の繰り下げが行われる。
- 4月21日: 関西汽船とともに中九州航路のダイヤ改定を実施し、ほとんどの便で出航時間の10分繰り上げもしくは入港時間の10分繰り下げが行われる。
- 7月8日: 中九州航路の大阪南港での発着埠頭を、南港フェリーターミナルから南港コスモフェリーターミナルに変更する。
- 2009年(平成21年)
- 6月1日: 今治港への寄航を廃止する[1]。また、寄航便の六甲への寄航を廃止したほか、大阪南港の到着埠頭を南港コスモフェリーターミナルから南港フェリーターミナルに変更する。
- 10月23日: 同じ商船三井完全子会社の関西汽船株式会社とともに株式移転を実施し、運航会社の親会社となる株式会社フェリーさんふらわあを設立する。これにより同社の完全子会社になるとともに営業部門を業務委託する。
- 2010年(平成22年) 2月1日: 関西汽船と共同運航の寄港便を廃止する[1]。
- 2011年(平成23年)10月1日: 関西汽船とともにフェリーさんふらわあに合併し解散する[1]。
航路
- ※会社合併時点(2011年9月30日)の状況を記述する。
中九州航路
南九州航路(旧・ブルーハイウェイライン西日本)
- 過去の航路
- 神戸港 - 松山港 - 大分港(1970年 - 1997年)
- 郡中港 - 大分港(1995年 - 1997年 高速船航路)
- 郡中港 - 別府港 - 大分港(1997年 - 1998年 高速船航路)
- 神戸港 - 今治港 - 松山港 - 大分港(1998年 - 2008年)
- 大阪南港 - 神戸港 - 今治港 - 松山港 - 大分港(2008年 - 2010年 関西汽船との共同運航)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p さんふらわあ今昔物語Vol.8 神戸航路、もうひとつの瀬戸内海昼行便 - カジュアルクルーズさんふらわあ
- ^ ダイヤモンドフェリー 神戸本部をフェリー乗り場後背地に移転 - 海上定期便ガイド'94(内航ジャーナル)
- ^ http://www.seaferry.co.kr/ Sea World Express Ferryのホームページ
- ^ JAF会員向けには、このほか毎年春・秋・冬にJAFメイトプランと呼ばれる特別割引を実施している。通常は5月上旬 - 7月上旬、10月上旬 - 12月中旬・1月中旬 - 3月末に設定されることが多い。
- 1 ダイヤモンドフェリーとは
- 2 ダイヤモンドフェリーの概要
- 3 船舶
- 4 各種割引制度
- 5 脚注
固有名詞の分類
- ダイヤモンドフェリーのページへのリンク