T攻撃部隊とは? わかりやすく解説

第七六二海軍航空隊

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 04:46 UTC 版)

第七六二海軍航空隊だい762かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン台湾沖縄防衛の主力爆撃隊として、第二次世界大戦大東亜戦争)終盤に哨戒・爆撃・雷撃に従事した。通称は「輝」部隊。「T攻撃部隊」としても運用された。


  1. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで295頁
  2. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで307-309頁
  3. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 290頁
  4. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで309-310頁、戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 292頁
  5. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで209-210頁
  6. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで312頁、戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期294頁
  7. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 p297
  8. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで316頁
  9. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで320頁
  10. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期295頁
  11. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで321頁
  12. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 440-441頁
  13. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 541-544頁
  14. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期545-547頁
  15. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで620頁
  16. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期449頁、文藝春秋編『完本・太平洋戦争〈下〉』62頁
  17. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで712頁


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T攻撃部隊

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第七六二海軍航空隊」の記事における「T攻撃部隊」の解説

1943年昭和18年中期から第一航空艦隊再建基地航空隊充実化を目指して、多数海軍航空隊編成された。七六二空そのひとつで、1944年2月15日原隊新竹航空基地として開隊。第一航空艦隊62航空戦隊に編入された。 2月19日761空雷撃教育受けていた陸軍飛行第九戦隊編入され雷撃教育継続した戦局の悪化に伴い5月5日付で連合艦隊附属引き抜かれあ号作戦には投入せずに訓練重ねた1944年6月15日第二航空艦隊編制に伴い721空編入あ号作戦失敗受けてフィリピン戦線投入すべく再編し7月10日付で第五二二海軍航空隊第五二四海軍航空隊第五四一海軍航空隊七六二空一本化した。 しかし、旧五二二・五二四・五四一空は、新機種の銀河および彗星主力したため器材調達の遅れと搭乗員養成の遅れが目立ち実用化大幅に遅れていた。 また、陸軍航空隊から飛行第七戦隊飛行第九戦隊762空作戦指揮下に編入されていた。 あ号作戦以降日米航空戦力はますます懸隔して、日本アメリカ対抗するためには敵の意表を突く何らかの方策による活路求められた。日本の航空機アメリカ空母群に到達する前に電探レーダー)により探知され、 その情報戦闘指揮所Combat Information Center)に伝わり、そこからの無線電話により誘導され戦闘機捕捉されており、それを突破して空母群に到達してVT信管装備した高角砲弾による重厚な対空砲火受けていた。 また、日本航空機生産力搭乗員練度から戦闘機隊の増強実効性自信欠いており、そこで想定作戦場面日本本土台湾比島南西諸島)が台風常襲経路あり、 か予期される進攻時期過去統計から10日から週1度頻度台風発生する来襲期であることから機会到来は高確度であること、台風による悪天候海面荒れるため、敵戦闘機出撃対空砲火制約阻害でき、 意表を突くことができることから軍令部作戦航空部源田実中佐によってT攻撃部隊が提案された。「T」とはTyphoon(台風)の頭文字とも言われるが、編成当たった軍令部参謀鈴木栄二によれば部隊主攻撃魚雷であることからTorpedo(魚雷)の頭文字であるという。捷号作戦において第二航空艦隊指揮下にT攻撃部隊も加わり第六基地航空部隊戦策では夜間不良天候乗じる攻撃はT攻撃部隊が基幹となり、対機部隊戦法中核として期待された。。 軍令部方針として源田意見採用され攻撃は敵の活動不十分な夜間荒天により発着困難な昼間の2つ決まり1.熟練搭乗員基幹として優秀な若年搭乗員加え編成すること、 2.新機材、新兵器優先させること、 3.特殊気象観測陣を編成すること、 4.戦時編成上、各航空艦隊編入し作戦実施において航空出身若手指揮官統一指揮させることとした。 1944年7月23日図上演習軍令部からT攻撃部隊案が明らかにされた。台風利用した攻撃本旨とし、機会なければ夜間攻撃を行うこと。部隊目標戦果エセックス級空母10撃沈破。編成飛行機隊の他、専属気象班を設けること。 8月末までに使用可能なように練成を行うこと。紫電戦闘機電話計画して進めること。実施のためには通信施設強化必要なため、中央、各航空艦隊、各基地間に有線通信設置するとともに各部隊通信確保手段講じること。 気象班には気象観測船無人観測船、雷電測定器配備する魚雷頭部(V頭部)、ロケット爆弾(T金物)といった新兵器利用すること。索敵面から電波探信儀レーダー)は必要不可欠搭載兵器であり、改良して重視すること。 決戦前に適用考慮し存在期間は実績によるとした。 一方で、同図上演習第二航空艦隊からは、昼間攻撃薄暮攻撃、T攻撃部隊による夜間攻撃三者攻撃部署として各種組み合わせによって第1から第4まで定め状況に応じてそのいづれか適用する戦法示した。 これは後日第六基地航空部隊規定した戦策に発展したのである。この2航艦が示した作戦実施過程は、索敵結果以外、作戦指導戦果報告損害など台湾沖航空戦類似した内容であった1944年8月21日連合艦隊長官豊田副武大将は「T攻撃部隊編成並びに作戦要領」を下達し、第二航空艦隊専属T部隊指導部発足指揮官久野修三(762空司令)、航空参謀田中正臣、通信参謀池澤正己、整備参謀小長谷睦治気象班長坂東正明9月1日付で762空付兼2航艦参謀として任命された。T攻撃部隊用の台風に関する教育映画PCL映画会社委託され軍令部三部今井信少佐協力作成された。軍令部土肥一夫参謀によれば台風気圧の関係、気圧機内高度計の関係など搭乗員必要な能力開発主眼にしており、ある程度役割果たしたという。 1944年9月1日におけるT攻撃部隊予定戦力は、偵察第11飛行隊偵察第301飛行隊戦闘701飛行隊以外は概ね計画実働兵力充足していた。3隊の支障彩雲瑞雲紫電遅延原因であった1944年9月上旬総合教練が行われ、9月8日視察した源田部員は「夜間攻撃はなお演練余地が大であるが、風速17m(730mm)の荒天突破の域に達するのは容易」、総合評価は「ギルバート作戦における第24航空戦隊(当時二流見られていた部隊程度」とした。。報告以下の通り最大欠陥電探関係、真空管不足と技量未熟原因攻撃計画は、現参兵力130機(戦闘機を除く)、54機が偵察触接80機が攻撃偵察機戦訓から多い。攻撃順序は、薄暮銀河隊が攻撃続いて夜間陸攻攻撃。1攻撃隊を24とすれば4-8触接し、16程度攻撃する無線空中で過集中だが、被害考えれば整理される。通信良好だが、電信員の素質低下のため、各基地通信欠陥がある。照明兵器良否に不安がありさらに研究が必要。航空魚雷改七の荒天使用適否研究が必要。 しかし、第2航空艦隊司令長官福留繁中将はT攻撃成立疑問視しており、T攻撃部隊は決戦一撃夜間攻撃使用し悪天候下に乗じるのは最後の切り札として決行する表明した連合艦隊司令長官豊田副武部隊用法については第二航空艦隊司令長官福留一任し不能の時は無理をすることはないと話した。。 T攻撃部隊は戦時編制上では別々の部隊所属し連合艦隊長官兵力部署により762空司令久野三大佐の指揮を受けることになっていたが、軍令部訓練見て戦時編制も一つにするのが適当と判断し1944年10月10日偵察第11飛行隊戦闘303飛行隊戦闘701飛行隊攻撃262飛行隊攻撃703飛行隊原隊から762空編入した。偵察第301飛行隊横空から801空移り連合艦隊長官の編力部署で久野指揮を受けることになった762空でT攻撃部隊に属さなかった攻撃第3飛行隊攻撃405飛行隊攻撃406飛行隊第七六三海軍航空隊として新編することになった762空構成は以下のようになった偵察隊偵察第11飛行隊彩雲主体戦闘隊…戦闘701飛行隊紫電主体)、戦闘303飛行隊 艦上爆撃/攻撃機隊…攻撃161飛行隊彗星主体)・攻撃262飛行隊天山主体陸上爆撃/攻撃機隊…第708飛行隊攻撃703飛行隊いずれも一式陸上攻撃機主体)・攻撃第501飛行隊銀河主体)、陸軍飛行第七戦隊陸軍飛行第九戦隊(ともに四式重爆撃機飛龍主体762空以外のT部隊戦力801空偵察第301飛行隊瑞雲主体)) 詳細は「丹作戦」を参照 1944年10月3日前後決行予定した丹作戦」のため、T攻撃部隊で比較練度高かった攻撃第501飛行隊銀河36機)、偵察第11飛行隊彩雲6機)が一時的に第三航空艦隊第752海軍航空隊編入される源田実参謀連合艦隊指導した作戦であり、部隊練度低さから暗夜攻撃不可能なため、満月に近い黎明攻撃するように工夫されマーシャル泊地寄港した機動部隊奇襲攻撃決行する予定であった。 しかし、作戦補給資材輸送する潜水艦消息不明となり、機動部隊マーシャル帰投せず、サイパン帰投したため、「丹作戦準ずる作戦」と改めサイパン帰投した機動部隊目標にした。10月4日偵察を行うも発見せず機動部隊は西に出動してしまい、作戦次の月明期まで延期となるが、台湾沖航空戦比島沖海戦によって丹作戦兵力であるT攻撃部隊を消耗して実現しなかった。 詳細は「台湾沖航空戦」を参照 第2航空艦隊司令長官福留繁中将は、1944年10月10日那覇空襲受けてT部隊夜間攻撃命令する断念11日早朝索敵行い正午機動部隊発見する18時30分12日作戦要領発令した。T攻撃部隊には「別令に依り黎明以後沖縄方面進出し台湾東方海面の敵に対し薄暮攻撃及び夜間攻撃を行う」と意図明らかにした。11日沖縄小禄飛行場全力進出命令。攻262・九八戦隊のみ進出12日小禄進出撤回鹿屋宮崎出水より直接攻撃変更し台湾沖航空戦緒戦T部隊投入した17時30分、本土発の陸攻銀河68機、薄暮攻撃終了後台湾退避43喪失19時、小禄発の攻262・九八戦隊44機、夜間攻撃25喪失10月13日台湾より第二次攻撃28機。18喪失10月14日本土台湾より総攻撃47機。27喪失16日25機を出撃させたが、会敵ならず引き返した。同航空戦では他部隊と共に大戦果を報告したが、18日第九〇一海軍航空隊偵察機敵機部隊再発見し、後に戦果誤認発覚する台湾沖航空戦でT攻撃部隊は、暗夜攻撃となり、ほとんどの電探故障し照明隊は吊光投弾使用困難からほぼ実施せず、たいてい触接機はなく夜間索敵となったため、攻撃避退戦果確認至難となった。この航空戦捷号作戦期待されたT攻撃部隊のほとんどを消耗してしまった。それでも搭乗員80組が残っており、ただちに再編着手するが、早くて10月末まで回復見込みがなく、捷号作戦レイテ沖海戦で、第六基地航空部隊精鋭のT攻撃部隊の活躍期待できず、練度の低い混成実働300機に及ばない航空兵力を主力として臨まなければならなくなったレイテ沖海戦備え台湾第二航空艦隊ルソン島進出したこの際残存T部隊含め進出下令された。二航艦はT部隊100機の進出が可能と見積もったが、壊滅したT部隊にはその余力はなかった。再建作業追われT部隊10月24・25日の航空総攻撃には参加できなかった。11月1日には二航艦から連合艦隊転籍し本格的再編作業着手することとなった11月19日マニラ湾敵船団を目標台湾からの渡洋雷撃に14機を派遣し10機を喪失し戦果ゼロ終わった11月24日宮崎への撤退命じられ台湾からT部隊退いた本土帰還し以後、「T攻撃部隊」の名称はあまり使われなくなる。

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