第五二二海軍航空隊
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「第七六三海軍航空隊」の記事における「第五二二海軍航空隊」の解説
1944年(昭和19年)3月1日、豊橋飛行場を原隊として木更津飛行場で開かれた陸上爆撃機隊。田中次郎司令以下、定数96機の銀河隊とされ、「轟部隊」の符牒を持つ。9月15日の東号作戦で12機体制の哨戒を行ったのが五二二空時代唯一の作戦参加である。一本化後は攻撃第406飛行隊に再編され、8月上旬の台湾進出を目指したが、器材・人員の調達が不振で、9月11日の「ダバオ誤報事件」を受けた沖縄小禄飛行場進出命令が初出撃となった。10月上旬にようやく全機が出水飛行場に進出した。
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