兵棋演習
(図上演習 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/01 04:23 UTC 版)
兵棋演習(へいぎえんしゅう、英: War game, Military Simulation)は、状況を図上において想定した上で作戦行動を再現して行う軍事研究である。
- ^ 令和4年版防衛白書(英語版)p.401 2023年6月4日閲覧
- ^ 図上演習とは - 海上自衛隊幹部学校
- ^ a b 図上演習の意義 - 海上自衛隊幹部学校
- ^ “米国防総省、「ゾンビ」襲来の対応策を策定していた”. CNN. (2014年5月17日) 2019年7月12日閲覧。
図上演習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)
4月28日から1週間かけて戦艦大和で「連合艦隊第一段階作戦戦訓研究会」と「第二段作戦図上演習」が行われた。そのうち、5月1日から4日間が第二段作戦の図上演習で、ハワイ攻略まで行われた。実演は5月3日午後に終わり、3日夜と4日午前にその研究会を行い、4日午後からは第二期作戦に関する打ち合わせが行われた。図上演習では、連合艦隊参謀長宇垣纏中将が統監兼審判長兼青軍(日本軍)長官を務め、青軍の各部隊は該当部隊の幕僚が務め、赤軍(アメリカ軍)指揮官は松田千秋大佐(戦艦日向艦長)が務めた。 この図上演習において、ミッドウェー攻略作戦の最中に米空母部隊が出現し、艦隊戦闘が行われ、日本の空母に大被害が出て、攻略作戦続行が難しい状況となったが、審判をやり直して被害を減らし、空母を三隻残した状況で続行させた。空母加賀、赤城は爆弾9発命中判定で沈没判定となったものの、宇垣纏連合艦隊参謀長は「9発命中は多すぎる」として爆弾命中3発に修正させ、赤城を復活させたなどである。ミッドウェー島攻略は成功したが、計画期日より一週間遅れ、艦艇の燃料が足りなくなり、一部の駆逐艦は座礁した。宇垣は「連合艦隊はこうならないように作戦を指導する」と明言した。このとき、攻略前に米機動部隊がハワイから出撃してくる可能性はあったのだが、図上演習でアメリカ軍を担当した松田大佐は出撃させることはなかった。 戦訓分科研究会において、連合艦隊司令部の宇垣参謀長は一航艦の草鹿参謀長に対し、「敵に先制空襲を受けたる場合、或は陸上攻撃の際、敵海上部隊より側面をたたかれたる場合如何にする」と尋ねると、草鹿は「かかる事無き様処理する」と答えたため、宇垣が具体的にどうするのかと追及すると、第一航空艦隊(一航艦)の源田参謀が「艦攻に増槽を付したる偵察機を四五〇浬程度まで伸ばし得るもの近く二、三機配当せらるるを以て、これと巡洋艦の零式水偵を使用して側面哨戒に当らしむ。敵に先ぜられたる場合は、現に上空にある戦闘機の外全く策無し」と答えた。そのため宇垣は注意喚起を続け、作戦打ち合わせ前に第一航空艦隊は第一波攻撃隊をミッドウェー島攻撃、第二波攻撃隊は敵艦隊に備えることとした。米機動部隊が現れた際に反撃するために第一航空艦隊(艦攻)の半数は航空魚雷装備となったが、連合艦隊首席参謀黒島亀人大佐は命令として書き込む必要はないと航空参謀佐々木彰中佐に指示した。 研究会で作戦参加者から最も要望されたのが準備が間に合わないことによる作戦延期だった。第二航空戦隊司令官山口多聞少将と一航艦航空参謀源田実中佐は作戦に反対と食いついたが、連合艦隊司令部は聞く耳を持たなかった。4日の研究会で、第一航空艦隊参謀長草鹿少将と第二艦隊参謀長白石萬隆少将も作戦に反対したが、受け入れられず、5日に再び反対しに行ったが、第二段作戦を手交され、反対せずに帰った。第二艦隊長官近藤信竹中将は、米空母がほぼ無傷で残っており、ミッドウェー基地にも敵戦力があることからミッドウェー作戦を中止して、米豪遮断に集中すべきと反対した。しかし、山本長官は奇襲が成功すれば負けないと答えた。また、近藤中将は、ミッドウェー島を占領しても補給が続かないと指摘したが、宇垣参謀長は補給が不可能なら守備隊は施設を破壊して撤退すると答え、攻略後の島の確保、補給については何ら考えられていなかった。占領後、他方面で攻勢を行い、アメリカ軍にミッドウェー奪回の余裕を与えなければ10月のハワイ攻略作戦までミッドウェー島を確保できると考えていたという意見もある。 図上演習と研究会は、ミッドウェー作戦の目的である敵空母捕捉撃滅が難しく、高いリスクを伴う作戦であることを示したが、連合艦隊は問題点を確認することなく作戦を発動した。特に山本長官は「本作戦に異議のある艦長は早速退艦せよ」と強く訓示している。第五艦隊参謀長中澤佑によれば、中澤が作戦会議で機動部隊と連合艦隊主隊の距離が離れすぎていることを指摘すると、黒島は問題ないと発言したという。 5月25日、MI作戦における艦隊戦闘の図上演習・兵棋演習、続いて作戦打ち合わせを行い、関係者の思想統一を図った。しかしそれはミッドウェー攻略の次の日から始まっており、アメリカの主力および空母はハワイ諸島オアフ島の南東450海里から西方に急進中の状態から立ち上がった。ミッドウェー島攻略が奇襲によって成功することが前提で、敵機動部隊が現れることはもはや考慮されていなかったのである。連合艦隊は第一航空艦隊に対し敵艦隊に作戦中備えるように指導しながら、図上演習では攻略の翌日に敵艦隊がハワイにいるものとし、研究会では「敵艦隊が出現すれば、もうけものである」との楽観論さえ出る始末で、敵艦隊出現の可能性を薄く見ており、この空気が各部隊に伝わっていたという意見もある。打ち合わせにおいて第一航空艦隊は、部品が間に合わないので延期を要望し、連合艦隊は一日だけ一航艦の出撃延期を認め、6月4日予定の空襲は5日に変更されたが、7日の攻略は変更されなかったため、空襲前に攻略部隊船団が敵飛行哨戒圏内に入り、発見されやすくなった。しかしこれも連合艦隊はこれを敵艦隊誘出に役立つと楽観視した。 出撃前日の5月26日、赤城において作戦計画の説明と作戦打ち合わせが行われた。山口少将から索敵計画が不十分という意見があった。索敵計画を立案した第一航空艦隊航空参謀吉岡忠一少佐によれば、当時の敵情判断から索敵計画は改めなかったという。吉岡は、攻略作戦中に敵艦隊が現われるとはほとんど考えていなかったのと、索敵を厳重にするのが良いのはわかっていたが、索敵に艦上攻撃機(艦攻)を使うのは攻撃力の低下を意味するので惜しくてできなかったとして、状況判断が甘かったと回想している。 この計画での一航艦司令部の心配は、攻撃開始日が決まっているので奇襲について機転を働かせる余地がなかったことと、空母はアンテナの関係から受信能力が低いため、敵信傍受が不十分で敵情がわかりにくくなることであった。そのため、一航艦参謀長の草鹿少将は、連合艦隊司令部(主に旗艦の戦艦大和)が敵情を把握して作戦指示することを連合艦隊参謀長の宇垣参謀長に取りつけた。土井美二中佐(第八戦隊首席参謀)によれば、草鹿参謀長が「空母はマストが低くて敵信傍受が期待できない。怪しい徴候をつかんだらくれぐれも頼む」と出撃前に何度も確認していたという。
※この「図上演習」の解説は、「ミッドウェー海戦」の解説の一部です。
「図上演習」を含む「ミッドウェー海戦」の記事については、「ミッドウェー海戦」の概要を参照ください。
図上演習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/19 08:42 UTC 版)
欧州連合戦闘群は仮想国家を用いて自由投票の保護を想定した初の図上演習を実施する。
※この「図上演習」の解説は、「欧州連合戦闘群」の解説の一部です。
「図上演習」を含む「欧州連合戦闘群」の記事については、「欧州連合戦闘群」の概要を参照ください。
- 図上演習のページへのリンク