難波駅 - 橋本駅間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:20 UTC 版)
難波駅 - 岸里玉出駅間は、線路名称上は南海本線である。線路別複々線のうち、東側の複線は高野線列車専用となっており、高野線の帝塚山駅を経由する全列車が、岸里玉出駅から難波駅まで乗り入れる。運行系統上、難波駅から記することとする。 始発の難波駅は9面8線、のりばは1 - 9番線の構造を持ち、高野線の列車はこのうち1 - 4番線の東側4線を使用する。難波駅を発車するとすぐ右にカーブし、右手になんばパークス(旧大阪スタヂアム〈大阪球場〉跡地)・ヤマダ電機LABI1なんば・クボタやニコニコのりの本社社屋・南海電気鉄道本社の入る南海なんば第1ビルなどを、左手に日本橋電気街(でんでんタウン)などを見ながら、阪神高速1号環状線をくぐり、左下に今宮戎神社が近付くと、高野線の各駅停車のみが停車する島式ホームの今宮戎駅。駅下の国道25号を越え、左手に通天閣が見えると程なくJRとの接続駅であり全列車停車駅の新今宮駅に着く。新今宮駅と2駅先の天下茶屋駅の高野線上り線ホームは、ともに南海本線の下り線と島式の同一面ホームである。新今宮駅の下を通るJRの大阪環状線・関西本線(いずれも高架線)を高々架で跨ぎ、左右に釜ヶ崎あるいはあいりん地区と称されるドヤ街を、また左手遠方には高さ日本一の高層ビル・あべのハルカスを望みながら、やはり高野線の各駅停車のみが停車する島式の萩ノ茶屋駅を過ぎると、全列車停車駅である天下茶屋駅。かつてはこの駅から天王寺支線が分岐していたが、1993年に大阪市営地下鉄堺筋線(現在のOsaka Metro堺筋線)が同駅まで延長されてからは、その一部区間が代替を担っている。1980年までは南海の車両工場もあったが、同年高野線千代田に移転し、跡地には大阪フィルハーモニー交響楽団の練習場やスーパーマーケットが建っている。なお泉北高速線直通の特急「泉北ライナー」は同駅以南は高野線内の停車駅がなく、直通先の泉北線泉ケ丘駅まで停車しない。天下茶屋駅を出て程なく左にカーブして南海本線系統の線路と別れ、「汐見橋線」との接続駅である岸里玉出駅を過ぎ、同時に阪堺線を越えると上町台地にさしかかり、線路は掘割の中を右カーブしながら南進を始める。掘割を抜けて上町台地に上ると帝塚山学院帝塚山学舎の最寄り駅でホーム幅の狭い帝塚山駅。この駅を過ぎると大和川を渡るまでカーブや開かずの踏切が連続する。阪堺上町線をくぐると、高野線では唯一、通過用複線を挟む待避線に相対式ホームのある(新幹線型配線ともいう)住吉東駅。大阪内環状線(国道479号)の踏切を過ぎて沢ノ町駅、続いてあべの筋(府道大阪和泉泉南線)と斜めに平面交差して我孫子前駅を過ぎると、大和川を渡って堺市に入る。関西大学堺学舎やツツジの見所である浅香山浄水場の最寄り駅の浅香山駅を過ぎて、府道堺大和高田線の高架をくぐると、堺市役所などの最寄りで堺市の中心駅である堺東駅に着く。かつては堺東検車区などがあり運行の拠点だったが、現在は検車区は小原田検車区および同検車区千代田支区に移転し、跡地には高層マンションが建っている。堺東駅には特急泉北ライナーを除く全列車が停車し、緩急接続している。準急行はこの駅からは各駅に停車する。また泉北線直通の区間急行は直通先の泉北線深井駅まで停車しない。 堺東駅を過ぎると大きく左カーブをして南東に進路を変え、掘割区間に入って府道大阪中央環状線をくぐると、右側には仁徳天皇陵が垣間見える。すぐ下の掘割を通って交差するJR阪和線との接続駅の三国ヶ丘駅、百舌鳥八幡駅を過ぎると、大阪府立大学中百舌鳥キャンパスの最寄り駅でOsaka Metro御堂筋線、泉北高速線との接続駅である中百舌鳥駅に着く。中百舌鳥駅は区間急行以上の優等列車は通過するものの堺市北東部の中心駅であるために乗降者数はかなり多い。またこの駅から一部の列車は泉北高速線と直通運転を行っている。中百舌鳥を出ると泉北高速線は上下線に挟まれた地下トンネルに入っていき、一方の高野線は線路容量に若干余裕が出ることや、線形がやや良くなることもあって、日中時間帯を中心に優等列車はこの付近から少し速度を上げて運転することが多い。線路は住宅地の間を通りながら、程なく待避設備のある白鷺駅、続いて初芝駅に至る。緩やかに右にカーブしながら萩原天神駅を過ぎて阪和自動車道・府道泉大津美原線バイパスをくぐると一旦周囲には田園風景が見えるようになるが、すぐに近代的な住宅街や商業地などが整備された堺市東区の中心駅・北野田駅に着く。北野田駅は待避設備を持つ緩急接続駅で、特急以外の全列車が停車し、区間急行はこの駅より各駅に停車する。 北野田駅を出ると線路は西除川を渡りながら緩やかに左にカーブをしてすぐに大阪狭山市に入り、狭山駅を過ぎると、車窓右側には住宅街の向こうに日本最古の灌漑用溜池である広大な狭山池の堤防が、左手遠方にはパーフェクト リバティー教団(PL教団)の大平和祈念塔(PL塔)がそれぞれ見えるようになる。狭山駅 - 大阪狭山市駅間の築堤には煉瓦造りの暗渠が7か所あり、2020年に土木学会選奨土木遺産に認定された。右にカーブをすると、かつて南海が狭山池畔で経営していた遊園地「さやま遊園」(2000年閉園)の最寄り駅であった大阪狭山市駅に至る。周辺には大規模なニュータウンが見え始め、府道森屋狭山線の跨線橋をくぐると、全列車停車駅である2面4線の金剛駅に着く。これら大阪狭山市内の駅は毎年8月1日の教祖祭PL花火芸術の日には、周辺に眺望を妨げるものが少ないために多数の観客が訪れ激しく混雑するが、それ以外の日でも、大規模なニュータウンを周囲にもつ金剛駅は、南海電鉄全体での乗降客数の上位に入る駅となっている。 金剛駅を出ると富田林市に入り、次第に起伏の多い地形が目立ち始め、右手遠方に近畿大学医学部附属病院を望む。滝谷駅を過ぎ、河内長野市に入って千代田駅を過ぎると、南海最大の車両工場を併設する小原田検車区千代田検車支区が左右に広がり、本来高野線には入線しない空港特急「ラピート」や特急「サザン」の車両が留置されているのを時おり見かける。この千代田検車支区・高野線を大きく越える高架橋が国道170号(大阪外環状線)であり、このガードをくぐると住宅街の広がる丘陵を開削した区間となり、列車は下り勾配を駆け下りる。左後方から単線の近鉄長野線が近づいてきて並走し、国道170号の旧道と国道310号の重複区間となっている道路(東高野街道)を越えると、駅ビルのノバティながのを携える全列車停車駅の河内長野駅に着く。同駅は南海が2面4線、近鉄が頭端式1面1線の駅構造となっており、利用者数・利便性ともに南海の方が優位に立っている。またこの駅より急行は各駅に停車するため、各駅停車の多くはこの駅で折り返す。 河内長野駅を過ぎると車窓の雰囲気は一変し、新興住宅地が広がる山並みの裾を河岸段丘に沿って走る区間となり、石川やその支流の天見川が線路沿いを蛇行するように流れる。左右にカーブをするとすぐにフォレスト三日市と直結する三日市町駅に達するが、これより先は急勾配区間となり、南海本線所属列車など一部の列車は、ブレーキ性能等の関係でこの駅より先には入線できない。この駅を出て引き上げ線を上下線の間に挟みながら大きく左へカーブすると高架区間となり、新興住宅街・南海美加の台の最寄り駅で、高野線で最も新しい美加の台駅に達する。ここから先は山々がせり出し農村地帯を通る区間となり、かつて単線であった頃は山の谷間を縫うように線路が通っていたが、複線化工事の完成後は美加の台駅 - 千早口駅 - 天見駅の駅間に1本ずつトンネルが貫通している。また三日市町駅 - 美加の台駅間から並走してきた国道371号の石仏バイパスは、千早口付近(車窓左側から見上げることができる)で供用区間が途切れて、旧道とを結ぶ取付道路と交差する。天見を出た線路はなおも大小3か所のトンネルを通過した後、いよいよ紀見峠を貫く通称紀見峠トンネルに入っていく。紀見峠トンネルは上下線が離れた単線並行の2本(単線時代の紀見トンネルが上り、複線化時に新設された新紀見トンネルが下り)から成る。トンネル内に大阪府と和歌山県の府県境があり、同県橋本市に入る。 紀見峠トンネルを出ると、橋本駅手前まで約7キロにわたり急な下り勾配が続くようになる。トンネルを出るとすぐ紀見峠駅、続く大きな右カーブを通過する頃から周辺は車窓左側を中心に徐々に開けてくる。高い高架橋で国道371号橋本バイパスを越えると、南海が開発したニュータウン「南海橋本林間田園都市」の最寄り駅であり、2面3線の構造をもつ全列車停車駅の林間田園都市駅に着く。区間急行は最長でもこの駅までの運転となり、また快速急行はこの駅より各駅に停車する。続いてニュータウン内のメインストリートであるバイパス道路を跨ぎ、さらに右に国道371号橋本バイパスと並走しながら御幸辻駅に達する。やがて車窓の右側に小原田検車区の本区が見え、急勾配を下りながら一般道・京奈和自動車道・国道371号旧道の3本の高架橋をくぐる。住宅地直下の小原田トンネルを抜けると、線路は大きく左にカーブをして下り勾配が終了し、右後方から近づいてくるJR和歌山線と並走する形で、同線との乗り換え駅であり、橋本市の中心駅でもある全列車停車駅の橋本駅に到達する。橋本駅はもともと島式ホームで、複線化時に4扉大型車8両対応に延長された。4扉大型車や特急「りんかん」専用車両である11000系は、車両限界の関係でこの駅までの運転となる。また、難波駅から続く複線区間もこの駅までである。 河内長野駅 - 橋本駅間は、山間部の河岸段丘を縫うように敷設された線路で、以前は全区間が単線で、半径160mの曲線や25‰の勾配が連続する線形だった。このため、17m車4両編成しか走行できず、最高速度43km/h、平均速度30km/hで難波駅 - 橋本駅間を急行で64分を要した。沿線開発による輸送需要の増大に対応するために、同区間の複線化など大規模改良が実施された。1971年(昭和46年)5月12日に運輸大臣から、河内長野駅 - 橋本駅間を複線化するための認可を受け、1972年(昭和47年)3月から工事に着手した。 複線化のルート決定では、難波駅 - 橋本駅間の急行列車の運転時分を45分程度とするため、河内長野駅 - 橋本駅間の平均速度を60km/h程度とすること。既存の駅中心位置は移動させないこと。各駅のホーム長は、当初は135m(21m車6両編成)とし、将来的には220m(21m車10両編成)に延伸可能なよう曲線・勾配を考慮すること。駅構内の渡線道(踏切)を廃止して、地下道または跨線橋の立体交差とすることなどが条件だった。曲線と駅部の改良を重視したことから、単に在来線に並行した線増というよりも、新線建設に近い線形となった。複線化完成後は、半径400m未満の曲線は、全体の43.8%から5.2%に減少したのに対して、駅間の最急勾配は25.2‰から33‰ときつくなった。複線化と関連して、美加の台駅、林間田園都市駅の新設や、以前は橋本駅に隣接していた橋本車庫の機能を、小原田車庫に移転・拡充する事業なども実施された。河内長野駅 - 橋本駅間の複線化は7つの工区に分けられ、段階的に工事が実施された。第1工区の河内長野駅 - 三日市町駅間は1974年(昭和49年)3月24日に完成し、第7工区の御幸辻駅 - 駅橋本間は1995年(平成7年)8月30日に完成した。小原田車庫(第8工区)は1996年(平成8年)11月15日に完成した。これら工事費用の合計は556億55百万円だった。 大和川橋梁を渡る南海と泉北高速の列車
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