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堺市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/04 15:57 UTC 版)
| さかいし 堺市 |
|
|---|---|
| 堺市旗 堺市章 | |
| 国 | |
| 地方 | 近畿地方 |
| 都道府県 | 大阪府 |
| 団体コード | 27140-3 |
| 面積 | 149.99km² |
| 総人口 | 842,669人 (推計人口、2012年1月1日) |
| 人口密度 | 5,620人/km² |
| 隣接自治体 | 大阪市、松原市、羽曳野市、 富田林市、大阪狭山市、 河内長野市、和泉市、高石市 |
| 市の木 | 柳 |
| 市の花 | ハナショウブ |
| 他のシンボル | 市の花木:ツツジ 市の鳥:モズ |
| 堺市役所 | |
| 所在地 | 〒590-0078 大阪府堺市堺区南瓦町3番1号 |
| 外部リンク | 堺市 |
| ウィキプロジェクト | |
堺市(さかいし)は、大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市。大阪府内で人口・面積ともに第2の都市である。泉北地域の一つではあるが、河内地域を含むため他の泉北地域とは区別される。
目次 |
地理
大阪平野のやや南を西流する大和川の左岸下流域に位置する。大阪湾に西面し、北は大阪市、北東は松原市、東は羽曳野市、富田林市、南東は大阪狭山市、河内長野市、南西は和泉市、高石市に接している。市内は7つの行政区に分かれ、堺区が北西部に、美原区が東端部に位置する他は、中区・東区・西区・南区・北区と方位による区割となっている。
市名の由来
「堺」の地名は平安時代には見られ、摂津国、河内国、和泉国の「境(さかい)」に発展したことによると言われている。「境」、「左海」などとも表記された(宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれてある)。
鎌倉時代以降は、摂津国と和泉国の荘園名として見られ、江戸時代(元和年間)以降は、両国の国境に大小路という東西幹線を敷いた町となった。宝永年間には大和川の付け替えが行われたが、明治3-4年まで大小路は国境の役割を果たした。
国境が大和川に変更された後は和泉国のみに属する町となったが、1938年(昭和13年)の南河内郡金岡村編入以降、和泉国と河内国に跨る市域を形成するようになり現在に至っている。このため、他の泉州地域と区別され、「堺・泉州」や「堺・泉北」のように分けて表記されることが多い。
地域の概要
西部(堺区・西区)
- 沖積平野を含みおおむね平坦で、海岸線に沿って南北に通る紀州街道・熊野街道(小栗街道)に沿って早くから市街化している。元来の市街地である堺区の環濠内は紀州街道を大道と称して南北幹線としており、西区の中心となる鳳は小栗街道に沿う大鳥大社の鳥居前町として発展した。鉄道も両街道に沿うように南海本線・阪堺線・阪和線が通っている。これらの他、環濠内の堺市街地から東へ長尾街道と竹内街道、南東へ西高野街道が伸び、鉄道は西高野街道に沿うように南海高野線が通っている。
- おおむね熊野街道の東側は三国ヶ丘台地とも呼ばれる高台が広がり閑静な住宅地が多い。上野芝駅に近い霞ヶ丘や向ヶ丘といったやや規模の大きい住宅地は阪和線の母体である阪和電気鉄道により昭和初期に分譲された。また、この高台には北区にかけて古墳が多い(百舌鳥古墳群)。
- 沿岸部は旧堺港南側の大浜海岸をはじめとして、かつては一大海浜リゾート地で知られ、西区の浜寺には高級邸宅街も建設された。しかし、堺泉北臨海工業地帯の造成によって石津川以北は往時を偲ぶ影もなくなり、以南の浜寺水路と浜寺公園の松林に辛うじて名残が見られる。
中南部(中区・南区)
- 泉北丘陵などと呼ばれる丘陵地帯で、石津川水系の河川に沿って古くからの集落が見られる。上述の交通網の影響から、交通過疎地といった状態が続いて発展が遅れていたが、泉北ニュータウンの開発で一変した。鉄道は南海高野線に乗り入れる泉北高速鉄道が縦断する。また、この地域は須恵器の窯跡が多数発掘されている(陶邑窯跡群)。
東部(北区・東区・美原区)
- 東区では、早くから高野沿線で住宅開発が行われ、南海鉄道(現・南海電気鉄道)の分譲による初芝住宅や、街の中央に噴水広場を設けた大美野の高級邸宅街が昭和初期に開発されている。戦前は堺市街の東縁・東郊に過ぎなかった北区は、戦後金岡団地・新金岡団地・中百舌鳥公園団地等の開発で急速に市街化した。1987年には御堂筋線が中百舌鳥駅まで延伸されている。また、この地域は美原区を中心に河内鋳物師ゆかりの地である。
歴史
石器時代
現在の堺市域に人が定住したのは古く旧石器時代とされる。市内各地の遺跡からは旧石器時代の打製石器や縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されている。また、浜寺の四ツ池遺跡は池上・曽根遺跡(和泉市・泉大津市)と並ぶ弥生時代の集落遺跡で、堺市域では最大規模を誇る(浜寺中学校造成と第二阪和国道敷設工事のため遺跡としての形はとどめていない)。1989年には国の史跡に指定された。このほか、石津川流域の下田町や鶴田町でも、竪穴住居跡を中心とする集落や土器・金属器などが出土している。
古墳時代(ヤマト王権の重要地)
古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われた。生産は奈良時代を経て平安時代まで続いた。泉北ニュータウン周辺や信太山丘陵にかけて須恵器の釜跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が現在も残る。ヤマト王権成立後は大仙陵古墳など大小100数基の百舌鳥古墳群が造られた。
神功皇后が三韓征伐からの帰途、七道の浜に寄り、地元の豪族の田蓑宿禰に津守氏の姓を与え、住吉三神を祀るように告げたという(住吉大社の起源)。
飛鳥時代(難波大道と交通網)
飛鳥時代になると、難波宮、難波京や難波津から四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道と、飛鳥の都と方違神社を東西に結ぶ丹比道(竹内街道の前身)、大津道(長尾街道の前身)が整備される。奈良時代から室町時代にかけて、これらの街道沿いの美原区大保(丹南)や北区金岡・東区日置荘周辺には河内鋳物師と呼ばれる人たちが多く住んでおり、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。
平安時代・鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)
平安時代には熊野詣の宿として境王子と大鳥居王子が設置された。鎌倉時代には京都、奈良など後背都市の産業を背景に南北の堺荘が成立。
南北朝時代(南朝と勘合貿易)
南北朝時代には、南朝(吉野朝廷)方の住吉大社宮司の津守氏に関係して南朝の外港的役割を担うようになり、廻船が発着する港へと発展した。地下請の特権を得て、室町時代には足利将軍家や三管領の細川氏などが行った日明貿易(勘合貿易)の拠点となる。戦国時代には明やルソン・カンボジアなど東南アジア方面での貿易で栄えた。
室町時代・戦国時代(東洋のベニス)
応仁・文明の乱以後、それまでの兵庫湊に代わり堺は日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる国際貿易都市としての性格を帯びる。布教のため来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。この文章によって、堺の様子は当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、マラッカの司令官宛に「堺は日本の最も富める湊にして国内の金銀の大部分が集まるところなり」と報告、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。
安土桃山時代(自治都市)
安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成。会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、中世の自治都市となるが、その価値に注目した織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服。自治機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。その後、秀吉が大坂城を築き、城下町が開発されるに伴い堺商人の多くが大坂へ強制移住させられたため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下町にも堺商人が移り住むようになる。産業面では戦国期より鉄砲生産が盛んに行われ、また文化面では今井宗久や千利休、津田宗及に代表される茶の湯などが特記される。特に信長から武装解除された橿原市の今井町との交流は深く、竹内街道を通じ江戸時代まで毎日行き来した。「海の堺」に対し「陸の今井」と呼ばれ、堺同様に自治都市として栄えた。
江戸時代(近世都市の源)
江戸時代には堺奉行が置かれ、糸割符など保護を受けるが、鎖国の成立とともに経済の中心は大坂へ移り、管轄も大坂町奉行が兼任する。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。しかも、この開削により河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなった。これにより、港湾機能も縮小せざるを得なくなった。
しかし、中世の自由都市堺と、江戸初期の堺の財力は莫大なものがあり、それが後世の日本に与えた影響は莫大である。中世の日本において一貫して大都市といえるのは京都だけであり、当時陸運の便利がよい京都に商人が集中していた。一方で堺は積極的に海運のため、全国の主に海岸の中小都市に莫大な投資を行った。その当時既に繁栄していた博多、鹿児島、大分などはともかく、それ以外の全国の多くの都市について、その発展の基礎部分に中世の堺商人の投資が大きな影響を与えているともいえ、それは大阪、名古屋、東京なども例外ではない。
江戸時代後期からそれ以降(工業都市)
江戸時代でも後期に入ると、醸造業などが栄えた影響で再度活気を取り戻すようになる。幕末になり、欧米列強が大坂の開港を要求すると、大坂が京都に近いことを理由に堺がその代港候補に挙がる。だが幕府内の勤皇派は、堺周辺には古墳が多いため、堺を開港地にすると外国人が無断で古墳に出入りする可能性があると指摘。そのため、第二候補であった兵庫(神戸)が開港地に選ばれた。この結果、堺は中世以来の国際貿易港への復帰の道を閉ざされ、その座を神戸に明け渡すことになった。明治以降は、紡績や煉瓦産業を中心に次第に工業都市へと変貌を遂げていき、阪神工業地帯の一角を占める経済的地盤を作り上げていく。
なお、堺市の町名には「○丁目」の「目」がつかない。1872年の町名改正で、改正前までは独立していた小さな町を「○○東一丁」や「○○西一丁」などに変更し、「丁」に「町」と同格の意味合いを持たせたことに由来する。以後、周辺の町村を合併し市域に編入したが、町を細分する場合も前例に倣い「丁目」を使わず、美原区を除く市内全域が「丁」で統一されている。
年表
古代
- 5世紀 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)が造られる。
- 5世紀 ヤマト王権が茅淳県・大鳥県を設置する。
- 613年 竹内街道が開通。
- 704年 行基が生家を家原寺とする。
- 713年 河内国から摂津国が分離する。
- 757年 河内国の大鳥郡・和泉郡・日根郡が独立、和泉国ができる。
- 934年 紀貫之の『土佐日記』に「いしづ(石津)」の表記がみられる。
- 1054年 藤原定頼の歌集に「さか井」の名が現れる。
中世
- 1231年 小谷城が築城される。
- 1336年 堺北荘が住吉神社(現在の住吉大社)領となる。
- 1337年 大魚夜市が始まる。
- 1338年 北畠顕家が足利軍と戦い石津で戦死。
- 1399年 応永の乱で幕府軍が堺城を攻め大内義弘が戦死。
- 1476年 第1回遣明船が堺港から出発する。
- 1502年 金魚が明から堺へ輸入される。
- 1543年 堺で鉄砲生産が始まる。
- 1550年 フランシスコ・ザビエルが堺を訪れる。
近世
- 1568年 織田信長が軍用金2万貫を課す。会合衆は拒否するが攻撃され屈服。
- 1570年 織田信長が松井友閑を堺政所に任命(堺奉行の前身)。
- 1586年 石田三成が堺政所になる。
- 1588年 豊臣秀吉が環濠の土居川を埋めさせる。
- 1591年 豊臣秀吉により堺へ追放された千利休が自害。
- 1596年 慶長の大地震で600人以上が死亡。
- 1604年 堺商人が糸割符年寄に任ぜられ、朱印船貿易が許される。
- 1615年 大坂夏の陣で豊臣方の大野治胤による焼き討ちに遭い全焼する。
- 1615年 江戸幕府の直轄地となり堺奉行が置かれる。
- 1615年 元和の町割により市街地を北・東・南へ拡張し、土居川再築。
- 1684年 堺最初の地誌『堺鑑』が刊行される。
- 1696年 堺奉行が廃止され、大坂町奉行の管轄になる。
- 1702年 堺奉行が再び置かれる。
- 1704年 大和川が付け替えられる。
- 1854年 安政の大地震で堺港が打撃を受ける。
- 1863年 天誅組が堺港に上陸する。
- 1867年 堺奉行が廃止され、大坂町奉行が堺を管轄。
近代
- 1868年 堺事件が起きる。
- 1868年 堺県を設置する。
- 1870年 鹿児島藩が日本の近代紡績工場第1号となる戎島紡績所を開設。
- 1870年 工部省が鉄道寮堺煉瓦製造所を設立(日本で最初の煉瓦工場)。
- 1873年 日本初の公園となる浜寺公園が開園。
- 1875年 堺県が奈良県を併合する。
- 1876年 南宗寺境内で堺博覧会を開く。
- 1877年 明治天皇が堺に行幸し、熊野小学校などを視察する。
- 1877年 大浜灯台が完成。
- 1879年 郡区町村編制法により堺区(堺市の前身)が設置される。
- 1881年 堺県が大阪府に併合される。
- 1888年 阪堺鉄道(南海電気鉄道の前身)の難波 - 堺間開通。
- 1888年 大阪農学校(大阪府立大学の前身)が開校。
- 1889年4月1日 市制施行により堺市へ移行(最初に施行した31市に名を連ねた)。
- 1892年 旧堺奉行所跡に堺市役所ができる。
- 1894年 大鳥郡向井村大字七道を編入。
- 1895年 幕末に築かれた南台場跡が大浜公園として整備される。
- 1895年 堺市章を制定。
- 1897年 南海鉄道(阪堺鉄道が社名変更)の堺 - 佐野間開通。
- 1898年 高野鉄道(現在の南海高野線)の大小路(現在の堺東) - 狭山間開通。
- 1900年 高野鉄道の道頓堀(現在の汐見橋) - 大小路間開通。
- 1903年 大浜公園が第5回内国勧業博覧会の第2会場となる(第1会場は天王寺公園)。
- 1903年 大浜公園内に堺水族館が開館。
- 1905年 浜寺にロシア兵俘虜収容施設ができる。
- 1906年 浜寺海水浴場が開場する。
- 1907年 南海鉄道の浜寺駅(当時)駅舎が完成(後に東京駅を設計した辰野金吾博士による)。
- 1910年 天王貯水池と浅香山浄水場が造られ、上水道が整備される(全国で18番目、大阪府では大阪市に次いで2番目)。
- 1911年 阪堺電気軌道の恵美須町 - 浜寺間と大浜支線宿院 - 大浜海岸間開通。
- 1913年 大浜公会堂内に大浜潮湯が開業。
- 1916年 堺市立図書館(旧館)が開館。
- 1920年 大阪市の扇町にあった堀川監獄(現在の扇町公園)が堺市に移転、大阪刑務所となる。
- 1920年 泉北郡向井町・湊町を編入。
- 1920年 第1回国勢調査(堺市の人口は8万4995人)。
- 1922年 堺(大浜海岸) - 徳島(小松島市横須海岸)間に日本初の民間定期航空便が就航。
- 1923年 堺市公民病院(現在の市立堺病院)が開院。
- 1925年 泉北郡舳松村を編入。
- 1926年 泉北郡三宝村を編入。
- 1927年 阪堺大橋が完成する(大和川に橋が架かったのは大和橋以来220年ぶり)。
- 1929年 阪和電鉄(現在のJR阪和線)の天王寺 - 和泉府中間開通。
- 1930年 遠里小野橋が架設される。
- 1931年 全国初の市史となる『堺市史』が完成。
- 1931年 阪堺電鉄の芦原橋 - 浜寺間開通。
- 1932年 陸軍の騎兵隊・輜重隊兵舎(現在の長尾中学校)、陸軍病院(現在の大阪警察学校)、練兵場(現在の金岡公園)が大阪市の真田山から金岡村(当時)へ移転。以後、通称金岡連隊基地として大阪南部の軍事拠点となる。
- 1932年 昭和天皇が堺に行幸し、堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を視察する(「三国ヶ丘御幸通」の地名はこの行幸に由来)。
- 1932年 大美野田園都市が町開き。
- 1936年 南海鉄道が創業50周年事業として中百舌鳥総合運動公園を開設。
- 1937年 大和川大橋が架設される。
- 1938年 泉北郡神石村・五箇荘村・百舌鳥村・南河内郡金岡村を編入。
- 1938年 光明池(人工の灌漑貯水池)が完成。
- 1939年 室戸台風が堺市を直撃。300人超の死者が出る。
- 1939年 大阪帝国大学(当時)産業科学研究所が浅香山に設立される。
- 1942年 泉北郡浜寺町・鳳町・踞尾村・八田荘村・深井村・東百舌鳥村を編入。
- 1944年 阪堺電鉄が大阪市に買収され、大阪市電三宝線になる。
- 1944年 堺市役所が堺東に移転する。
- 1945年 近鉄大浜線(当時)宿院 - 大浜海岸間休止(正式に廃止となったのは1980年)。
- 1945年7月10日 堺大空襲。死者1800人を超える。堺駅周辺の龍神地区や宿院、大浜公園などに大きな被害が出る。
現代
- 1947年 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍に接収される(それぞれ浜寺キャンプ、金岡キャンプとなる)。
- 1948年 堺(鉢ヶ峯)公園墓地ができる。
- 1950年 ジェーン台風が堺市を直撃。
- 1955年 市民運動によって、いたすけ古墳の保存が決まる。
- 1956年 日本初の住宅公団による団地、金岡団地の入居開始。
- 1956年 浅香山浄水場のツツジの一般公開(通り抜け)が始まる。
- 1957年 南河内郡北八下村(大字河合を除く)を編入。
- 1958年 南河内郡南八下村(西部)・日置荘町を編入。
- 1958年 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍から返還。金岡連隊基地跡は金岡公園として整備される。
- 1958年 堺泉北臨海工業地帯の造成開始。
- 1959年 泉北郡泉ヶ丘町を編入。
- 1960年 向ヶ丘団地の入居開始。最寄り駅として津久野駅が設置される。
- 1961年 八幡製鐵(後の新日本製鐵)堺製鐵所が設立。臨海部の工業化が開始される。
- 1961年 第二室戸台風が堺市を直撃。
- 1961年 泉北郡福泉町を編入。
- 1961年 南海電鉄が「浜寺ヘルスセンター」開設。
- 1961年 与謝野晶子の歌碑が生家跡にできる。
- 1962年 浜寺海水浴場が閉鎖される(堺市内の海水浴場がなくなる)。
- 1962年 南河内郡登美丘町を編入。
- 1963年 堺市民憲章を制定。
- 1963年 浜寺公園プールが完成。
- 1964年 天王貯水池が閉鎖。
- 1965年 堺市民会館が開館。
- 1965年 戦災復興事業が終わる。
- 1966年 泉北ニュータウン着工。
- 1966年 金岡ニュータウン(新金岡団地)が街開き。
- 1966年 土居川の埋め立てが始まる。
- 1967年 バークリー市と初の姉妹都市提携。
- 1967年 八田荘団地が完成する。
- 1968年 大阪市電三宝線が廃止。市営バスに転換される。
- 1968年 大浜灯台が廃止。
- 1968年 大阪大学産業科学研究所が茨木市に移転(跡地は住宅公団に売却され浅香山団地に)。
- 1969年 堺港と泉北港が統合され、堺泉北港になる。
- 1970年 阪神高速道路堺線が開通。
- 1971年 泉北高速鉄道の中百舌鳥 - 泉ヶ丘間開通。
- 1971年 堺市立図書館(現在の中央図書館)が大仙公園に移転。
- 1971年 大仙公園に平和塔が完成。
- 1971年 国立泉北病院が開院(現在の近畿大学医学部堺病院)。
- 1972年 大泉緑地が開園。
- 1972年 泉北ニュータウンに「青少年の町(ヤングタウン)」ができる。
- 1973年 泉北高速鉄道の泉ヶ丘 - 栂・美木多間開通。
- 1974年 堺まつりが始まる。
- 1975年 吾彦大橋が架設される。
- 1975年 堺市民オリンピックが始まる。
- 1976年 第二阪和国道の堺 - 高石間開通。
- 1976年 大阪女子大学が大阪市の帝塚山から移転(現在は大阪府立大学と統合)。
- 1977年 泉北高速鉄道の栂・美木多 - 光明池間開通。
- 1979年 市制90周年。
- 1980年 堺市博物館が開館。
- 1981年 大阪府立障害者交流促進センター(ファインプラザ大阪)開設。
- 1982年 阪神高速道路湾岸線の南港北 - 三宝間開通。
- 1982年 台風10号が堺市を直撃。大和川が氾濫し、大きな被害が出る。
- 1983年 全国初の政治倫理条例を制定。
- 1983年 連雲港市と友好都市提携。
- 1985年 南海本線の大和川 - 石津川間高架化。
- 1986年 第37回全国植樹祭が大仙公園で開催。
- 1986年 陶器山トンネルが開通。泉北ニュータウンと狭山ニュータウンが繋がる。
- 1987年 地下鉄御堂筋線が中百舌鳥まで延伸。
- 1987年 阪神高速道路湾岸線の三宝 - 出島間開通。
- 1987年 南大阪地域地場産業振興センター(じばしん南大阪、現在の堺市産業振興センター)開設。
- 1989年 市制百周年記念「オランダフェスティバル・ダッハらんど」開催。
- 1989年 阪和自動車道の松原JCT - 美原北IC 間開通。
- 1991年 阪和自動車道の美原北IC - 堺IC間開通。
- 1991年 堺泉北有料道路の供用開始。
- 1993年 阪和自動車道の堺IC - 岸和田和泉IC間開通。
- 1993年 阪神高速道路湾岸線の出島 - 助松間開通。
- 1994年 ウェリントン市と姉妹都市提携。
- 1995年 さかいハートフルランドが始まる。
- 1996年 中核市へ移行。
- 1996年 堺市の小学校33校で病原性大腸菌O157による集団食中毒が発生。
- 1996年 市立堺病院が移転、新装開院。
- 1998年 南海本線の浜寺公園駅と諏訪ノ森駅が、国の登録有形文化財に登録される。
- 1999年 第23回全国育樹祭が大仙公園と蜻蛉池公園(岸和田市)で開催。
- 1999年 大型児童館「ビッグバン」開館。
- 2000年 「世界民族芸能祭」が堺旧港と大仙公園で開催。
- 2000年 龍女神像(乙姫像)が旧堺港小波止(北波止)に復元。
- 2001年 国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)開設。
- 2001年 「ヤングタウン」が閉鎖。
- 2004年 南阪奈道路の供用開始。
- 2004年 さかい新事業創造センター開設。
- 2005年2月1日 南河内郡美原町を編入。
- 2006年4月1日 政令指定都市移行、区制施行。
- 2009年10月1日 世界最大級のシャープ堺工場が操業。
「堺町」のある都市
堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。
- 「堺町」もしくは「堺丁」がある都市 - 岸和田市、大和郡山市、和歌山市、姫路市、津山市、倉吉市、広島市、高知市、北九州市(旧小倉市)、京都市
- 「栄町」もしくは「栄」がある都市 - 会津若松市、甲府市、金沢市、福井市、静岡市、浜松市、名古屋市、岐阜市、彦根市、岡山市、浜田市、徳島市、北九州市(旧門司市)、久留米市、鹿児島市
- 「堺筋」がある都市 - 大阪市、富田林市
- 備考
堺空襲
1945(昭和20)年当時、日本には180の都市があり、うち58都市がアメリカ軍による空襲を受けた。アメリカ軍は180都市を人口の多い順に空襲する作戦をとり、堺市は人口18万人で空襲順位は24位であった。広義の「大阪大空襲」で着弾目標地点が置かれたのは大阪市(空襲順位2位)と堺市、尼崎市(同25位)のみである。アメリカ軍は堺市を空襲都市に選んだ理由を「堺の主要価値は大阪市に近接していて、その工業が大阪市と統合されていることである。また、この都市は大阪の軍需工場の労働者に住宅を提供している。大阪の工場に打撃を与えるために、堺の軍需工場は疎開可能箇所として重要である」(アメリカ軍の作戦任務報告より)としているが、実際は非戦闘員を目標にした無差別爆撃であった。被害は工場より民家に集中した。
- 3月13日・14日 - 第1次堺空襲(第1次大阪大空襲):B29焼夷弾
- 6月15日 - 第2次堺空襲(第4次大阪大空襲):B29焼夷弾
- 6月26日 - 第3次堺空襲(第5次大阪大空襲):B29焼夷弾
- 7月10日 - 第4次堺大空襲(第6次大阪大空襲):B29焼夷弾、着弾点を初めて堺に置く
- 8月10日 - 第5次堺空襲:艦載機・機銃掃射
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- ^ 大阪府立泉北考古資料館、堺市へ移管で継続 - MSN産経ニュース
- ^ 堺市立泉北すえむら資料館がオープン(2010年4月14日閲覧)
- ^ かつてはあべの橋方面から堺東駅への路線もあったが、2012年現在は住之江公園から堺駅までの路線のみ。
- ^ 一等三角点 大浜公園 - 国土地理院測地部
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