仏教絵画とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 美術 > 絵画 > 仏教絵画の意味・解説 

ぶっきょう‐かいが〔ブツケウクワイグワ〕【仏教絵画】

読み方:ぶっきょうかいが

仏の像や経典内容など、仏教に関する題材扱った絵画仏画


仏教絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/29 05:30 UTC 版)

仏教絵画(ぶっきょうかいが)とは、仏教を題材とした絵画である。寺院の壁画、絹、紙、板に描いた絵画、版画等を含む。




「仏教絵画」の続きの解説一覧

仏教絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)

院政期文化」の記事における「仏教絵画」の解説

大治4年1129年)に白河法皇没したとき、院の発願制作され仏像仏画の数は、丈六像・半丈六合わせて193体、等身像3,150体、仏画5,470余におよんだとの記録あるように、院政期は仏教絵画も多数描かれ時代であった院政期仏画特色としては、描写繊細豊かな色彩をもつ傾向があり、截金切金)はじめ様々な工芸手法用いたり貴金属ちりばめたものが多くきわめて装飾的な表現描かれたものが少なくないことが挙げられる総じて優美繊細な傾向有する前代密教絵画流れ引き継いだものも多いが、浄土教隆盛反映して阿弥陀如来描いたものも多い。 密教絵画では、京都市東山区青蓮院の『不動明王二童子像』(絹本着色通称青不動」)があり、「不動十九観」に依拠する現存最古画像であり、11世紀の製作である。感得画として名高い園城寺黄不動」を模した京都曼殊院の「黄不動」は12世紀前半の作であり、国宝指定されている。滋賀県大津市石山寺伝承する不動明王二童子像』(紙本白描)は12世紀の作で重要文化財指定されている。なだらかな曲線優美な色彩精緻な截金文様知られる東京国立博物館所蔵の『孔雀明王像』(国宝)は12世紀中葉の作である。大阪府藤田美術館所蔵国宝両部大経感得図』は、密教の重要経典大日経』と『金剛頂経』がインド感得されたという場面描いている。奈良県天理市内山永久寺にあったもので、藤原宗弘が保延2年1136年)に描いたのである曼荼羅には、保元元年1156年)に平清盛が自らの血を用いて描いた伝承される両界曼荼羅」(金剛峯寺重要文化財)があり、「血曼荼羅」と称される法隆寺久米田寺大阪府岸和田市)に伝わる「星曼荼羅」はともに12世紀の作(いずれも重要文化財)である。 ボストン美術館の「千手観音像」「馬頭観音像」「如意輪観音像」は、いずれもフェノロサ・ウェルドコレクションで12世紀の作である。3作とも絹本着色で、それぞれ多様な工芸手法用いた装飾豊かな絵画であり、描写繊細彩色文様優雅ななかに清新さもみえる傑作である。和歌山県金剛峯寺善女龍王像」は久安元年1145年)の定智(じょうち)筆の仏画であり、国宝指定されている。 仏伝図としては、金剛峯寺の「仏涅槃図」(国宝、「応徳涅槃図」)が知られる仏涅槃図釈迦いっさい煩悩ことごとく消滅した涅槃境地達した様子描いたもので、平安後期から鎌倉・室町期にかけて宗派問わずさかんに製作され涅槃会に際して懸用された。金剛峯寺品は応徳3年1086年4月7日の銘があり、日本最古仏涅槃図作例であるのみならず在銘仏画としては最古のものとしても知られる慈愛満ちた明る涅槃図であり、平安仏画代表作称されるほどの素晴らし出来映え示している。これと双璧をなす傑作が、京都国立博物館所蔵11世紀後半の『釈迦出現図』(国宝)である。釈迦入滅し金の棺納められたあと、嘆き悲しむ摩耶夫人のために釈迦蓋を開けて復活し夫人はじめ人びと最後説法をして諭す場面描いたのである。金手前が短い逆遠近法表されており、画面求心的でしかも動的に構成されきわめて表現性に富んでいる。 西方極楽浄土より往生者を迎えに来るようすを描いた絵画が「来迎図」である。名品が多いなかでとくに傑作とされるのが、12世紀後半制作され高野山有志八幡講十八箇院『阿弥陀聖衆来迎図』(国宝高野山霊宝館保管)である。阿弥陀如来29体の菩薩が大画面いっぱい広がりいずれも正面向き坐像描かれる中央の阿弥陀如来とりわけ大きく肉身部分金泥着衣部分には截金文様施されており、全体金色輝いている。 他にこの時代代表作として下記挙げられるいずれも国宝)。 東京国立博物館 普賢菩薩東京国立博物館 虚空蔵菩薩像 岐阜来振寺 五大尊寛治4年1090年京都神護寺 釈迦如来像 京都東寺 五大尊大治2年1127年京都国立博物館東寺伝来十二天大治2年1127年京都松尾寺 普賢延命菩薩広島持光寺 普賢延命菩薩仁平3年1153年

※この「仏教絵画」の解説は、「院政期文化」の解説の一部です。
「仏教絵画」を含む「院政期文化」の記事については、「院政期文化」の概要を参照ください。


仏教絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)

鎌倉文化」の記事における「仏教絵画」の解説

絵巻物比較してより公開性のある絵画として阿弥陀来迎図仏伝図法華経曼荼羅六道絵十王図など、大画面経典関係の説話画も多数描かれた。鎌倉時代仏画特色としては、儀軌とらわれない自由な発想写実的な表現掲げられるまた、日本古来神々描いた垂迹画がこの時代あらわれ、純日本的な宗教画として独自の位置をしめた。 文殊渡海図 京都市伏見区醍醐寺絹本著色国宝。1幅。獅子坐した文殊菩薩が、雲に乗って善財童子ら4者をともないながら水面上空飛翔するようすが描かれている。鎌倉時代前半期の作とされる閻魔天像 醍醐寺絹本著色国宝。1幅。冥界の王として知られる閻魔であるが、密教においては十二天一尊焔摩天として、あるいは、安産延命祈願する閻魔天法の本尊として知られる。宋画の影響を受け、牛に乗って手に人頭幢をもった優美な姿に温厚な顔で描かれる仏眼仏母像 京都市栂尾高山寺明恵上人高弁の初名である「成弁」による賛文がある。絹本著色国宝。1幅。仏眼仏母三世諸仏の母とされ、この絵は、仏眼仏母白身に白衲衣を身につけ、白いの上坐した清新な図で、高弁念持仏であった普賢延命像 松尾寺京都府舞鶴市絹本著色国宝。1幅。白象のうえに結跏趺坐した普賢菩薩正面から描いている。淡い色彩は宋の絵画手本にしたといわれる訶梨帝母像 醍醐寺絹本著色国宝。1幅。この絵は、訶梨帝母鬼子母神)が、半跏スタイルですわりながら、右手には柘榴をもち、赤子左手抱いたすがたで描かれる服飾中国風で彩色抑制されているところから宋画の強い影響みてとれる達磨図 山梨県甲州市臨済宗向嶽寺絹本著色国宝。1幅。1260年代制作で、禅宗の祖とされる達磨描いている。蘭渓道隆による賛詞記されている。

※この「仏教絵画」の解説は、「鎌倉文化」の解説の一部です。
「仏教絵画」を含む「鎌倉文化」の記事については、「鎌倉文化」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「仏教絵画」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



仏教絵画と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仏教絵画」の関連用語

仏教絵画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仏教絵画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの仏教絵画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの院政期文化 (改訂履歴)、鎌倉文化 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS