Mr.マリック 経歴

Mr.マリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 20:50 UTC 版)

経歴

1970年代以前

1980年代

  • 1988年(昭和63年、39歳の年) - 日本テレビ系『11PM』に出演し、テレビ界にデビューする[1][6]。大きな反響を得、これ以降、たびたび出演するようになり、ブレイクに繋がってゆく。
  • 1989年平成元年)
    • 日本テレビ系『木曜スペシャル』でマリック単独の特別番組の放送が始まり、28%を超える視聴率を獲得。「超魔術」「ハンドパワーです」「きてます!!」で一大超魔術ブームを巻き起こした。その後木曜スペシャルは1992年第8弾まで放送された。この年、韓国SBSでもマリックのスペシャル番組が組まれ、視聴率50.1%を記録す
    • 秋に放送された、日本テレビ『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』(cf. ) では、オーストラリアシドニーでゲスト出演し、敗者復活戦・罰ゲームも担当した(サイキックイズを参照)。この時敗者復活者となった永田喜彰にハンドパワーTシャツをプレゼントしている。また、この年の『第40回NHK紅白歌合戦』にもゲスト出演している。
    • この時期には『月刊コロコロコミック』(小学館)等の子供向け雑誌でも特集が組まれており、本人を主役とした読み切り漫画が執筆されたり、超能力漫画にセミレギュラーのような形で登場することもあった。

1990年代

  • 1990年(平成2年)9月21日 - TM NETWORK(発売当時はTMN)の小室哲哉と組んでインストゥルメンタルアルバムPsychic Entertainment Sound』を出す(小室哲哉&Mr.Maric名義)。その関係で、小室のソロツアー『Digitalian is eating breakfast』ファイナル(1990年1月28日に横浜アリーナで行われた)に登場。音楽雑誌GB1990年4月号によると、Mr.マリックは客席から現れて、ステージ上でスプーン曲げやお札を浮かせるなどのパフォーマンスを行ったという。楽屋での打ち上げでもお札を浮かせるパフォーマンスを行い、特に外国人サポートメンバーに好評だったらしい。その後、2002年11月22日に小室哲哉がglobeのボーカルのKEIKOと結婚した際にも出席している(TBS『学校へ行こう!』でその時のシーンの一部放送されていた)。
    • しかし、超魔術の演出が「超能力」のようなものに見られ、世間では本物の超能力と信じ込む人も多く、ある時期からいっせいに「インチキ」「全て奇術」との批判が始まった。ただし、本人はあくまでも「超魔術」だとしており、超能力だとは決して言っていない(念を使う、確率を超えるなど超常的表現言動をし、ミスリードを意図していたのは事実)。「超魔術」という言葉を使ったのは、「『手品』や『マジック』では大勢の人の関心を惹くことができないから」という理由からであったという。
    • この時期、週刊誌や一部視聴者からの激しいバッシングによるストレス顔面神経麻痺を発症、しばらくテレビ界から遠ざかることとなる。
    • ゆうむはじめは、1990年以降、たびたび「Mr.マリック超魔術の嘘」と題した書籍を著して、Mr.マリックを非難した。ゆうむによると、Mr.マリックが超能力者のふりをして手品を行っていることよりも、その手品によって番組出演者の稲川淳二火傷を負わせたことに義憤を感じての行動であるという。
  • 1993年(平成5年) - テレビ東京浅草橋ヤング洋品店』、日本テレビ『元気が出るテレビ』などのバラエティ番組に進出。
  • 1994年(平成6年) - フジテレビなるほど!ザ・ワールド』スペシャルで、トランプマンと対決した。
  • 1995年(平成7年) - フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』レギュラー出演、日本古来の奇術や和妻、技の世界を披露した。
  • 1996年(平成8年) - 関西テレビ裸の大将〜清の手品はめぐり合い』で役者初挑戦。
  • 1997年(平成9年) - 日本テレビ『投稿!特ホウ王国』にて、新しくファニーなキャラクター「栗間太澄」に変身して登場。翌年よりレギュラーで登場した。マリックとは無関係な「謎の郵便局員」という触れ込みであったが、「みすたまりく」を逆から読んだ芸名と、ハンドパワーを和訳した「手力(てぢから)です」のフレーズで正体が分かる仕組みであった。当時親戚から「お前より凄いのが出て来たぞ」と電話がかかってきたという[8]
  • このころ自ら「マジシャン宣言」をする。以後、再び超魔術師として活動の場を広げる。
  • このころ東京メトロポリタンテレビジョン(当時MXテレビ)で「MAGICAL HOTEL」というレギュラー番組を持つ。
  • 1998年(平成10年) - 『M-1グランプリ 最強のマジシャン対決』を放送。Mr.マリックが主催し、日本国内の若手マジシャンを集めて、トーナメント方式制限時間3分、不思議な方が勝利という番組だった。なお、「M-1」タイトルの使用はこちらが早く、後に開催される漫才の選手権大会「M-1グランプリ」との関連はない。
  • 1999年(平成11年) - TBSでマリックスペシャル番組が復活。

2000年代

  • 2000年(平成12年) - TBS『オフレコ!』で、マジシャンとしては禁断とされたネタの裏側を見せ視聴者の興味を引き、マリック主役のスペシャル番組『超オフレコ』でマジックのファン層は拡大する。
  • 2001年(平成13年)
  • 時期不特定 - 『たけしの誰でもピカソ Mr.マリックスペシャル』が放送され、テレビ東京はドーハの悲劇以来の19%を超える視聴率を獲得する。TBS『超オフレコ2時間スペシャル』に2度出演。テレビ東京では『Mr.マリック☆魔法の時間』という初の冠レギュラー番組がスタートし、1年続く。日本テレビでは金田一少年の事件簿 魔術列車殺人事件でジェントル山神役として俳優デビューし、劇中に登場するマジックの監修も手掛けた。
    • 時期不明 - 弟子でアシスタントの藤井明(のちのふじいあきら)が遁走する。
    • 2002年(平成14年) - BS-i『Mr.マリック 世界・魔術大博覧会』で3夜連続6時間に渡り、世界の魔術の歴史、その時代ごとのマジシャンたちの英知を詳細に解き明かした番組を放送する。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月 - TBS『Mr.マリックvs全米No,1氷男デビット・ブレイン!』放送。
    • 2月 - テレビ東京『たけしの誰でもピカソ Mr.マリック超魔術スペシャル第4弾』が放送された。
    • 3月 - TBS「オールスター感謝祭'02超豪華!クイズ決定版この春お待たせ特大号」で6人目の代役MCを務めた。
    • 4月 - 日本テレビ『エンタの神様』で「松尾幻燈斎」という、またも違うキャラクターに変身し、12月までレギュラー出演。仙人のキャラクターで自然を相手に超魔術を見せる。この際は「超魔術」ではなく、「気の極み」と松尾幻燈斎は語っていた。
    • 6月15日 - 岐阜市より長良川鵜飼大使を委嘱される[10]2013年8月現在も有効)。
    • 8月 - テレビ東京『たけしの誰でもピカソ Mr.マリック超魔術スペシャル第5弾』を放送。フジテレビ『Mr.マリックの大冒険南極大陸!果てしなき超魔術の旅』では、南極大陸でペンギンを消す超魔術を見せた。
    • 10月 - TBS『Mr.マリックVS“全米最強"クリス・エンジェル超魔術頂上決戦!』では、他国のマジシャンと初対決。
  • 2004年(平成16年)1月 - TBS『Mr.マリックVS新庄&芸能人大スター軍団対決新春スペシャル』では、新庄剛志を初の総合司会者として起用。
  • 2005年(平成17年)
    • 4月 - NHK『お昼ですよ!ふれあいホール』で、「今日の現象!」コーナーにレギュラー生出演。
    • 4月・10月・12月 - TBS『Mr.マリック対芸能能人大スター軍団』を放送。
  • 2006年(平成18年)
    • 月日未確認 - 朝日放送笑いの金メダル』でゲスト出演。
    • 8月29日 - フジテレビ『Mr.マリック VS 世界の超人 異種格闘技戦』を放送。ほか他局でも、趣向の違ったスペシャル番組4本を精力的に制作した。

2010年代

2020年代


  1. ^ 公式ウェブサイトのプロフィール[1]には、「サイキックエンターテイナー」ではなく「サイキックエンターティナー」と記されている。
  2. ^ テーブルホッピング(table hopping、テーブルホップ)とは、会場内の各テーブルを演者が巡って出し物を披露する演出形態をいう。ホッピングで跳ね回ることになぞらえて、そのように呼ばれている。
  3. ^ 彼の出身地である岐阜市内に、手力雄神社と、その最寄り駅である手力駅名鉄各務原線)があるものの、それらとの関連は不明。






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