赤十字社 歴史

赤十字社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 04:47 UTC 版)

歴史

設立

アンリ・デュナン。『ソルフェリーノの思い出』を執筆し、赤十字設立を提唱した
1864年ジュネーヴ条約の原本

赤十字社の創設者は、スイス・ジュネーブ出身のアンリ・デュナンである。デュナンは1859年、北イタリアソルフェリーノの戦いに遭遇し、その悲惨さに大きな衝撃を受けた。帰国したデュナンは1862年、『ソルフェリーノの思い出』を出版し、その中で「各国に、戦争となった際に戦いの犠牲者たちを救援する組織を設けること」「戦闘による負傷者や、その負傷者の救援にあたる者を、戦闘に加わるいずれの側からも保護する法を定めること」の二つを提案した。

デュナンのこの提案は大きな反響を呼び、1863年2月にはジュネーブにおいて、デュナン、アンリ・デュフールギュスターブ・モアニエ、ルイ・アッピア、テオドール・モノアールの5人によって「国際負傷軍人救護常置委員会」(五人委員会。現・赤十字国際委員会)が発足した。この5人はそれぞれ赤十字の設立に大きな役割を果たした。デュナンは赤十字をはじめて構想した人物であり、また優れた行動力で各国において赤十字の必要性を説き、支持を獲得していった。デュフールは1847年分離同盟戦争においてスイスの分裂を防いだ名将であり、またこの時に捕虜や負傷者に対し人道的な対応を取ったことですでに名声を確立していた。この名声と各国への人脈から五人委員会の委員長となり、草創期の赤十字運動において指導的な役割を果たした。モアニエは弁護士であり、赤十字運動の理論化と組織化に力を尽くして、1910年に亡くなるまでこの運動の中核を担い続け、赤十字の育ての親ともいわれる。アッピアは戦傷外科の権威であり、自らも医師として積極的に救護に出向くとともに、医学的な方面から助言を行った。モノアールも外科医であり、指導層だけでなく一般市民への広報を重視していた[19]

1863年3月には五人委員会において、委員会自身ではなく各国がそれぞれ民間救護団体を設立するという方針が確立され、同年8月にはジュネーブでこの問題に関する会議を10月に開催することが決定された。これを受け各委員は各国に精力的な呼びかけを行い、10月には予定通りジュネーブにおいて、スイス、イギリスフランスイタリアスペインオランダスウェーデンロシアオーストリアプロイセンバーデンバイエルンハノーファーヘッセン・カッセルザクセンヴュルテンベルクの16カ国が参加する会議が開かれ、このとき各国に救護団体を設立することが決定し、赤十字標章等を定めた赤十字規約が採択された[20]。またこのとき、オランダ代表からこの団体の中立が議題に提出され、採択されることで中立原則が確立した。この会議が終わるとすぐに救護団体設立の動きが本格化し、同年12月にはヴュルテンベルク王国において世界初の赤十字社が設立され、翌1864年2月には現存する最古の赤十字社であるベルギー赤十字社が設立[21]。その後も続々と多くの国がこの精神に賛同して救護団体を設立していった。同年2月にデンマークとプロイセンの間で第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発すると委員会はアッピアらを視察団として両国に派遣し、多くの知見を得た。1864年8月にはスイスなど16カ国が参加した外交会議で、陸戦に適用される「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(最初のジュネーブ条約)が審議され、スイス、フランス、イタリア、プロイセン、オランダ、デンマーク、スペイン、ポルトガルベルギー、バーデン、ヘッセン・カッセル、ヴュルテンベルクの12カ国が調印して発効した[22]。これは国際人道法の嚆矢とされている。その後欧州諸国は続々とこの条約を批准していき、1865年にはオスマン帝国が条約を批准、1868年には同国に救護団体が設立されるなどキリスト教圏以外にも運動は拡大していった。

発展

創立者のデュナンは1867年に破産して同年五人委員会を辞職し運動から身を引かざるを得なくなったものの、その後も赤十字運動は順調に発展していった。1867年にはパリにおいて傷者救護社の国際会議(のちに第一回赤十字国際会議と呼ばれる)が開催され、1869年にはベルリンにおいて第二回会議が開催された。上記のとおり1870年代には各国の救護団体の多くが赤十字社と改称し、以後赤十字社がこの団体の正式名称となった。この流れに伴い、1875年には国際負傷軍人救護常置委員会が赤十字国際委員会と改称した。また同年、バルカン半島における紛争においてオスマン帝国が赤新月を赤十字の代わりのマークとして使用し、これがイスラム圏における赤新月マーク使用の端緒となった。

明治時代の日本赤十字本部
東京都港区芝大門にある現在の日本赤十字社本部

日本においては、1877年明治10年)に旧龍岡藩主で元老院議官の大給恒と、同じく元老院議官佐野常民博愛社を結成し、同年の西南戦争において救護活動を行ったことが赤十字運動の嚆矢となっている[23]。一方、軍部内においては大山巌が積極的にジュネーブ条約への加入を推進し、1886年(明治19年)には日本は東アジア初のジュネーブ条約加盟国となった。これを受けて博愛社は翌1887年5月20日に日本赤十字社へと改称し、9月2日には赤十字国際委員会から正式に承認されて赤十字の一員となった[24]

1899年にはオランダのハーグにおいて万国平和会議(ハーグ平和会議)が開催され、ハーグ陸戦条約が締結されるとともに、「海戦に適用するジュネーブ条約」が成立し、これによってジュネーブ条約の適用は海戦にも拡大され、赤十字社の活動は海上にも及ぶようになった。こうした赤十字の活動の着実な拡大によって、1901年には赤十字の創立者であるアンリ・デュナンが第1回のノーベル平和賞を受賞した。1906年にはジュネーブ条約が改正され、「傷病者の状態改善に関する第2回赤十字条約」が締結された。また、1907年にはハーグ陸戦条約が改定された。

1914年には第一次世界大戦が勃発し、多くの加盟国が戦争に巻き込まれた。この大戦において各国赤十字が救護活動を行う中、赤十字国際委員会は各国に大量に発生した捕虜の救済活動を活発に行い、その功績によって1917年には赤十字国際委員会がノーベル平和賞を受賞した。

1919年に第一次世界大戦が終結すると、赤十字は大戦中に明らかになった多くの問題の改善に取り組んだ。同年にはアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本の5カ国代表により各国の赤十字社の連絡調整を目的とする赤十字社連盟パリに設立された。また、1929年にはジュネーブ条約がふたたび改正され、「傷病者の状態改善に関する第3回赤十字条約」が締結された。この条約によって、イランの赤獅子太陽が赤十字のマークに正式に加えられた[25]。同年、それまで不備な点の多かった捕虜の待遇改善を目的とする「俘虜の待遇に関する条約」も締結された。

1939年第二次世界大戦が勃発すると、ふたたび多数の加盟国間で戦闘が行われることになった。赤十字社連盟本部は同年パリから中立国・スイスのジュネーブに移転した。赤十字は第二次世界大戦中も活発に救護活動を行い、1944年にはこの功績によって赤十字国際委員会が2回目のノーベル平和賞を受賞した。しかし、第二次世界大戦においては多くのジュネーブ条約違反が横行し、また膨大な数の戦闘員・非戦闘員が命を落とすこととなった。

第二次世界大戦の結果を受け、1949年8月12日にはこれまでの4つのジュネーブ条約(赤十字諸条約)を統合し、「戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」(ジュネーヴ第一条約、傷病者保護条約)、「海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」(ジュネーヴ第二条約、難船者保護条約)、「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」(ジュネーヴ第三条約、捕虜条約)、「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」(ジュネーヴ第四条約、文民条約)のジュネーヴ四条約が新たに制定された。この条約によって戦争時の民間人の保護や内戦時における保護規定、違反に対する罰則規定などが定められ[26]、赤十字の権限は大きく拡大した。1963年には赤十字は設立100周年を迎えたため、この100年間の貢献に対して赤十字国際委員会、赤十字社連盟にともにノーベル平和賞が贈られた。1965年には赤十字の基本7原則が制定された[3]1977年には、ジュネーヴ四条約において保護されていなかった独立運動レジスタンスに対する保護を目的とするジュネーヴ諸条約第一追加議定書と、内戦・内乱時の保護の拡大を目的とするジュネーヴ諸条約第二追加議定書の2つの追加議定書が採択され、対象はさらに拡大した[27]

1983年には赤十字社連盟が赤十字赤新月社連盟と改称したが、レッドクロス(Red Cross)とレッドクレセント(Red Crescent)の頭文字が共通なので略称は変わらなかった。1991年には赤十字赤新月社連盟にそれまで存在しなかった「国際」の名が追加され、「リーグ」から「フェデレーション」へと変更されて国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)と改称した。さらに2005年、赤十字と赤新月に加えて新たに赤水晶を標章と定めた第3追加議定書が採択された[28]。2014年、「国際4つの自由賞」受賞[29]


注釈

  1. ^ これにより、中華民国紅十字会は中国の赤十字社として承認されていない。
  2. ^ 王制当時のイランにおける「イラン赤獅子太陽社」・イラン革命で王制が倒れて以後の1980年からは使用されていないが、国際条約や関係法令の条文上には現在も残っており、正式に「保護標章」として用いることが可能である。
  3. ^ ただし、中の白地部分に独自のマークを入れて用いるのはあくまでも「表示標章」としての場合に限られ、「保護標章」としては赤水晶を単独で用いる必要がある・詳細は日本赤十字社『赤十字と国際人道法普及のためのハンドブック』p.28-30および井上忠男『第2版 医師・看護師の有事行動マニュアル』第7章を参照
  4. ^ ダビデの赤盾や赤水晶については明文規定がないが、「これらに類似する記章若しくは名称は、みだりにこれを用いてはならない。」とされている。

出典

  1. ^ Annual Report 2019 - International Federation of Red Cross and Red Crescent Societies”. IFRC. 2020年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。
  2. ^ https://www.jrc.or.jp/about/naritachi/ 「国際赤十字の成り立ち」日本赤十字社 2017年5月13日閲覧
  3. ^ a b https://www.jrc.or.jp/about/principle/ 「赤十字基本7原則」日本赤十字社 2017年5月13日閲覧
  4. ^ 「戦争と救済の文明史 赤十字と国際人道法のなりたち」p135-136 井上忠男 PHP新書 2003年5月2日第1版第1刷
  5. ^ 土井かおる『よくわかるキリスト教』PHP研究所、2004年、117ページ
  6. ^ 「赤十字標章ハンドブック―標章の使用と管理の条約・規則・解説集」p6-7 東信堂 2010年3月
  7. ^ 「赤十字標章ハンドブック―標章の使用と管理の条約・規則・解説集」p8 東信堂 2010年3月
  8. ^ 『知っていますかこのマークの本当の意味』日本赤十字社、2018年4月1日、10頁。 
  9. ^ 赤十字新聞 第794号 2006年7月1日発行
  10. ^ 「赤十字標章ハンドブック―標章の使用と管理の条約・規則・解説集」p14 東信堂 2010年3月
  11. ^ 知っていますか?このマークの本当の意味
  12. ^ 赤十字マーク誤用しないで 「法律違反」と日赤 共同通信(47NEWS)、2008年5月2日
  13. ^ 「知っていますか?このマークの本当の意味」日本赤十字社 2007年1月初版発行
  14. ^ 地図記号一覧国土地理院
  15. ^ 地図記号:病院
  16. ^ 地図記号:保健所
  17. ^ 2009年11月27日ニュースニュージャパンキックボクシング連盟
  18. ^ 商標審査基準 第4条第1項(不登録事由) 第1項第4号(赤十字等の標章又は名称)
  19. ^ 「戦争と救済の文明史 赤十字と国際人道法のなりたち」p48-54 井上忠男 PHP新書 2003年5月2日第1版第1刷
  20. ^ 「戦争と救済の文明史 赤十字と国際人道法のなりたち」p59-62 井上忠男 PHP新書 2003年5月2日第1版第1刷
  21. ^ 「戦争と救済の文明史 赤十字と国際人道法のなりたち」p63 井上忠男 PHP新書 2003年5月2日第1版第1刷
  22. ^ 「戦争と救済の文明史 赤十字と国際人道法のなりたち」p80-81 井上忠男 PHP新書 2003年5月2日第1版第1刷
  23. ^ https://www.jrc.or.jp/about/history/ 「歴史・沿革」日本赤十字社 2017年5月12日閲覧
  24. ^ https://www.jrc.or.jp/about/plaza/display/vol12/ 「赤十字情報プラザ 展示紹介一覧 vol.12 国際舞台にデビュー」日本赤十字社 2017年5月12日閲覧
  25. ^ 「戦争と救済の文明史 赤十字と国際人道法のなりたち」p209 井上忠男 PHP新書 2003年5月2日第1版第1刷
  26. ^ 「戦争と救済の文明史 赤十字と国際人道法のなりたち」p232-233 井上忠男 PHP新書 2003年5月2日第1版第1刷
  27. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/k_jindo/naiyo.html 「ジュネーヴ諸条約及び追加議定書の主な内容」日本国外務省 2017年5月13日閲覧
  28. ^ https://www.jrc.or.jp/about/humanity/history/ 「国際人道法のあゆみ」日本赤十字社 2017年5月13日閲覧
  29. ^ 「国際4つの自由賞2014」~赤十字の活動が表彰されました|日本赤十字社” (日本語). www.jrc.or.jp. 2019年2月15日閲覧。
  30. ^ 日本赤十字新聞
  31. ^ “ガザ、救急車も標的。11台破壊、医療関係者44人死傷”. Asahi.com (朝日新聞社). (2009年1月9日). https://www.asahi.com/special/09001/TKY200901090007.html 2012年6月7日閲覧。 
  32. ^ “シリア赤新月社、ホムスに初の支援物資届ける 車両狙った攻撃も”. AFP (フランス通信社). (2014年2月9日). https://www.afpbb.com/articles/-/3008094 2014年2月12日閲覧。 
  33. ^ 赤十字への攻撃辞さず=タリバンが声明-アフガン”. 時事通信社 (2018年8月15日). 2018年8月19日閲覧。
  34. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3397869?cx_amp=all&act=all






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