泡盛 歴史と現状

泡盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 23:29 UTC 版)

歴史と現状

團團珍聞』明治12年5月24日
琉球処分

歴史

酒の蒸留技術は14世紀後半から15世紀頃にシャム国(現在のタイ)から琉球に伝えられた。それとともに蒸留器、タイ米、貯蔵用のなどがもたらされた。琉球の気候に最適な黒麹菌の導入などの改良によって、新たな蒸留酒、つまり泡盛が誕生したと考えられている。

1460年第一尚氏王統尚泰久王李氏朝鮮に使者を派遣した時、朝鮮国王・世祖天竺酒を贈っている[41]。天竺酒の製法について、「桄榔樹の漿、焼きて酒を成す」[42]と記されているので、サトウヤシ(桄榔)を原料としたヤシ酒(蒸留酒)、おそらくアラックのようなものだったのであろうと考えられる。

また、1478年、朝鮮漂着民が沖縄本島那覇での見聞として、清酒、濁酒、さらに南蛮酒があり、この南蛮酒の味は、朝鮮の焼酒のようであるとの記述がある[43]

1534年、明からの冊封使・陳侃が琉球に赴いた時の記録『陳侃使録』に、「南蛮(南番)酒」のことが記されている。この南蛮酒は暹羅(シャム、タイ)からもたらされたものであり、醸法は中国の露酒であると記されている[4][44]

米を原料とした蒸留酒が沖縄でいつ造られるようになったのかは定かではない。東恩納寛惇が1941年の『泡盛雑考』等の論考で、タイには類似の蒸留器が見られたことから、「ラオロン」が起源ではないかと推測して以来、この説が有力である[45][46]

泡盛は、15世紀から19世紀まで、奉納品として中国と日本の権力者に献上されていた。日本へは、1609年琉球侵攻により琉球を実質的に支配していた薩摩藩島津氏を通して江戸幕府に献上された。最も早い例としては、『徳川実紀[注 3]慶長17年(1612年)12月26日の条[47]及び慶長19年(1614年)7月19日の条[48]にそれぞれ島津家久が琉球酒二壺を献じたとの記録がある[4]

沖縄戦では多くの酒造場が被害を受け、終戦後には原料の米も食料用すら不足する状態で泡盛の製造ができなくなり、燃料用アルコールを飲む者までいたという。

米軍統治下では酒造りは禁止されていたが、実際はイモや糖蜜、ソテツなどを原料とする密造酒が作られていた[18]米国軍政府は後任の酒造所の必要性を認めて1946年に官営の酒造工場(酒造廠)5か所を設置した[18]。問題は沖縄戦の影響で各酒蔵で黒麹が消失していたことにあった。しかし、本島南部の咲元酒造(当時の名は佐久本酒造場)が焼け残っていた筵から黒麹の培養に成功し、これを各酒造場に供給したため泡盛造りも徐々に復興した。このため、咲元酒造の当時の2代目の佐久本政良は「泡盛復興の父」と呼ばれる[49]。泡盛復興の過程で米軍が不要となり放出したビール瓶やウイスキー瓶に泡盛を詰めて販売したため、現在でもその名残で、本来540mlである3瓶が600ml入りになっていたり、ウイスキー瓶に似た茶色の瓶に詰められていたりする泡盛が存在する。また、一部の例外を除けば前述の理由により各酒造場が同じ系統の麹を用いているため味の差異が出しにくいという問題もある。

いわゆる「アメリカ世」(ゆ)ではビールやウイスキーが普及し、一時は数百場あった泡盛の蔵元は大きく減った。

1970年代には焼酎の酒造技術が積極的に取り入れられ、国税事務所には専門の鑑定官が設置されるようになった[18]。沖縄県酒造組合の集計によると、2017年の泡盛出荷量は前年比5.3%減の1万7709キロリットル(沖縄県内出荷が8割以上で、海外出荷は28キロリットル)。2004年のピーク(2万7688キロリットル)から13年連続の減少となった。北海道から九州まで、沖縄料理店や店舗・通信販売で泡盛が広く飲まれるようになった半面、酒類の安売り規制による値上がりや嗜好の多様化で、沖縄県内でも泡盛消費は減っている[50][51]

生産地

沖縄県内には47の酒造所(2018年時点)があり、泡盛の製造地域は、大きく分けて酒造組合のある6つの地域(沖縄本島の北部と中部と那覇・南部、久米島宮古八重山)に分けられる。なお、大東諸島明治時代に伊豆諸島からの移民が開拓した島であるため、泡盛の製造は行われていない。各地域の酒造所は以下のとおり。

本島北部
11(伊平屋酒造所、伊是名酒造所、恩納酒造所、崎山酒造厰、金武酒造、今帰仁酒造、やんばる酒造、山川酒造、ヘリオス酒造、龍泉酒造、津嘉山酒造所)
本島中部
5(新里酒造神村酒造比嘉酒造、琉球泡盛古酒の郷、北谷長老酒造)
本島南部
13(石川酒造場、上原酒造、まさひろ酒造、宮里酒造所、久米仙酒造、津波古酒造、瑞泉酒造、識名酒造、咲元酒造、瑞穂酒造、沖縄県酒造協同組合、神谷酒造所、忠孝酒造
久米島
2(久米島の久米仙米島酒造所
宮古
6(渡久山酒造、宮の華、多良川、沖之光酒造、池間酒造、菊之露酒造)
八重山
10(仲間酒造所、請福酒造八重泉酒造、玉那覇酒造所、高嶺酒造所、池原酒造所、波照間酒造所、国泉泡盛崎元酒造所入波平酒造[52][53]

本島北部は小規模な酒造所が多く、流通量は多くない。本島中部、南部は、戦後、首里地区から移転した酒造所等もあり、比較的近代的、大規模な酒造所が多い。中心都市であり、琉球王朝の王府のあった首里地区を有する那覇市の酒造所の泡盛がよく流通している。琉球王朝時代、首里地区の首里三箇の酒造所のみ公認であったため、狭い地域に集中していた。しかし、沖縄戦で壊滅し、首里に戻って製造する蔵元は少数に留まった。

宮古諸島の酒は口当たりがよく飲みやすいものが多く人気が高い。宮古島は、酒豪が多い沖縄県でも特に酒に強い人が多いとされており、オトーリという酒の飲み方は有名である。八重山諸島の酒は離島の小規模業者により生産されていることが多いため、個性的である。

一部のメーカーが、台湾[54]、中国内モンゴル自治区[31]などに酒造所を所有している。 2003年から泡盛のルーツとなったタイ産もち米焼酎の南蛮古酒が、現地タイのトータイネットワーク社から販売となり話題となっている。[要出典]

消費

那覇空港サクララウンジの泡盛サービス
店頭に陳列された宮古島産の泡盛

消費の割合は沖縄県内が8割で他地域が2割と推定される[55]。沖縄県内で一般に流通しているもののアルコール度数は30%であるが、県外への移出や飲みやすさを考慮して25%にしたものが多く、また、減圧蒸留で製造された軽い風味のものも増えつつある。一方、長期熟成用の原酒にはより度数の高いものも多数ある。保管中にアルコール分の揮発等により度数が低くなるためである。伝統的な古酒を造るための原酒として、ろ過を抑えた泡盛も販売されている。新酒では欠点となる成分でも、熟成中に変化して、長所となると考えられているためである。

一般には熟成が3年未満の一般酒が流通する量が多く、多くの蒸留酒で寝かせてから販売されるのが普通であることと比較すると、やや特殊な例に当たる。昭和末までは、ほとんど二、三合瓶、一升瓶で出回り、特に手頃感のある三合瓶に人気があった。三合瓶と称されているが、他の焼酎と異なり、泡盛の容量は600mlである(上記のように沖縄戦後、米軍の放出したビール瓶に泡盛を詰めて販売した名残と言われている)。 本来の三合より多い60ml分は神様またはご先祖様の分とも言われ、飲酒時に一旦氷にかけて供えてから飲む風習もある。 二合瓶、三合瓶とも無色透明のガラス製で、ビール瓶をやや寸詰まりにした形で琉球泡盛という印が刻まれたリサイクル瓶である。瓶も蓋も全銘柄共通で使われ、一升瓶と同じ柄のラベルが貼られていた。現在では、様々な形の瓶やそのまま寝かせるための甕、記念品や土産として琉球ガラス陶器に詰められた泡盛も流通している。

原料米についてもタイや台湾などから輸入のインディカ米を使用する醸造所が大多数を占めているが、日本で育成されたインディカ米やインディカ米とジャポニカ米との雑種等の国産米を使用する動きもある[56]


注釈

  1. ^ माधुरी (madhuri)か?。[要出典]
  2. ^ シェリー酒にも同様の手法があり、ソレラシステムという。
  3. ^ 徳川実紀』は、19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式史書。

出典

  1. ^ 小泉武夫 (2018年4月5日). “タイムス×クロス 琉球の酒と食を愛でる <6>泡盛誕生のきっかけ 麦代用の米が黒麹菌に”. 沖縄タイムス+プラス. https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/229854 
  2. ^ a b 萩尾 2016, p. 3.
  3. ^ 東恩納 1979, p. 325.
  4. ^ a b c 小泉武夫 (2018年4月5日). “タイムス×クロス 琉球の酒と食を愛でる <4>泡盛の原型 古文書にタイ渡来記述”. 沖縄タイムス+プラス. https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/229849 
  5. ^ a b 萩尾 2016, p. 6.
  6. ^ 酒類の地理的表示一覧”. 国税庁. 2019年1月27日閲覧。
  7. ^ a b 地理的GI表示について”. 沖縄県酒造組合. 2019年1月27日閲覧。
  8. ^ 「琉球泡盛」が沖縄産の証(あかし)”. 沖縄県酒造組合. 2019年1月27日閲覧。
  9. ^ 目指せ! ブランド確立! 先進団体に地域ブランドの極意 第5回 登録商標「琉球泡盛」 沖縄県酒造組合連合会”. 沖縄地域知的財産戦略本部. 2019年1月27日閲覧。
  10. ^ “泡盛の出荷が順調に伸びている。04年は製造・出荷量とも過去…”. 八重山毎日新聞. (2005年3月4日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/3/ 
  11. ^ 蔑視ではない「シマー」~「愛称」と理解している~”. 泡盛新聞 (2007年1月). 2019年1月27日閲覧。
  12. ^ シマーグヮー 首里・那覇方言データベース
  13. ^ 萩尾 2016, pp. 4–8.
  14. ^ a b c 泡盛の名前の由来”. 沖縄県酒造組合. 2019年1月27日閲覧。
  15. ^ 『大島筆記』”. 伊波普猷文庫. 琉球大学附属図書館 (2007年1月). 2019年1月27日閲覧。
  16. ^ a b c 川越政則『焼酎文化図譜』(1987年、鹿児島民芸館)pp.132-140
  17. ^ a b 萩尾 2016, p. 5.
  18. ^ a b c d e f なはけいざい Vol.5”. 2021年9月1日閲覧。
  19. ^ 「沖縄産で原料米確保へ 名実共に"琉球泡盛"プロジェクト始動/長粒種を作付け 交付金で収入増」日本農業新聞』2019年11月4日(1面)2019年11月14日閲覧
  20. ^ a b c d 美ら島沖縄 2016.11”. 2021年9月1日閲覧。
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  22. ^ 花酒、泡盛になる|ken_oiwa|note”. note(ノート). 2020年5月25日閲覧。
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  29. ^ “<古酒表示厳格化から1年>泡盛の信頼回復業界「一定支持」 出荷は減少傾向、「道半ば」の声も”. 沖縄タイムス+プラス. (2016年7月30日). https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/54967 
  30. ^ 稲垣真美『現代焼酎考』(岩波新書321、1985年)pp40-42
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  40. ^ 鬼の腕 (うにぬてぃ)”. 『最新版 沖縄コンパクト事典』. 琉球新報社 (2003年3月). 2019年1月27日閲覧。
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  60. ^ “沖縄関係税制の1年延長を要望 内閣府が財務省に 酒税軽減措置など7項目”. 琉球新報. (2020年9月25日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1197187.html 
  61. ^ 沖縄「泡盛」が本土復帰50年で直面した最大の試練(東洋経済オンライン、2021年12月25日)p.3






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