横綱審議委員会 横綱審議委員会の概要

横綱審議委員会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 15:30 UTC 版)

設置

横綱審議委員会は日本相撲協会定款第52条に基づき設置されている[1]

設置のきっかけとなったのは1950年初場所での三横綱の途中休場である[2]。この場所では3日目までに東冨士照國羽黒山の三横綱が途中休場し、前場所の前田山の引責引退もあり横綱批判が強烈になった[3]。場所中に協会は「2場所連続休場、負越しの場合は大関に転落」と決定したが、粗製濫造した協会が悪いと世間の反発をくらい、決定を取り消すことになった[注釈 1]。またこの頃、横綱免許の家元である吉田司家においても代替わりの騒動[注釈 2]が起きており、一時機能不全に陥っていた。そこで、横綱の権威を保つためにも、吉田司家に代わって相撲に造詣が深い有識者によって横綱を推薦してもらおうということとなった。こうして日本相撲協会の諮問機関として同年4月21日に横綱審議委員会が発足した[2][4]

初代委員長は好角家として有名だった元伯爵貴族院議員の酒井忠正[2]。発足直後の夏場所は、東富士が優勝、他の二人も11勝以上と、横綱の奮起を促すこととなった[3]。もっとも、1953年1月場所後に横綱に昇進した鏡里の場合は、協会が事前に横審に諮問せずに先に理事会を開いて横綱昇進を決めたために、横審が協会に対して苦言を呈し[5]、その後は理事会に先立って横審を開催するという手続きが取り決められた。

構成と運営

日本相撲協会定款第52条第3項に基づき委員会の構成及び運営に関し必要な事項は理事会が定めることとなっている[1]

構成

委員会は相撲を最も愛好し、相撲に深い理解を有する各方面の良識者をもって構成される、とされ[6]、その委員は好角家・有識者のうちから協会が委嘱する[7][4]。ただし、協会員は委員となることはできない[8]。かつては20年以上の任期を務める委員もいたが、1997年1月27日の会合で委員は1期2年、最大5期10年と決定された。以後委嘱された委員は10年で退任している。現行の委員の定数は15名以内、任期は1期2年、最長で5期10年までとなっている[4]。委員長は、委員の互選によって選出する[9][4]。委員長の任期は1期2年、最長で2期4年まで[4]

委員は無報酬[4]。稽古総見以外での観覧は各自切符を購入する。国技館では正面審判長のすぐ後ろに溜席があるため、テレビ放送にしばしば映る。近年の制度改正により、就任時期にかかわらず委員の改選時期は、委員本人が自己都合により途中退任する場合を除き任期完了となる年の1月であることが明確化されたようである。

定例会

横審の定例会は、毎本場所番付発表後と千秋楽後番付編成会議前に行うとされ[10]、通常毎場所千秋楽の翌日に開催される[4]。協会からの求めに応じて、委員会は横綱推薦、その他横綱に関する諸種の案件につき協会の諮問に答申し、又はその発議に基き進言する[11]。協会員も会議に出席し発言することができ[12]、理事長以下諸役員が出席する。

昭和期には特に議題が無ければ10分程度で定例会が終了することは珍しくなかったが、守屋委員長時代に議論の活性化を目的に定例会に先立ち30分間の「予備会」が導入されている。

取扱案件

横綱審議委員会は、横綱推薦、その他横綱に関する諸種の案件に関して、協会からの諮問へ答申したり、協会の発議に基づいて進言することを任とする(日本相撲協会定款第52条)[1]

横綱推薦

定例会における最大の議題は、横綱推薦にある。番付編成を所管する審判部が、ある力士を横綱に昇進させたいと判断した場合、審判部長は理事長に当該力士の横綱昇進について審議する臨時理事会の召集を要請し、理事長はこれを受けて横審に当該力士の横綱推薦について諮問する。

1958年(昭和33年)1月6日、横綱審議委員会は横綱推薦の内規を定め発表した[13]。諮問を受けた横審は内規に沿って当該力士が横綱にふさわしいか審査する。横審からの答申を受けて理事長は臨時理事会を招集し、理事会において横綱昇進について決議し、正式に昇進の可否を決定する。横審規則は当初、「理事会は横審の決議に拘束されない」としていたが、現行規則では理事会は横審の「決議を尊重する」となっている[14]。これまで理事会が横審の答申を覆した例はないため[注釈 3]、横審が横綱昇進の事実上の最終審査権を持っていると見られている。

しかしながら、横審が横綱昇進に関する全権を委任されているわけではない。理事長からの諮問がない(=審判部が横綱に昇進させないと判断した)場合、横審は当該力士を「横綱に推薦する」とする答申は行えない[注釈 4]。そのため、横綱昇進に値する成績を残したと見られる力士の横綱昇進が見送られた場合に横審が批判されることがあるが、理事長が諮問をしなければそもそも横審で審議できないのである。

横綱推薦の内規

現行の内規は次の通りである。

  1. 横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群であること。
  2. 大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする。
  3. 第2項に準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする。
  4. 品格については、日本相撲協会の確認に基づき審議する。

「品格」については、次の内規を基準として判断する。

  1. 横綱に推薦する力士の品格は、次の事項を基準としてその良否を判断して行う。
    • 相撲に精進する気迫。
    • 地位に対する責任感。
    • 社会に対する責任感。
    • 常識ある生活態度。
    • その他横綱として求められる事項。
  2. 品格の確認は、上記基準につき当該力士の日常生活の観察および師匠の証言等により判断して行う。
  3. 協会は、確認にあたり判断した状況を添えて、委員会に横綱推薦を諮問する。

内規制定前は目安となる基準はなく、実際1954年(昭和29年)5月場所で優勝し場所後に諮問されながら否決された栃錦のように、当時すでに4人横綱がいたために「強いて横綱を五人つくるほど圧倒的な成績ではない」[15]との番付上の理由で横綱昇進できなかった例がある。

内規の運用状況

第3項の「出席委員の3分の2以上の決議」は、内規発表当初は「全会一致」であった。また「準ずる好成績」とは、常識的に考えれば「準優勝」のことであるが、内規発表直後は具体的に何を指すか定めていなかった。このため、発表当初は以下のような混乱が生じた[13]ため、朝潮の事例を契機に現行の内規に改められた。

  • 1958年(昭和33年)1月場所後の若乃花 - 内規発表直後の事例。この場所を優勝し、前場所も準優勝。大関時代の勝率も高く昇進は文句なしとみられたが、委員の一人(舟橋聖一)が原則論(2場所連続優勝)をかざして異議を唱えたため、「委員長一任」の形で「全会一致」をとり、横綱に推薦した。
  • 1959年(昭和34年)3月場所後の朝汐 - 3場所前に優勝し、直前2場所は準優勝。「強い朝汐と弱い朝汐がいる」と評されたように成績にムラがあり、協会内でも異論があったため理事長は横審に下駄を預ける形で諮問したが、横審は「賛成と反対両論併記」という形で「全会一致」し、理事長に下駄を預け返した。結局朝汐の横綱昇進は認められた。
  • 1961年(昭和36年)9月場所後の柏戸 - この場所大鵬との優勝決定戦に敗れ優勝同点。前場所、前々場所は準優勝ですらなく異論が出たが、「大鵬と柏戸は互角の実力があり、大鵬が横綱推薦なら大鵬と互角の柏戸も横綱に推薦されなければならない」との論法で柏戸の横綱推薦が決まった。
  • 1964年(昭和39年)1月場所後の栃ノ海 - 前場所で優勝したもののこの場所は準優勝ですらなかった。この場所準優勝であった清國は平幕下位で横綱・大関との対戦がなく、「栃ノ海は実質的な準優勝である」と解釈、栃ノ海の横綱推薦が決まった。

内規制定後に実際に理事長が横綱推薦を諮問しながら、横審により横綱推薦が否決され横綱に昇進できなかったのは次の3例がある。もっとも3人とも、その後の活躍により再度の諮問をうけて全員横綱に昇進している。

  • 1968年(昭和43年)5月場所後の玉乃島(5月場所の優勝が「内容に乏しい」と評価され、時期尚早と判断された)
  • 1969年(昭和44年)11月場所後の北の富士(玉乃島の事例と比べて成績で劣る)
  • 1994年(平成6年)9月場所後の貴ノ花(7月場所が「優勝に準ずる成績」でない)

1958年(昭和33年)の内規発表後、1987年(昭和62年)9月場所後に横綱推薦を答申した大乃国までは、「準ずる好成績」を柔軟に解釈し、必ずしも原則である「大関で2場所連続優勝」にはこだわっていなかった。この間に横綱に昇進した18人中、実際に大関で2場所連続優勝を果たしたのは大鵬、北の富士、琴櫻の3名のみである。

なお、この時代に2場所連続優勝により横綱に昇進していない力士もその多くが横綱昇進後に2場所連続優勝を経験しており、1958年の内規制定後に昇進した横綱のうち現役時代を通じて2場所連続優勝の経験がない歴代横綱は下記の双羽黒のほか、朝潮(3代)柏戸栃ノ海佐田の山若乃花(2代)大乃国のみとなっている(このうち、朝潮、柏戸、佐田の山については連続優勝こそないものの通算5回以上の優勝をしており、特に柏戸は大鵬とともに「柏鵬時代」と呼ばれる一時代を築いた)。 また、北の湖千代の富士のように優勝を20回以上記録し、一代年寄を与えられた力士(ただし、千代の富士は辞退)も横綱昇進時は2場所連続優勝によるものではなかった。

しかし、1987年(昭和62年)12月に双羽黒がトラブルを起こし、幕内での優勝がないまま廃業すると、横審委員長の高橋義孝は「今後は「大関で二場所連続優勝」とした横綱推薦内規の第二項以上に「品格、力量抜群」とした第一項を絶対的に尊重していきたい」[16]と述べ、さらに1988年(昭和63年)1月場所後の横審でも「横綱昇進について、いやが上にも慎重でありたい」[17]と申し合わせた。第63代横綱・旭富士がそれ以前の横綱と比較して高いレベルの成績を挙げ続けながら何度も諮問を見送られ、1990年(平成2年)5月場所、7月場所を連続優勝してようやく横綱昇進を果たしたことが前例となり、旭富士以降第70代横綱・日馬富士までは全て2場所連続優勝の成績で昇進している。この間、連続優勝でなければ諮問さえされない場合がほとんどで、例外的に唯一2場所連続優勝でない成績で諮問された貴ノ花は横審で推薦を否決された。

2014年(平成26年)3月場所後、鶴竜の横綱昇進に際して、優勝同点→優勝と、久しぶりに連続優勝以外での昇進を推薦した。2017年(平成29年)1月場所後の稀勢の里は星2つ差の優勝次点→優勝という、以前なら多数決での否決や諮問見送りにもなりかねない成績にもかかわらず推挙されており、「2場所連続優勝に準じる成績」であっても、そのうちの1場所は優勝していなければならないという新たな基準が事実上確立したのではないかと思われたが、貴景勝はそれを2回記録したが昇進できておらず、理由としては1回目が大関実績の少なさ、2回目が当該2場所での勝ち星の少なさとみられている。照ノ富士は、いったん大関から序二段まで陥落してから大関に再昇進し、さらには2021年(令和3年)7月場所後(当該場所は14勝1敗の準優勝)に横綱昇進を果たした。 なお、連続優勝によっての推挙ではない鶴竜以降の横綱についても全員がその後連続優勝を達成している。

その他横綱に関する諸種の案件

日本相撲協会の定款では、横綱推薦のほか、その他の横綱に関する諸種の案件も取扱案件としている(日本相撲協会定款第52条第2項)[1]

横綱審議委員会規則の横綱推薦の内規第5条では、横綱が次の各項に該当する場合は、横審はその横綱の実態をよく調査して、出席委員の3分の2以上の決議により「激励」「注意」「引退勧告」等をなす、とされている[2][18]。ただし、この決議には拘束力はない。

  1. 休場の多い場合。ただし、休場が連続する時であっても、そのけが・病気の内容によっては、審議の上、再起の可能性を認めて治療に専念させることがある。
  2. 横綱としての体面を汚す場合。
  3. 横綱として非常に不成績であり、その位に堪えないと認めた場合。

実際にこの規定に基づいて決議がなされたのは、次の3例がある。

  • 2010年1月場所後、朝青龍に対して「引退勧告」を決議[18]
  • 2018年11月場所後、稀勢の里に対して「激励」を決議[18]
  • 2020年11月場所後、白鵬・鶴竜に対して「注意」を決議[19]

また、内規に基づかない形での決議がなされることもある。平成以降では次の例がある。

  • 1999年9月場所後、若乃花(3代目)に対して「休場を勧告」した。
  • 2002年7月場所後、貴乃花に対して、「翌場所の出場を勧告」した。
  • 2017年11月に引退した日馬富士に対し、12月に「引退勧告に相当する」と決議。
  • 2023年11月場所後、照ノ富士に対し、「翌場所の出場を勧告」した[20]

その他の事項

横綱力士以外の事項については所掌外であるが、好角家・有識者の立場から協会や各力士に対して提言をすることが多々ある。2009年に当時の鳴戸親方が弟子の稀勢の里に出稽古を禁止させていることに、澤村田之助が苦言を呈したり[21]千代大海に石橋義夫や内館が引退勧告を行ったり[22][23]している。また、力士による野球賭博問題に関して2010年NHKの生中継中止を「判断ミス」と批判している[24]。なお、野球賭博問題では横審は完全に蚊帳の外に置かれ、改革等の委員会への参加・出席を依頼されることはおろか、意見などを求められることすらなかった。


注釈

  1. ^ ただし、東富士・照國・羽黒山はいずれもこの時点ですでに一時代を築いた名横綱であったため、彼らの昇進自体が不当だったとする見解は存在しない。
  2. ^ 当時の吉田司家のトップであった24世追風・吉田長善が突然引退した件。このため、当時わずか7歳だった吉田長孝が急遽25世追風を継ぐことになった。
  3. ^ 玉乃島の横綱昇進が否決された際(1968年5月場所後)、当時の理事長であった時津風(元横綱双葉山)は、委員会が反対しても協会は横綱にすることがあるのかとの問いに対し「番付会議で横綱へと圧倒的な意見が出されればそういうこともありうるかも知れない」として、「尊重」といえども答申を覆す可能性があることを示唆している(朝日新聞1968年5月28日付朝刊。もっともこのときは答申通り横綱昇進を見送っている)。
  4. ^ 北の富士・玉乃島の横綱推薦を決めた際(1970年1月場所後)、当時の横審委員長であった舟橋聖一は、「委員会は諮問があれば答申するだけでなく、たとえ諮問がなくても推薦できる権限を持っている。」(朝日新聞1970年1月27日付朝刊スポーツ面)と述べている。しかしながら、手続きの確立していなかった横審初期を除けば、協会からの諮問なしで横審が横綱推薦を決めた例はなく、諮問を受けて横綱推薦を議論するという手続きが現在では確立している。
  5. ^ この一方で、東京場所初日の前日に行われる「土俵祭」の公開や、その終了後に親方衆を講師とした「相撲寺子屋」「相撲塾」の開催などは続いている。

出典

  1. ^ a b c d 日本相撲協会定款 日本相撲協会、2018年11月26日閲覧。
  2. ^ a b c d 塩田勝編『現代用語辞典』金園社、1987年11月、382頁
  3. ^ a b 高永・原田、134~136頁
  4. ^ a b c d e f g h i 横綱審議委員会、最大5期10年報酬なし 日刊スポーツ、2018年11月26日閲覧。
  5. ^ 朝日新聞1953年1月28日付朝刊スポーツ面
  6. ^ 横綱審議委員会規則第4項
  7. ^ 横綱審議委員会規則第6項
  8. ^ 横綱審議委員会規則第5項による。元協会員(退職者)に対してもこの規則は適用される。
  9. ^ 横綱審議委員会規則第10項
  10. ^ 横綱審議委員会規則第9項
  11. ^ 横綱審議委員会規則第2項
  12. ^ 横綱審議委員会規則第11項
  13. ^ a b 高永・原田、180~185頁
  14. ^ 横綱審議委員会規則第3項
  15. ^ 朝日新聞1954年5月25日付朝刊
  16. ^ 朝日新聞1988年1月1日朝刊スポーツ面
  17. ^ 朝日新聞1988年1月26日朝刊スポーツ面
  18. ^ a b c 「激励」右膝負傷で途中休場の稀勢の里に横審が決議 日刊スポーツ、2018年11月26日閲覧。
  19. ^ “横審が3場所連続休場の白鵬と鶴竜に「注意」の決議”. 日刊スポーツ. (2020年11月23日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202011230000592.html 
  20. ^ “【大相撲】照ノ富士に横審が〝出場勧告〟 山内委員長「初場所はぜひ姿を見せてほしい」”. 東京スポーツ. (2023年11月27日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/284109 
  21. ^ 「稀勢の里に横審が異例の注文」 日刊スポーツ2009年3月31日紙面
  22. ^ 「大海に横審が引退勧告、負け越しで休場発表」 デイリースポーツ2009年9月22日紙面
  23. ^ 「大相撲:内館委員、大関陥落・大海に「物言い」--横綱審議委員会」 毎日新聞2009年12月1日 東京朝刊
  24. ^ “相撲協会:NHKの生中継中止を批判 横審・鶴田委員長”. 毎日新聞. (2010年8月25日). http://mainichi.jp/enta/sports/general/sumo/news/20100826k0000m050062000c.html [リンク切れ]
  25. ^ 読売新聞社東京本社刊 『大相撲』 2008年7月号(名古屋場所展望号) 2頁
  26. ^ 高槻ご意見番:外国人力士に負けるより、ルールを曲げるほうが恥。北岡隆浩高槻市市議会議員2006年04月11日
  27. ^ 横審、2横綱に初の「注意」決議 日本経済新聞 2020/11/23 18:45 (2020年11月24日閲覧)
  28. ^ 相撲協会の「外国人親方はダメ」ルール誕生の背景が、ヘイトスピーチすぎて愕然 週刊女性PRIME 2020/12/1 (文・和田靜香、2020年12月5日閲覧)
  29. ^ 『こっそり休場』の鶴竜、これで19回目…少しずうずうしすぎると思いませんか【北の富士コラム】 中日スポーツ・東京中日スポーツ 2021/1/10 (2023年5月14日閲覧)
  30. ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版) pp.8-9
  31. ^ “無料なのに 横審総見、国技館はガラガラ…内容も低調”. スポーツニッポン. (2011年4月29日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/04/29/kiji/K20110429000722950.html 
  32. ^ 「横審稽古総見は一般公開せず」 日刊スポーツ2012年7月16日
  33. ^ 横審委員ら、白鵬張り手なし「ほっとした」初日総見 日刊スポーツ、2018年11月26日閲覧。
  34. ^ a b c 横審が6場所出場停止の朝乃山に”恩赦”議論「なんとかならないのかという意見が出た」」『東京中日スポーツ』2022年1月24日。2022年1月24日閲覧。
  35. ^ 春場所で綱取りの貴景勝 横審の高村委員長「レベルが高い優勝ということを我々の中から言う人はいないのでは」と私見 - スポーツ報知 2023年1月23日
  36. ^ 歴代文部科学副大臣”. 文部科学省ホームページ. 文部科学省大臣官房総務課. 2023年9月9日閲覧。
  37. ^ a b 横審新メンバーに紺野美沙子氏と池坊保子氏 女性委員は内館牧子氏以来」『日刊スポーツ』2022年3月31日。2022年3月31日閲覧。
  38. ^ a b 元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え「雷部屋」62年ぶり復活 入間川親方4月定年」『日刊スポーツ』2023年1月26日。2023年1月26日閲覧。
  39. ^ a b c 相撲』2020年6月号、ベースボール・マガジン社、2020年、122頁。 
  40. ^ 衆議院歴代議長・副議長一覧”. 衆議院ホームページ. 衆議院事務局庶務部広報課. 2023年9月9日閲覧。
  41. ^ 横綱審議会委員に仏文学者の鹿島茂氏」『産経新聞』2024年2月1日。2024年2月1日閲覧。
  42. ^ “横審新委員にJT会長で元官僚丹呉氏、総数変わらず”. 日刊スポーツ. (2019年2月8日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201902080000580.html 2019年2月8日閲覧。 
  43. ^ 横審、白鵬は7月の結果で最終判断 方針を維持 照ノ富士の綱とりに期待」『SANSPO.COM』2021年5月24日。2021年5月25日閲覧。
  44. ^ 任期満了の横審・高村委員長、3場所連続休場の横綱照ノ富士に「できるだけ早く土俵に戻ってきてほしい」」『サンケイスポーツ』2023年1月23日。2023年1月23日閲覧。


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