御幸道路 御幸道路の概要

御幸道路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 08:56 UTC 版)

御幸道路交差点付近(2013年4月、伊勢市楠部町)
地図

全長はおよそ5.5km、徒歩1時間半程度である[5]。沿道には、御木本幸吉による寄付で整備された街路樹[6]や、篤志家によって献灯された石灯籠が並んでいる[7]。また、沿道には史跡が点在する[8][9]。外宮前から伊勢商工会議所前までは官庁街[10]、外宮と内宮の中間に位置する倉田山付近は文教地区となっている[8]

路線概要

1900年代(明治時代後期)まで、伊勢神宮の2つの正宮である外宮と内宮を結ぶ道路は限定され、急な坂道を伴う幅の狭い道(伊勢街道(伊勢参宮街道))しかなかった[1]。そこで三重県庁は既存道路改修か新道の建設を検討し、国家の補助を得られる新道の建設を決め、実際に開通したのが御幸道路である[11]。総工費は当時の金額で375,000円余り[注 2]総延長48町(約5.2km)余りであった[12]。開通後、御幸道路は路線バスが運行されるようになり[4]、外宮と内宮を結ぶ伊勢のメインストリートとなった[7]。『伊勢市都市計画マスタープラン』では「内環状軸」(市街地の交通の効率化を図る環状道路)・「外宮・内宮連絡軸」(外宮と内宮を結ぶ都市軸)として伊勢市街における幹線道路として位置付けられ[13]、『伊勢市景観計画』では「景観重要道路」に指定されている[14]

建設時点で「相当ノ道幅及ヒ路面」とすることが決められ、外宮前から錦水橋(きんすいばし)までの区間と猿田彦神社前から宇治橋までの区間に設置された歩道はレンガ敷きとし、路面電車神都線が通る区間の車道石畳舗装が施された[15]。道路幅員は8間(約14.5m)とし、両側に幅1間(約1.8m)ずつ歩道を整備した[12]

路線データ

渋滞する御幸道路(2013年4月、伊勢簡易裁判所前交差点)
  • 起点:三重県伊勢市本町 外宮北交差点[5]
  • 終点:三重県伊勢市宇治今在家町 宇治橋[16]
  • 主な経由地:倉田山
  • 路線延長:5.5km[5]
  • 路線幅員:14.5m[17](2車線、一部4車線)、両側に歩道あり
    • 都市計画上は30mへの拡張を計画しているが、伊勢市都市計画審議会で30mは必要ないと提言されている[18]

歴史

現代の古市街道(伊勢市桜木町)

御幸道路が開通するまでの外宮と内宮を結ぶ主要道路は、岡本町から小田橋、古市を越え、宇治浦田町に至る両宮街道または古市街道と呼ばれる道であり、国道に指定されていた[1]。古市街道は幅員が狭く急勾配であり[1]明治2年(1869年)に明治天皇が初めて神宮へ行幸した際には不便な道路[注 3]が問題視され、以来道路整備が懸案となっていた[3]。そして来たるべき明治天皇の行幸に備え、三重県は1900年(明治33年)に改修予算を計上した[1]。この時、三重県議会は予算案を否決して改修は実現せず、1905年(明治38年)10月に明治天皇の神宮への日露戦争戦勝奉告を控えた臨時県議会の場で地元度会郡選出[注 4]の山中崔十議員は改修を求めたが、県当局はその予定はないと答弁した[1]

ところが翌1906年(明治39年)、県は古市街道の改修か新しい街道の整備を検討し、古市街道より東の倉田山を通る新しい道路の建設を決定した[1]。背後には、神苑会が倉田山に神宮徴古館を建設するなどして神苑化を進めていたこと[注 5]と、倉田山を経由すれば建設費の半額を国庫から補助するとの条件を提示して内務省が倉田山を通すよう求めたことがあった[21]。こうしてルートが確定し、1907年(明治40年)度から1909年(明治42年)度の継続事業として新道の建設予算304,000円が県議会を通過し、1907年(明治40年)6月に用地買収を開始した[15]。買収は地主と県の提示価格のずれによって難航し、着工は同年9月になった[6]。さらに建設工事を請け負った東京の遠藤組は、物価が高騰して入札時の提示金額より大幅に経費が掛かるとして工事を中断してしまい、1907年(明治40年)11月からは三重県の直轄事業として工事を再開した[6]

旧宇治山田市旗
旧宇治山田市章

この建設工事により個人宅をはじめ、内宮の入り口に架かる宇治橋を守護する饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)や四郷村北中村(現・伊勢市中村町)の共同墓地が移転し[6]、1910年(明治43年)3月に完成した[22]。開通後、宇治山田市長や助役、市内の学校に通う生徒らが1里(約3.9km)近くにもなる列を作って市旗を振りながら行進する催しが行われた[6]1911年(明治44年)にはバスが通るようになった[20]。御幸道路沿線の賑わいの一方で、それまで精進落としの町として賑わった古市は次第に衰退することとなった[4][9][20]。とは言え、戦前には30軒ほどの妓楼があり、遊女250人、芸者80人を抱え、地方から若い男性を集めていた[23]

1920年(大正9年)4月の道路法制定に伴い、御幸道路は国道1号となる[24]1929年(昭和4年)、神都建設のための都市計画が発表され、倉田山に神宮競技場を建設するなどの開発計画が持ち上がり、御幸道路の歩道拡幅も盛り込まれた[25]1933年(昭和8年)6月16日に路面の舗装工事に着手、同年の12月末に完工した[26]。伊勢市では最も早い路面舗装であった[27]

戦後1946年(昭和21年)6月13日に宇治山田市都市計画道路3・5・14号(現・伊勢市都市計画道路3・5・14号)として決定される[28]1952年(昭和27年)に国道23号に変更となる[29]1950年代後半になっても宇治山田市周辺で舗装された道路は少なかったため、当時の人々にとって整然とした御幸道路は都会的な雰囲気が感じられたという[7]モータリゼーション到来前であったため、車道は閑散とし広々として見えていた[7]

路線状況

利用状況

全日本大学駅伝対校選手権大会のゴールの様子(2006年11月、宇治橋前)

外宮と内宮の間の往来や、地域住民の通勤通学買い物駅伝大会などの行事の会場など多様な利用が見られる[30]戦後は道路整備が進み、御木本道路(三重県道32号伊勢磯部線)や南勢バイパス国道23号)が開通し、交通量は減少している[31]

交通量[32]
地点 平日12時間 平日24時間
2005年度 ⇒ 2010年度 2005年度 ⇒ 2010年度
伊勢市岩渕二丁目(県道22号) 15,991台⇒12,700台 19,509台⇒17,018台
伊勢市神田久志本町(県道22号) 7,528台⇒ 7,095台 9,184台⇒ 9,507台
伊勢市楠部町(県道37号) 2,026台⇒ 1,880台 2,654台⇒ 2,463台
伊勢市中村町(国道23号) 5,516台⇒ 5,478台 6,558台⇒ 6,301台

スポーツ大会で使用されることもある。熱田神宮と伊勢神宮の内宮を結ぶ全日本大学駅伝対校選手権大会では、最終の8区で御幸道路の全区間が利用される[33]2012年(平成24年)12月1日の「中日三重お伊勢さんマラソン」では、ウォークの部ロングコースでほぼ全区間が使用された[34]


注釈

  1. ^ 『伊勢市史 第四巻 近代編』による記述[1]。正確には県道37号と一部重複する三重県道22号伊勢南島線の区間も含まれる。
  2. ^ 1929年発行の『宇治山田市史』による記述[12]。1968年発行の『伊勢市史』では387,000円余りと記載する[3]
  3. ^ 現在の伊勢市立倉田山中学校から三重県立伊勢高等学校敷地を抜け、皇學館大学の黒門に至る幅員1mほどしかない「赤道」(あかみち)を行幸した[19]
  4. ^ 当時の伊勢は度会郡宇治山田町であり、宇治山田町の市制施行は翌1906年(明治39年)のことである。
  5. ^ 後に御幸道路に編入される外宮前の山田から倉田山までの区間はすでに神苑会が1903年(明治36年)に整備し、開通させていた[20]
  6. ^ 三重県志摩市(当時は志摩郡磯部町)に所在。御幸道路ほどではないが、伊雑宮参道にも灯籠が数基見られる。
  7. ^ 2012年発行の『伊勢市史』による記述[45]。2012年度の三重県に対する包括外部監査の報告書では1964年(昭和39年)解散と書かれている[48]
  8. ^ 事故を起こした路線バスの元運転手は自動車運転処罰法違反の疑いで起訴され、2018年(平成30年)11月19日津地方裁判所は元運転手に禁錮1年6か月、執行猶予3年の判決を下した[44]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 伊勢市 編(2012):第4巻549ページ
  2. ^ a b 伊勢文化舎(2008):108ページ
  3. ^ a b c 伊勢市 編(1968):509ページ
  4. ^ a b c 宮本 編(2013):252ページ
  5. ^ a b c d e f 学研パブリッシング(2013):40ページ
  6. ^ a b c d e 伊勢市 編(2012):第4巻551ページ
  7. ^ a b c d 伊勢高等学校50周年記念事業実行委員会(2006):222ページ
  8. ^ a b c d e f g h i 御幸道路沿線の史跡を訪ねる その1 - ふるさと三重、再発見の旅”. 三重県観光連盟. 2013年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。 “Archive.isによる2013年4月23日現在のアーカイブページ。”
  9. ^ a b c 人文社観光と旅編集部 編(1974):52ページ
  10. ^ 「深夜の騒音、苦情が殺到 県道舗装工事が中断 伊勢市」朝日新聞1999年7月10日付朝刊、三重版27ページ
  11. ^ 伊勢市 編(2012):第4巻549 - 551ページ
  12. ^ a b c d e f g 宇治山田市役所 編(1929):797ページ
  13. ^ 伊勢市"伊勢市都市マスタープラン全体構想 第4章将来都市構造 2 軸の形成"(2013年9月7日閲覧。)
  14. ^ 伊勢市(2013):60ページ
  15. ^ a b 伊勢市 編(2012):第4巻550 - 551ページ
  16. ^ a b c d e 学研パブリッシング(2013):41ページ
  17. ^ ワークス 編(1997):72ページ
  18. ^ 伊勢市都市計画審議会(2010):11ページ
  19. ^ 伊勢高等学校50周年記念事業実行委員会(2006):11, 12, 15ページ
  20. ^ a b c ブリーン(2015):55ページ
  21. ^ 伊勢市 編(2012):第4巻550ページ
  22. ^ 宇治山田市役所 編(1929):796ページ
  23. ^ 宮本 編(2013):252 - 254ページ
  24. ^ 宇治山田市役所 編(1929):796 - 797ページ
  25. ^ 伊勢市 編(2012):第4巻889ページ
  26. ^ 伊勢市 編(1968):510ページ
  27. ^ 南川三治郎「聖地 伊勢へ 6 神宮徴古館 歴史を映す宝物類」中日新聞2011年9月8日付朝刊、文化11ページ
  28. ^ 都市計画道路/伊勢市”. 伊勢市都市計画課. 2016年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。
  29. ^ 伊勢市 編(1968):585ページ
  30. ^ a b c 伊勢市内道路空間利用のあり方 検討報告書 中間とりまとめ”. 伊勢市内道路空間利用のあり方懇談会 (2015年6月). 2016年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。
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  36. ^ a b c d e f 伊勢志摩経済新聞"伊勢の大鳥居もライトダウン―「ブラックイルミネーション」の一環で"2007年6月21日(2013年9月5日閲覧。)
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  38. ^ 監理課”. 伊勢市 (2011年7月). 2016年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。
  39. ^ "Irish Network Japan - INJ MIE"(2015年4月27日閲覧)
  40. ^ 「大鳥居緑に輝く 日愛友好のライトアップ」伊勢新聞2014年3月13日木曜日(伊勢志摩東紀州)
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  61. ^ 学研パブリッシング(2013):40 - 41ページ


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