内宮線・中山線
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1903年11月、宮川電気では外宮・内宮間の連絡を目指して宇治山田市浦田町までの路線延長出願し、同年12月15日付で、宇治山田市岩淵町字前田から浦田町(宇治地区)までの2.82マイル(4.54キロメートル)と浜郷村大字神田久志本から大字黒瀬までの0.38マイル(0.61キロメートル)の2区間について軌道敷設特許を追加取得した。この路線は、既設線二見線前田停留場から分岐し中山停留場を経て宇治停留場へと至る路線と、中山停留場と二見線二軒茶屋停留場を連絡する路線からなる。3年後の1906年(明治39年)10月16日開業に至った。なお前田 - 宇治間は複線で建設されている。 1907年度から1909年度にかけて、三重県の事業として外宮・内宮間の新道御幸道路が整備された。伊勢電気鉄道では1907年(明治40年)11月12日、宇治山田市豊川町(山田地区)から浜郷村大字神田久志本までの0.83マイル(1.34キロメートル)について敷設特許を取得する。これは御幸道路上の軌道として1909年(明治42年)4月に着工、同年10月1日既設線の南側を通る本町 - 外宮前 - 前田間の路線として開業した。前述の通り、この区間の開業で既設線本町 - 前田間は上り線、新線は下り線という使い分けがなされた。 内宮側の宇治停留場は、猿田彦神社の東側、旧伊勢街道と御幸道路の交差点でおはらい町の入口にあたる場所に位置した。宇治延伸3年後の1912年(大正元年)9月24日、伊勢電気鉄道では宇治山田市浦田町から今在家町までの敷設特許を取得する。同区間は1914年(大正3年)11月14日、宇治停留場から内宮前停留場までの延伸として完成をみた。この内宮前延伸と、御幸道路開通に伴う内宮前までの自動車乗り入れにより、おはらい町では参宮客の減少という影響が表れた。このため1922年以降昭和初期にかけて路線を浦田町止まりに戻す短縮運動が起きている。 ここまで述べた路線のうち、山田駅前から外宮前・前田経由で内宮前に至る路線を「内宮線」、中山 - 二軒茶屋間連絡線を「中山線」という。この区間の停留場には、山田駅前・外宮前・市役所表・会社裏・警察署前・前田・倉田山・中山・松尾・中道・楠部・月読宮・宇治・中之切・内宮前があった(中山線には途中停留場なし、また外宮前 - 前田間は下り線のため前田方面行きのみ停車)。
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