岩倉使節団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 13:17 UTC 版)
目的
使節団の主目的は友好親善、および欧米先進国の文物視察と調査であったが、各国を訪れた際に条約改正を打診する副次的使命を担っていた。明治政府は旧幕府と締約された各種条約を新政府のものとに置き換えるべく明治初年度から順次交渉を続けていたが、1872年7月1日(明治5年6月26日)をもって欧米十五カ国との修好条約が改訂の時期をむかえ、以降1ヵ年の通告を持って条約を改正しうる取り決めであったので、明治政府はこの好機を捕えて不平等条約の改正を図ったのである[4]。だが、法制度が整っていないことやキリスト教禁教政策などを理由に不成功に終わった。
謁見した国家元首
- アメリカ合衆国 大統領ユリシーズ・グラント
- 大英帝国 女王ヴィクトリア
- フランス共和国 大統領アドルフ・ティエール
- ベルギー王国 国王レオポルド2世
- オランダ王国 国王ウィレム3世
- ドイツ帝国 皇帝ヴィルヘルム1世
- ロシア帝国 皇帝アレクサンドル2世
- デンマーク王国 国王クリスチャン9世
- スウェーデン王国 国王オスカル2世
- イタリア王国 国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
- オーストリア=ハンガリー帝国 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
- スイス連邦 大統領ポール・セレソル
派遣使節団
使節46名、随員18名、留学生43名。使節は薩長中心、書記官などは旧幕臣から選ばれた。
使節
- 特命全権大使
- 岩倉具視
- 副使官
- 一等書記官
- 二等書記官
- 三等書記官
- 四等書記官
- 大使随行
- 理事官
- 随行
- 村田新八
- 由利公正
- 原田一道
- 長與專齋
- 安場保和
- 若山儀一
- 阿部潜 - 阿部正蔵の三男[7]
- 沖守固
- 富田命保
- 杉山一成 - 幕臣、検査大属[8]
- 吉雄永昌 - 大蔵理事官、のち工部省官僚[9]。
- 中島永元
- 近藤鎮三
- 今村和郎
- 内村公平
- 大島高任
- 瓜生震 - のち三菱財閥幹部[10]
- 岡内重俊
- 中野健明
- 平賀義質 - 判事。平賀義美の岳父。
留学生
留学生のほとんどは士族だが、清水谷公考、坊城俊章、万里小路正秀(万里小路正房八男)、武者小路実世(武者小路実篤の父)、錦小路頼言は公家出身。以下、それぞれ50音順。
- イギリス留学
- イギリス・フランス留学
- アメリカ留学
- ドイツ留学
- ロシア留学
- 清水谷公考
- 万里小路正秀
- 留学
随員
- 随員
ほか。
- ^ 岩倉使節団 米欧亜回覧の会 岩倉使節団とは?『明治維新政府首脳による西洋文明調査旅行』 2017年2月4日
- ^ 牧原憲夫, p. 102.
- ^ アメリカではグラント大統領、イギリスではヴィクトリア女王、フランスではティエール大統領、ベルギーでは国王レオポルド2世、オランダでは国王ウィレム3世、ドイツでは皇帝ヴィルヘルム1世と謁見した。
- ^ 宮永孝「アメリカにおける岩倉使節団 : 岩倉大使の条約改正交渉」『社會勞働研究』第38巻第2号、法政大学、1992年1月、43-93頁、NAID 110000184475。
- ^ 長野桂次郎国立公文書アジア歴史センター
- ^ 池田寛治国立公文書アジア歴史センター
- ^ 阿部潜国立公文書アジア歴史センター
- ^ 岩倉使節団メンバー(出発時)米欧亜回覧の会
- ^ 吉雄永昌国立公文書アジア歴史センター
- ^ 瓜生震(読み)うりゅう しんコトバンク
- ^ a b “津田塾大学デジタルアーカイブ「津田梅子 4, 五人の女子留学生たち、シカゴにて」”. 津田塾大学. 2022年10月24日閲覧。 “津田塾大学デジタルアーカイブのファイル名:PH011_001”
- ^ 亀田 2005, p. 14
- ^ 三菱UFJフィナンシャルグループ (2009年1月8日). “MUFGのある暮らし 5号” (PDF). 2021年4月18日閲覧。 p.23
- 岩倉使節団のページへのリンク