尾張国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 06:35 UTC 版)
尾張国の合戦
- 1181年:墨俣川の戦い、 平家軍(平重衡) × 源行家
- 1552年:赤塚の戦い、織田信長 × 山口教吉
- 1554年:村木砦の戦い、織田信長・水野信元 × 今川義元
- 1556年:稲生の戦い、織田信長 × 織田信行
- 1558年:
- 1560年:桶狭間の戦い、織田信長 × 今川義元
- 1584年:
現代の尾張地方
尾張地方のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
面積 | 1,686.53km2 |
推計人口 | 5,138,268人 (2024年5月1日) |
※尾張国(愛知県西部)全域。 |
自治体
- 政令指定都市
- 中核市
- 特例市
- 計量特定市
- その他
瀬戸市、尾張旭市、日進市、豊明市、大府市、東海市、知多市、常滑市、小牧市、犬山市、江南市、岩倉市、稲沢市(祖父江町の一部除く)、津島市、愛西市(木曽川西岸の一部除く)、弥富市(鍋田川流域の一部除く)、あま市、北名古屋市、清須市、長久手市、愛知郡東郷町、知多郡東浦町、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町、丹羽郡大口町、扶桑町、西春日井郡豊山町、海部郡飛島村、大治町、蟹江町
呼称
現代でも、「尾張」を地域名として用いることがあり、その場合以下のような異なる範囲が参照される。
- 尾張国と同じ範囲とする場合。
- 尾張国の範囲から、名古屋市(県庁所在地)を除く場合。
- 数的規模などの面から、名古屋市を分けて記述したり、組織編成したりする場合に「名古屋・尾張(名古屋を除く)」などと区分する。
- 尾張国の範囲から、名古屋市と知多半島を除く場合。
- 地域性や文化などの面から、「名古屋・尾張・知多」と区分する。
- この場合に置いて尾張国を細分化した場合、地域区分は必ずしも一定していないが、区分表記に当たっては、尾張の頭に方角を付けるほか、「尾東」「尾西」「尾北」という表記もある。また、知多半島を「南尾張」とする表記も見られるが、「尾南」という表記は見られない。
- 尾張国の範囲から、知多半島のみを除く場合。
- 気象注意報・警報の地域区分や知多地域の案内などに見られる。この場合、「尾張・知多(愛知県西部・知多)」と区分する。
地形
交通
現在では、名古屋から東海地方、近畿地方(大阪市など)、関東地方(東京都など)や北陸地方(富山市など)への道路や鉄道の路線が分岐しており、交通の要衝となっている。
空港
鉄道
道路
港
市外局番
- 052(名古屋MA)
- 0561(瀬戸MA)
- 0562(尾張横須賀MA)
- 0567(津島MA)
- 0568(春日井MA)
- 0569(半田MA)
- 0586(一宮MA)
- 0587(一宮MA)
自動車ナンバープレート
- 名古屋ナンバー
- 尾張小牧ナンバー
- 一宮ナンバー(ご当地ナンバー:一宮市)
- 春日井ナンバー(ご当地ナンバー:春日井市)
参考
平成の大合併において、尾張東部に属する自治体では市町村合併が行われなかった。対して、尾張西部に属する自治体では市町村合併が相次ぎ、清須市、弥富市、愛西市、北名古屋市、あま市が新たに成立した。
注釈
- ^ 1887年(明治20年)に尾張国に編入。
- ^ いずれも1887年(明治20年)に尾張国に編入。
- ^ 1880年(明治13年)に尾張国に編入。
- ^ いずれも1880年(明治13年)に尾張国に編入。
- ^ 1887年(明治20年)に美濃国に移管。
- ^ 願興寺比定地の尾張元興寺跡(名古屋市中区)の発掘調査では、10世紀以降に出土品は激減するため、この頃願興寺は廃寺に至ったと見られる。 一方、国分尼寺は史料上で11世紀初頭までの存続が確認されるため、10世紀以降は尾張国分尼寺が国分寺に転用されたとする説がある (中世諸国一宮制 & 2000年, pp. 116–117、国分寺(角川) & 1989年)
- ^ これを記念して名古屋城前に加藤清正像が置かれている。一度も城主になったことのない人物が銅像として設置されている珍しい例
- ^ 茂徳と同様に慶勝の実弟。高須四兄弟の一人。
- ^ 幼少時の徳川家康を預かった圧田の名家(東加藤家)。
- ^ 当初、伊勢国における伊勢神宮と同様に別格で一宮とされなかったが、一宮・二宮が定められた後に三宮として追加されたという説、単に国府から遠かったためとする説、真清田神社の積極的な運動によって一宮になったとする説、一宮制度導入時に国司と熱田神宮が対立していた説など。
- ^ 旧中島郡加賀野井村。
出典
- ^ 舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、19頁。
- ^ 鎌田元一「律令制国名表記の成立」、『律令公民制の研究』、塙書房、2001年。
- ^ 田中卓「尾張国はもと東山道か」『田中卓著作集6』(国書刊行会、1986年/原論文:1980年)
- ^ a b c 3章 尾張国分寺跡の概要(稲沢市) & 2014年.
- ^ a b 中世諸国一宮制 & 2000年, pp. 116–117.
- ^ 吾妻鏡 吉川本 建長四年三月.
- ^ 河村昭一「一色氏の分国・分郡における守護・〈郡主〉在職期間」『南北朝・室町期一色氏の権力構造』戎光祥出版、2016年。
- ^ a b 名古屋開府400年記念事業実行委員会『尾張名古屋大百科』 p150-155
- ^ a b 廣江安彦/堀内守『知多半島なんでも事典』新葉館出版 p106-107
- ^ 知多の山車館
- ^ 稲沢市教育委員会編『近世村絵図-解説図』、稲沢市教育委員会、1982、p66
- ^ a b 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 113-114。
- ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 102-113。
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