四諦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 06:41 UTC 版)
仏教用語 四諦(したい) | |
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パーリ語 |
चत्तारि अरियसच्चानि (cattāri ariyasaccāni) |
チベット語 |
འཕགས་པའི་བདེན་པ་བཞི་ (Wylie: 'phags pa'i bden pa bzhi THL: pakpé denpa shyi) |
ビルマ語 |
သစ္စာလေးပါး (IPA: [θɪʔsà lé bá]) |
中国語 |
四聖諦(T) / 四圣谛(S) (拼音: sìshèngdì) |
日本語 |
四諦 (ローマ字: shitai) |
朝鮮語 |
사성제(四聖諦) (sa-seong-je) |
英語 | Four Noble Truths |
モンゴル語 |
Хутагт дөрвөн үнэн (Khutagt durvun unen) |
シンハラ語 | චතුරාර්ය සත්ය |
タイ語 |
อริยสัจสี่ (ariyasat sii) |
ベトナム語 | Tứ Diệu Đế (四妙諦) |
- 苦諦(くたい) - 迷いのこの世は一切が苦(ドゥッカ)であるという真実[4][5][7]。
- 集諦(じったい) - 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実[4][5][7]。
- 滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実[4]。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ[4][7]。
- 道諦(どうたい) - 悟りに導く実践という真実[4]。悟りに至るためには八正道によるべきであるということ[4][5][7]。
苦諦と集諦は、迷妄の世界の果と因とを示し、滅諦と道諦は、証悟の世界の果と因とを示す[5]。
四諦は概ね、十二縁起説の表す意味を教義的に組織したものであり、原始仏教の教義の大綱が示されているとされる[5]。原始仏教経典にかなり古くから説かれ、特に初期から中期にかけてのインド仏教において最も重要視され、その代表的教説とされた[7]。
伝統仏教では、四諦は釈迦が最初の説法で説いたとされている(初転法輪)[5][7]。ただし近現代の仏教研究によれば、四諦は最古層経典には見られず、次の古層経典の段階から「五根」より遅れて「八正道(八聖道)」とともに説かれるようになったことが判明している(仏教#釈迦の修行法)。
四つの真理
苦諦
苦諦(くたい、梵: duḥkha satya, ドゥッカ・サティヤ、巴: dukkha sacca, ドゥッカ・サッチャ[6])とは、迷いの生存が苦であるという真理[1]。苦しみの真理[8]。人生が苦であるということは、仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿とされる。このような人間苦を示すために、仏教では四苦八苦を説く。
四苦とは、根本的な四つの思うがままにならないこと、出生・老・病・死である。これらに、下の四つの苦を加えて八苦という。
- 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する対象と別れること
- 怨憎会苦(おんぞうえく) - 憎む対象に出会うこと
- 求不得苦(ぐふとっく) - 求めても得られないこと
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(身体・感覚・概念・決心・記憶)に執着すること
非常に大きな苦しみ、苦闘するさまを表す慣用句の四苦八苦はここから来ている。
集諦
集諦(じったい、じゅうたい、梵: samudaya satya, サムダヤ・サティヤ、巴: samudaya sacca, サムダヤ・サッチャ[6]または苦集諦(くじゅうたい)とは、欲望の尽きないことが苦を生起させているという真理[1]、つまり「苦には原因がある」という真理。苦しみの生起の真理[8]。 集諦とは「苦の源」、苦が表れる素となる煩悩をいうので、苦集諦ともいわれる。集(じゅう(じふ))とは、招き集める意味で、苦を招き集めるものは煩悩であるとされる。
集諦の原語は samudaya(サムダヤ)であり、一般的には「生起する」「昇る」という意味であり、次いで「集める」「積み重ねる」などを意味し、さらに「結合する」などを意味する。したがって、集の意味は「起源」「原因」「招集」いずれとも解釈できる。
苦集諦とは "duḥkha samudaya-satya" とあるので、「苦の原因である煩悩」「苦を招き集める煩悩」を内容としている。具体的には貪欲や瞋恚(しんに)、愚痴などの心のけがれをいい、その根本である渇愛(かつあい, トリシュナー)をいう。これらは、欲望を求めてやまない衝動的感情をいう。
仏教において苦の原因の構造を示して表しているのは、十二縁起である。十二縁起とは、苦の12の原因とその縁を示している。苦は12の原因のシステムであって、12個集まってそれ全体が苦なのである。だから、無明も渇愛も、苦の根本原因であり、苦集諦である。
滅諦
滅諦(めったい、梵: nirodha satya, ニローダ・サティヤ、巴: nirodha sacca, ニローダ・サッチャ[6]、苦滅諦, くめつたい)とは、欲望のなくなった状態が苦滅の理想の境地であるという真理[1]。苦しみの消滅の真理[8]。修行者の理想のあり方[1]。なお、ニローダはせき止める、制止する、の意味[1]。
道諦
道諦(どうたい、梵: mārga satya, マールガ・サティヤ、巴: magga sacca, マッガ・サッチャ[6]、苦滅道諦, くめつどうたい)とは、苦滅にいたるためには[1]、七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程である八正道によらなければならないという真理[1]。苦しみの消滅に至る道の真理[8]。これが仏道、すなわち仏陀の体得した解脱への道である。
宗派ごとの扱い
有部教学の修証論
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大乗仏教
顕揚聖教論巻七では、四諦の内容を分類して八諦とする[5]。また、小乗の四諦観は不完全であるとするのに対して大乗の四諦観は完全であるとする[5]。小乗の四諦観を有作の四諦と貶称し、大乗の四諦観を無作の四諦と称する[5]。この両方を合わせて八諦ともいう[5]。
法相宗では、滅諦に三滅諦を、道諦に三道諦を立てる[5]。天台宗では四種の四諦(生滅の四諦、無生の四諦、無量の四諦、無作の四諦)を立て、これらを蔵・通・別・円の四教に配当する[5]。
- ^ a b c d e f g h 岩波仏教辞典 1989, p. 360.
- ^ 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.124
- ^ a b 中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、680頁。
- ^ a b c d e f g h 中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、670頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、550-551頁。
- ^ a b c d e アルボムッレ・スマナサーラ 2015, Kindle版、位置No.全2025中 134 / 7%.
- ^ a b c d e f “四諦(シタイ)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年7月23日閲覧。
- ^ a b c d 今枝 2015, p. 92.
- ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』(kindle)Evolving、2018年、Chapt.22。ISBN 978-4804613574。
- ^ 岩波仏教辞典 1989, p. 325.
- ^ パーリ仏典, 律蔵大品犍度 1.大犍度, Sri Lanka Tripitaka Project
- ^ a b 中村元『ゴータマ・ブッダ : 釈尊の生涯』春秋社、1969年。
- ^ 長尾雅人(責任編集) 『世界の名著 1 バラモン経典 原始仏典』 中央公論社、1969年、503-537頁。
- ^ 三枝 2009, p. 197~198.
- 1 四諦とは
- 2 四諦の概要
- 3 仏典における扱い
- 4 脚注
四諦と同じ種類の言葉
- >> 「四諦」を含む用語の索引
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