苦諦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:36 UTC 版)
Idaṃ kho pana bhikkhave, dukkhaṃ ariyasaccaṃ: jāti’pi dukkhā. Jarā’pi dukkhā, vyādhi’pi dukkhā. Maraṇampi dukkhaṃ, appiyehi sampayogo dukkho. Piyehi vippayogo dukkho, yampicchaṃ na labhati, tampi dukkhaṃ. Saṅkhittena pañcupādānakkhandhā dukkhā. (南伝大蔵経)比丘等よ、苦聖諦とは、此の如し、生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり、怨憎するものに曾ふは苦なり、愛するものと別離するは苦なり、求めて得ざるは苦なり、略説するに五蘊取蘊は苦なり。 (参考現代語)比丘たちよ、苦(ドゥッカ)の真理(サッチャ)とは以下である。すなわち、出生は苦である、老は苦である、病は苦である、死は苦である、怨憎するものに会うことは苦である、愛するものと別居するのは苦である、求めて得られないのは苦である。要するに五取蘊は苦である。 — 大犍度
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苦諦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 17:31 UTC 版)
苦諦(くたい、梵: duḥkha satya, ドゥッカ・サティヤ、巴: dukkha sacca, ドゥッカ・サッチャ)とは、迷いの生存が苦であるという真理。苦しみの真理。人生が苦であるということは、仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿とされる。このような人間苦を示すために、仏教では四苦八苦を説く。 四苦とは、根本的な四つの思うがままにならないこと、出生・老・病・死である。これらに、下の四つの苦を加えて八苦という。 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する対象と別れること 怨憎会苦(おんぞうえく) - 憎む対象に出会うこと 求不得苦(ぐふとっく) - 求めても得られないこと 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(身体・感覚・概念・決心・記憶)に執着すること 非常に大きな苦しみ、苦闘するさまを表す慣用句の四苦八苦はここから来ている。
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