NSU (曖昧さ回避)
NSU
- かつてドイツに存在したオートバイと自動車のメーカー、NSU。現在のアウディの源流の一つ。
- 2000年代にドイツでテロ活動を行ったネオナチ組織・国民社会主義地下組織(独: Nationalsozialistischer Untergrund)の略称。
- ノースイースタン州立大学
- 新潟青陵大学
- N.S.U. - クリームの楽曲
NSU
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 19:38 UTC 版)
しかしすぐにNSUに再就職し、ここで会社のデザイン部門を発展させる役割を果たした。NSUでのルーテの最初の作品は2世代目のNSU・プリンツ4とNSU・ヴァンケルスパイダーだった。プリンツは、同時代のシボレー・コルヴェアとはっきり似ていた。このプリンツのオリジナルデザインは、BMWが1959年に非常に似たデザインの新しいBMW・700を発表した時に既に完成していた。NSU幹部はデザインの変更を決定し、アメリカから帰国したばかりのNSU経営幹部にコルヴェアのデザインを説明されたルーテは幾つかの要素をプリンツのバスタブ・デザインに取り入れた。 ドイツ経済の成長と共に、NSUは成長するミドルクラスの市場に大きな車で参入することに興味を持っていた。1962年NSUの社長ゲルト・シュティーラー・フォン・ハイデカンプ(Gerd Stieler von Heydekampf )は、自社の革新的な新しいヴァンケル・エンジン技術を搭載した前輪駆動の中型セダンの開発を承認した。エヴァルト・プラクスル(Ewald Praxl)が、白紙の状態から当初 車重800 kg、馬力80 hpと目されていた車の開発のチーフエンジニアに任命された。 ルーテは、ヴァルター・フレーデ(Walter Froede )とゲオルク・ユングブルト(Georg Jungbluth )のエンジニアリング・チームと協調して、フェリクス・ヴァンケルにより生み出されたコンパクトなヴァンケル・エンジンを利用した車のデザイン担当に任命された。エンジニアリング・チームが4輪独立懸架、セミオートマチックトランスミッションやバネ下荷重を軽減するためのリアのインボード・ディスクブレーキ等の革新的な技術を盛り込む一方で、ルーテは大きなグラスハウスを持ったクリーンな楔形の車体をデザインした。Ro80は今でもなお自動車デザインのマイルストーンとなっている。デザインがほぼ確定されるまで風洞実験が行われなかったにもかかわらず、当時としては特筆すべき程低い空気抵抗値0.35しかなかったのである。最終量産モデルでは、この値は更に0.34まで下がった。 「一連の風洞実験の後もボディ外観は一切変更されなかった。しかしながら、我々はエンジンルーム内を通る空気の流れと車室内の空気の排出口に関しては新しい改善点を見出した。 排出口はトランクの後端に移動させることもできたが、改善されるのはそこそこだしそれにかかる費用も馬鹿にならないのでCピラーに残された。」 1967年に新しいRo80がフランクフルト・モーターショーで披露された時、この型破りな楔形デザインは一般受けはしなかった。しかしながら、販売は徐々に改善して行き1969年春には生産量が日産590台まで増えていたにもかかわらず、納車待ちの顧客の名前がリストに連なっていた。不運なことに、革新的なヴァンケル・エンジンに発生した初期生産エンジンにおけるローターシールの著しい磨耗による損傷はNSUに財政的な危機をもたらした。1977年の最終的な生産終了までに37,204台のRo80が生産された。しかしこの時には既に会社自体は、フォルクスワーゲン傘下のアウディの一部分となっていた。 K70は、元々ルーテの手によってプリンツとRo80の隙間を埋めるモデルNSU・K70として生み出されたが、フォルクスワーゲンのNSU買収の結果ルーテのオリジナルデザインに変更を加えてフォルクスワーゲン・K70として1971年に大幅に遅れて市場に出た。
※この「NSU」の解説は、「クラウス・ルーテ」の解説の一部です。
「NSU」を含む「クラウス・ルーテ」の記事については、「クラウス・ルーテ」の概要を参照ください。
「nsu」の例文・使い方・用例・文例
- 英国では『life insurance(生命保険)』を『life assurance』という
固有名詞の分類
- nsuのページへのリンク