WBO王座とWBA王座の統一戦
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「リカルド・ロペス」の記事における「WBO王座とWBA王座の統一戦」の解説
1997年8月23日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWBO世界ミニマム級王者アレックス・サンチェス(プエルトリコ)との統一戦を行い、5回1分58秒TKO勝ちを収め、WBC王座は20度目の防衛、WBO王座も獲得に成功した。その後、WBO王座は防衛することなく返上した。 1998年3月7日、メキシコシティのプラザ・デ・トロス・メキシコでWBA王者ロセンド・アルバレス(ニカラグア)との王座統一戦を行った。前評判ではロペスが圧倒的に有利とされたが、2回にWBA王者の強打を受けてしまい、アマ・プロ通じて初のダウン。辛くも立ち上がり、試合続行に応じたものの、本来の調子とは程遠かった。そして、迎えた7回2分に、偶然のバッティングで右眉毛からまぶたまでをカットし出血する。レフェリーは偶然のバッティングで1点減点を宣言、ドクターは続行の判断をし、残り50秒はファイトという掛け声とともにそのままの続行している。その7回の残り50秒の間に医師と隣に座っていたWBCホセ・スレイマン会長(ちなみにその隣はドン・キング)と傷の深さなど語ったとされる。ラウンド終了後間近で傷を見たトレーナーのナチョ・ベリスタインは、続行不可能と判断、ロペスはガードを高く掲げるポーズで8回開始すぐに戦闘続行の意思を示したものの、ベリスタインはスレイマン会長に状況を訴える。この間会場では観客同士の小競り合いが起こるほど騒然とした状態となる。スレイマンは医師の意見をもう一度確認した後、偶然のバッティングによる負傷判定と決断し結果は8回1-1(67-64、63-68、66-66)薄氷を踏む引き分け。お互いに王座防衛には成功したものの、ロペスは初のダウンを奪われた末に完璧な全勝レコードに初の引き分けを挟むことで傷をつける形になってしまった。しかし無理を押して続行して、相手をKOまでいかなくてもダウンを奪うなど明らかな優位を付ければよく、この時点でベリスタインとスレイマンによって引き分けの判断があったとされロペス優遇という結果に議論が巻き起こることになった。 1998年11月13日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターでWBA世界ミニマム級王者ロセンド・アルバレスと再戦となる王座統一戦を行う予定だったが、アルバレスが体重超過により計量失格となり、WBCは王座統一戦を承認せず、ロペスが勝った場合のみWBA王座が懸かった試合となった。ここでもロペスは5回に右目尻を6回には左目尻をカットし、10回にはレフェリーがドクターストップか負傷判定かと医師に迫るくらいに顔の腫れ切り傷、出血が酷かったため、大苦戦を強いられるものの、12回2-1(116-114、116-112、113-115)の判定勝ちを収めWBA王座獲得に成功した。 1999年、IBF世界ライトフライ級王者ウィル・グリッグスピー(アメリカ合衆国)に挑戦が決定したのに伴い、9月29日付で正式にWBA王座とWBC王座を剥奪された。WBA王座とWBC王座を8年7ヶ月保持し続けてきたミニマム級に別れを告げた。
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