S.S.T.BANDとは? わかりやすく解説

S.S.T.BAND

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 02:50 UTC 版)

S.S.T.BAND
出身地 日本
ジャンル ゲームミュージック
フュージョン
活動期間 1988年 - 1993年
2011年 - 2021年[1]
レーベル サイトロン・レーベル
キングレコード
ウェーブマスター
メンバー 並木晃一ギター
松前公高シンセサイザー&プログラミング)
斉藤昌人(ベース
今井義頼(ドラム
森藤晶司(キーボード
旧メンバー 川口博史(キーボード)
小森伸吾(ベース)
田辺健彦(ドラム)
塚原啓介(キーボード)
光吉猛修(キーボード)
飯島丈治(ギター)
熊丸久徳(ドラム)

S.S.T.BAND(エスエスティーバンド)とは、セガゲームミュージックアレンジし演奏することを目的として1988年に結成された、世界初のゲームミュージック“ライブ”バンドである。

「S.S.T.」とは「Sega Sound Team」の略であり、アルバム『SUPER SONIC TEAM』からは「Super Sonic Team」の略も兼ねている。

本項では、2011年に名前を改め再結成した「Blind Spot」についても記す。

メンバー

☆印は1993年のS.S.T.BAND解散時のメンバー。

名前の後ろはコードネームで、MickeyとHiro以外はすべてセガのコンピュータゲームに由来している。なお、オリジナルアルバム『BLIND SPOT』以降は本名を名乗るようになる。

最終メンバー

旧メンバー

タイムライン

来歴

1987年7月に稼働開始したセガのアーケードゲーム『アフターバーナー』に関連し、同年12月にサンシャインシティでイベント「アフターバーナーパニック」を開催。そのイベントにて、セガのサウンド開発者によるバンドがライブを行い、これが同バンドの前身となる[3]

S.S.T.BAND

1988年7月発売のアルバム『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』にてデビュー。ただしこの時は松前と並木の2人のみ[4]で、その2人も名は前面に出していなかった。翌1989年2月、セガがイベント「メガドライブ スパークリング1989」を東京・名古屋・大阪で開催、そのステージでバンドとしてデビューを果たす。松前は飯島・小森・田辺をバンドに誘い(イベントのパンフレットには松前含むこの4名のコードネームしか書かれていない)、それにセガ社員のHiroと並木が加わる編成となった[4]。同年11月のMZA有明公演においては、7人目のメンバーとして塚原がステージに立ったが、この公演のみの加入となった[3]

その後もライブ活動を重ねるが、1990年に本来プログラマであった小森が多忙のため脱退[4]。後任に斉藤が加入し、アルバム『HYPER DRIVE -G.S.M.SEGA 4-』にてデビュー。バンドは同年開催のゲームミュージックフェスティバル'90で、ZUNTATAとともにステージを踏んだ。

1991年、光吉がHiroと入れ替わりキーボードを担当(Hiro自身は「遅刻が多かったため交代させられた」と述懐[5])。さらに田辺が気胸を発症し、代役として熊丸がドラムを担当、のち正式メンバーとなる[4]1992年発売の完全オリジナルアルバム『BLIND SPOT』からは、全員がサングラスを外し、本名を名乗る。

しかし、セガの所属レコード会社が東芝EMIに移ることとなり、サイトロン・レーベルから離脱するにあたり、1993年の「ゲームミュージックライブ 電撃'93」でのライブを最後に解散した[6]

その後セガは、1993年に並木と光吉によるユニット「B-univ」を結成するも、翌年活動停止。2001年には、Hiroや光吉らによるオフィシャルサウンドユニット「H.」を結成している。また2003年にベストアルバムが発売され、10年ぶりにメンバーが集結して座談会を行う(光吉は不参加)。本来は再結成ライブも視野に入っていたが、このとき再結成は実現しなかった[4]

Blind Spot

2011年、並木の呼びかけで、光吉を除く解散時オリジナルメンバーに加え、キーボードの森藤晶司(コードネーム「Rally」)を新たに迎えた“ほぼS.S.T.BAND”こと「Blind Spot」として18年ぶりに再結成。同年8月27日にライブを行った(飛び入りゲストで田辺も参加)。

以降も活動を続けており、2013年7月24日には21年ぶりとなる新譜もリリースした。

2013年10月、飯島が脱退。一時はギター新メンバー募集が告知され、実際にオーディションも行われたが、その後も新メンバーは加入していない。

2017年4月29日の東京公演をもって、松前がライブへの参加を終了(脱退はしていない)[7]

2018年2月12 - 17日、S.S.T.BANDから数えて30周年を記念した東名阪ツアー「Sanju Shunen Tour」を開催。大阪および名古屋公演では松前がゲスト出演、東京公演では初代ベースの小森・初代ドラムの田辺・2013年に脱退した飯島がゲスト出演した。また同年12月には、30周年を記念したCD&DVD-BOX『S.S.T.BAND -30th Anniversary Box-』がリリースされた。

2019年6月10日、熊丸が脱退[8]。新ドラマーに今井義頼が加入[9]

2021年、Blind Spotとしての10周年記念公演「Final Take Off」2Daysを告知し、その中でBlind Spotの活動終了を発表[1]。9月4 - 5日の公演をもって解散した。

解散後、斉藤が「斉藤TURBO昌人プロジェクト〜ひとりS.S.T.」と称し、2022年に活動を再開。Blind Spotからは森藤のみ参加し、3月19日にライブを行った。また並木も元メンバーの熊丸とユニット「熊並」にてライブを行い、セガ楽曲を演奏した。

作品

シングル

どちらもアルバム『BLIND SPOT』からのシングルカット。

オリジナルアルバム

  • 『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』1988年7月21日(ポニーキャニオン)
  • 『POWER DRIFT & MEGA DRIVE -G.S.M.SEGA 2-』1988年12月28日(ポニーキャニオン)
  • 『SUPER SONIC TEAM -G.S.M.SEGA 3-』1989年10月21日(ポニーキャニオン)
  • 『AFTER BURNER』1990年6月21日(ポニーキャニオン)
  • 『HYPER DRIVE -G.S.M.SEGA 4-』1990年7月21日(ポニーキャニオン)
  • 『Formula -G.S.M.SEGA 5-』1991年4月21日(ポニーキャニオン)
  • 『STRIKE FIGHTER』1991年8月21日(ポニーキャニオン)
  • 『Out Run』1992年2月21日(ポニーキャニオン)
  • 『BLIND SPOT』1992年4月29日(ポニーキャニオン)
    ゲームミュージックを含まないオリジナル楽曲のみのアルバム。
  • 『SEGA RALLY CHAMPIONSHIP 1995 -New Century Arrange Album-』2013年7月24日(キングレコード
  • 『Blind Spot II』2018年2月12日(自主制作)
  • 『BLIND SPOT III』2019年2月9日(自主制作)
  • 『BLIND SPOT IV』2020年2月15日(自主制作)
  • 『BLIND SPOT V』2021年3月6日(自主制作)

ベストアルバム

  • 『MEGA SELECTION』1989年12月15日(ポニーキャニオン)
  • 『MEGA SELECTION II』1991年12月15日(ポニーキャニオン)
  • 『BACK IN THE S.S.T.BAND!! 〜THE VERY BEST〜』2003年11月19日(サイトロン・デジタルコンテンツ

ライブアルバム

  • 『S.S.T.BAND LIVE!』 1990年10月31日(ポニーキャニオン)

その他アルバム

  • 『GAME MUSIC FESTIVAL 〜SUPER LIVE '92』1992年10月21日(ポニーキャニオン)
    「ゲームミュージックフェスティバル'92」より「S.D.I. MEDLEY (Blue Moon〜System Down)」「HYPER CITY」「I CAN SURVIVE」を収録。

ビデオ・DVD

  • 『S.S.T.BAND LIVE』1990年11月21日(ポニーキャニオン)
  • 『GAME MUSIC FESTIVAL '90 ZUNTATA VS. S.S.T.BAND』1990年11月21日(ポニーキャニオン)
  • 『S.S.T.BAND LIVE HISTORY』2006年9月20日(ハピネット
  • 『BLIND SPOT LIVE!』2013年2月27日(アトス・インターナショナル

その他

  • 『From Ula』1991年4月24日(自主制作)[6]
    渋谷TAKE OFF7で同日開催された、プライベートライブでのみ販売されたカセットテープ。60本限定。タイトルは同時期のアルバム『Formula』のアナグラムである[10]
    内容は各メンバーによる楽器講座やコント、各自のアレンジによるデモ楽曲、コンサートで使用されたオープニングSEなど。
  • 『ゲームミュージックライブ夏'93 〜公認海賊版カセット〜』1993年(ポニーキャニオン)
    サイトロンのノベルティで作られたカセットテープ(非売品)。「ゲームミュージックライブ 電撃 '93」より「EARTH FRAME G」「SWORD OF VERMILION」「AFTER BURNER」を収録。
  • 『From Ula 2』2017年2月24日(自主制作)
    2017年開催の東名阪ツアーおよび東京ゲーム音楽ショー2017以降に販売された、会場限定CD-R[11][12]
    内容は新アレンジ3曲および、『アウトラン』の仮想新作をイメージした森藤書き下ろしオリジナル曲[13]
    同年7月2日よりインターネット配信開始[14]
  • 『From Ula 3』2017年4月29日(自主制作)
    2017年開催のゲーマデリックアルバム発売記念公演「祝ってやるRe:birth」以降に販売された、会場限定CD-R[15]
    内容はライブ開始時のSE3曲、新アレンジ2曲、およびアルバム『BLIND SPOT』のデモ音源より2曲[15]
    同年7月13日よりインターネット配信開始。配信版のみリミックス1曲、カラオケ2曲を追加収録[16]
  • 『S.S.T.BAND -30th Anniversary Box-』2018年12月15日(ウェーブマスター
    結成30周年記念CD&DVD-BOX。過去に公式発表した全楽曲(スタジオ・アルバムライブ・アルバム、ノベルティカセットテープ含む)をリマスタリングしCD5枚に収録。また過去のライブ映像を中心とした映像をDVD1枚に収録。
  • 『From Ula 4』2019年9月14日(自主制作)
    2019年開催のライブ「Blind Spot 新入社員歓迎会」より販売された、会場限定CD-R[17]
    内容は新メンバー・今井義頼の生ドラムによる、既存曲の新録音バージョン4曲[17]

備考

  • 「アフターバーナーパニック」では林克洋もキーボードで参加していたが、S.S.T.BANDには参加していない[3]
  • ステージデビュー当初は全員サングラスをかけ、コードネームを名乗っていた。これは先に出来ていたアーティストのイメージ写真に合わせる必要があったためだが、他社からの引き抜き防止策の意味もあった[4]
  • ギターとキーボードが2人ずついるのは、セガ社員である並木(ギター)とHiro(キーボード)が仕事の都合でライブに出られなかったとしても、演奏ができるようにとの配慮から。しかし、活動期は最後まで6人が欠けることなくステージに立ち続けた[4]
  • 1990年のアルバム『AFTER BURNER』は、小森の脱退後・斉藤の加入前にレコーディングされており、ベースはJaco渡辺なる人物(渡辺陽一、郷ひろみバックバンドのベーシスト)が担当している[3]。S.S.T.BANDと関わったのはこの一作のみで、ライブには参加しておらずコードネームもない[6]
  • 光吉はセガの入社試験を受けた際、面接で「S.S.T.BANDをやりたい」と発言。後にそれが現実のものとなった[4]。また、Blind Spotより加入した森藤もS.S.T.BANDおよびセガの熱烈なファンである。

出典

関連項目

外部リンク


S.S.T.BAND

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 09:19 UTC 版)

「S.S.T.BAND」の記事における「S.S.T.BAND」の解説

1988年7月発売アルバムGALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』にてデビュー。ただしこの時は松前並木2人のみで、その2人も名は前面出していなかった。翌1989年2月セガイベントメガドライブ スパークリング1989」を東京名古屋・大阪で開催、そのステージでバンドとしてデビューを果たす。松前飯島小森田辺バンド誘いイベントパンフレットには松前含むこの4名のコードネームしか書かれていない)、それにセガ社員Hiro並木加わる編となった同年11月のMZA有明公演においては、7人目メンバーとして塚原ステージ立ったが、この公演のみの加入となったその後ライブ活動重ねるが、1990年に本来プログラマであった小森多忙のため脱退後任斉藤加入しアルバムHYPER DRIVE -G.S.M.SEGA 4-』にてデビューバンド同年開催ゲームミュージックフェスティバル'90で、ZUNTATAとともにステージ踏んだ。 翌1991年光吉Hiro入れ替わりキーボード担当Hiro自身は「遅刻多かったため交代させられた」と述懐)。さらに田辺気胸発症し代役として熊丸がドラム担当、のち正式メンバーとなる。1992年発売の完全オリジナルアルバムBLIND SPOT』からは、全員サングラス外し本名名乗る。 しかし、セガ所属レコード会社東芝EMIに移ることとなり、サイトロン・レーベルから離脱するにあたり1993年の「ゲームミュージックライブ 電撃'93」でのライブ最後に解散したその後セガは、1993年並木光吉によるユニットB-univ」を結成するも、翌年活動停止2001年には、Hiro光吉らによるオフィシャルサウンドユニット「H.」を結成している。また2003年ベストアルバム発売され10年ぶりにメンバー集結して座談会を行う(光吉不参加)。本来は再結成ライブ視野入っていたが、このとき再結成実現しなかった。

※この「S.S.T.BAND」の解説は、「S.S.T.BAND」の解説の一部です。
「S.S.T.BAND」を含む「S.S.T.BAND」の記事については、「S.S.T.BAND」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「S.S.T.BAND」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

「S.S.T.BAND」に関係したコラム

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「S.S.T.BAND」の関連用語




4
Energie band デジタル大辞泉
94% |||||

5
golden band デジタル大辞泉
94% |||||

6
premium band デジタル大辞泉
94% |||||

7
gom band デジタル大辞泉
90% |||||

8
ビー‐イー‐エフ デジタル大辞泉
74% |||||

9
ビー‐ビー デジタル大辞泉
74% |||||


S.S.T.BANDのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



S.S.T.BANDのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのS.S.T.BAND (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのS.S.T.BAND (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS