JR東日本の発足
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山手線に導入された6扉車(2003年2月2日) 車内広告が1社で統一されたADトレイン(2003年8月3日 高田馬場駅) 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線となる。 8月:アートコーヒーの主催によるイベント列車「RAIL TRAIN YAMANOTE」運転。 1988年(昭和63年)3月13日:京浜東北線で日中の快速運転を開始。京浜東北線と終日分離運転。 6月26日: 205系増備完了に従い、103系が山手線での使用終了。さよならイベントを品川電車区で実施。 1990年(平成2年)3月10日:6扉車サハ204形900番台試作車を1編成に2か所連結。6扉車は平日の朝10時まで座席を収納。 4月21日:翌年導入する予定のイオカード対応の自動改札機を東京駅・駒込駅に設置し、供用開始。以後、順次山手線各駅に導入される。 6月8日:6扉車で文字放送サービス開始。この年、山手線で初めて車内広告が1社で統一されるADトレイン運転開始(先頭車の正面にヘッドマークを掲出)。1995年に2編成あるうちの1編成のヘッドマークを変更(のちに再変更)。205系のADトレインの歴代ヘッドマーク4個はすべて消滅。 10月20日:国際鉄道安全会議を記念して「TECH TRAIN」を11月4日までの土・日曜日に運転。1日3往復で、運転終了後は池袋駅で展示された。使用車両は103系で、先頭車に京浜東北線から、中間車に埼京線からの車両を組み込んだ編成で運転された。車内にはJR東日本の安全への取り組みや鉄道に関する資料、模型などが展示された。なお、このときは山手線はすべて205系で運転していたため、2年4か月ぶりに山手線に103系が運転されることになる。 1991年(平成3年)12月1日:6扉車サハ204形0番台量産車の10号車への連結を開始し、一週間ほどで全編成が11両編成となる。11両化された編成の先頭車前面には「11CARS」のステッカーが貼り付けられたが、ステッカーは1997年までに全編成から取り外された。 1992年(平成4年)5月21日:全編成への転落防止幌設置を開始(翌年2月ごろまでに設置完了)。 8月1日:全駅で喫煙所以外での終日禁煙を実施。 1998年(平成10年)7月4日:東京圏輸送管理システム (ATOS) 使用開始。
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