F1撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:50 UTC 版)
リーマンショックに端を発する経済状況悪化により、2008年をもってホンダがF1から撤退。トヨタ本社も2009年3月期の連結決算で59年ぶりの赤字を計上したことから、年間数百億円の予算を投じるF1活動の見直しが囁かれるようになった。トヨタ傘下の富士スピードウェイはF1開催権の返上を表明し、ウィリアムズとのエンジン供給契約も打ち切りが決定した、 トヨタは2009年7月にコンコルド協定の延長案にサインし、2012年までは参戦継続することを表明した。しかし、同時期には本社役員会で撤退案が討議されるようになり、TMG社長ジョン・ハウェットと副社長の木下美明がマネジメント・バイアウト (MBO) を行い、トヨタから独立してチームを存続するプランも検討された。新チーム名の候補としては不死鳥を意味する「フェニックス」が挙がっていたが、最終的にトヨタはF1から完全撤退する道を選んだ。 最終戦アブダビGPから3日後の11月4日、記者会見において、トヨタ自動車の豊田章男社長が2009年シーズンをもってF1から撤退することを発表した。豊田自身、社長就任前には自らドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースに出場するなどモータースポーツ応援推進派として知られるが、記者会見では「社長になり立場が変わったところもあります」と口をかたく閉じ、苦渋の決断であることを窺わせた。また、記者会見に同席したチーム代表の山科忠は「一緒に苦労してきた仲間のことが頭をよぎるんです…」と涙を見せた。 一方で、FIAはトヨタのこの決定に法的な問題がないかを改めて調査する意向を示した。トヨタと同じく2009年限りで撤退するBMWはコンコルド協定にサインしていなかった。11月30日にFIAが発表した2010年のF1エントリーリストでも「TMGはコンコルド協定にサインしておりチームとして参戦する」と異例の注釈が付けられた。F1チームの連合体であるフォーミュラ・ワン・チームズ・アソシエーション (FOTA) は、FIA同様にトヨタの決定に「失望 (Disappointment) 」を表明したが、一方で大手自動車メーカーにとって厳しい経済状況であるという事に理解を示し、この8年間にわたるトヨタF1チームの貢献と活躍を称えた。 11月22日、トヨタモータースポーツフェスティバルが富士スピードウェイで行われ、今季限りの撤退が決まったトヨタのマシン (TF109) にヤルノ・トゥルーリと小林可夢偉が乗り、ラストランを行った。
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