60形(65)
62号と65号は京急の全身である京急電鉄デ29形の37号と34号として大正2年に天野工場で製造されました。戦時中、京急は昭和17年東急合併時に5100形に改善され、戦後の昭和23年にことでん入りしました。62号車は5年後の昭和28年に木造車体から今橋工場で新造された車体に乗せかえられました。車体更新当時は非貫通2枚窓でしたが、行先表示板の交換を容易にするため、昭和57年に貫通化されました。一方65号はTc車として旧70形72号を名乗っていたが、昭和35年に車体更新が行われたときに電装化が行われ、側面はバス窓を採用しました。長尾線で長く活躍してきたが平成6年の志度線分断時に同線に転属しました。 67号は昭和40年2000形220号を鋼体化・電装化された車両であるが、安価で更新が行われたため、窓枠に木造時代の名残りがあります。62号・65号や2000形230号に比べると扉の数や定員数が異なります。 平成14年の600形投入に伴い62・67号は廃車となり、65号のみが志度線で活躍しています。 |
60系
60形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 16:14 UTC 版)
元福井市内線専用デハ20形。のちに2両が連接車160形に改造され、鯖浦線用の車両となった。廃線時のさよなら運転を務めている。
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60形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 18:59 UTC 版)
1951年(昭和26年)日立製作所製の半鋼製ボギー車。各地に存在した東京都電6000形のコピー車両の一つだが、前照灯はオリジナルの前面窓下と異なり前面窓上に設置されていた。廃止後、4両は南海電気鉄道に譲渡され、同社和歌山軌道線の251形となった。集電装置をパンタグラフに変え、和歌山軌道線の多くの車両同様に前照灯を2灯化したが、同線の廃止により譲渡からわずか5年で廃車となっている。
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60形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 19:27 UTC 版)
元は開業当時の1形1 - 21号車から改造した32形を戦後改番したうちの10輌。1948年に富士車両で鋼体化改造されている。 車両番号構造車両定員(座席)全長(mm)全幅(mm)全高(mm)自重(t)車輪径(mm)主電動機ギア比駆動制御定格速度定格引張力台車製造所製造年備考60-69 半鋼 50(12) 8,840 2,180 - 8.2 762 17.4×2 68:15 吊掛式 直接式 20.3 620 ヘルマン 梅鉢車両 1909年 最後は62形が救援車として活躍、1967年廃車で、形式消滅。
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