5代目赤井君江とは? わかりやすく解説

5代目赤井君江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:41 UTC 版)

稲畑人形」の記事における「5代目赤井君江」の解説

現在は5代目赤井君江が伝統技術継承し人形製作教室開催するなどして、技術保存及び伝承取り組んでいる。 君江は、1934年昭和9年)に3代目赤井太郎直道の5女として生まれ高校生の頃から、父の人形制作手伝い始めその後小学校教諭として熱心な教育活動行いながら、稲畑人形制作情熱傾け1981年昭和56年)の神戸ポートアイランド博覧会実演1982年昭和57年皇太子夫妻の前での実演、この時、丹波へ来た当時皇太子から、『あなたは教師しながら伝統文化継承なさって、大変ご苦労でしょうが、がんばってくださいね』と声をかけられたことで、人形作り継承することへの志を強くする。 稲畑人形には『饅頭食い』という人形があるが、これは2つ割った饅頭持っている。これはお父さんお母さんのどっちが好きかと問われ子供が、饅頭ポン2つ割ってどっちも同じ味だからどっちも好きだ答えたことを表している。君江この人形の種(型をとる原型人形)を作った当時20歳になっていた次男幼い頃表情にたいへんも似ていた。君江は、次男には赤井家を継いで欲しいと願っていたが、10日たたないうちに、次男事故亡くしてしまう。涙も出ず茫然と1週間過ごしたころ、はっと我に帰り受け持ち教室戻ったところ、子供たちが『僕ら先生の子供になる』といって抱きついてきた。その時初め君江は涙を流す。君江子供たち愛しその成長を願う気持ちは、このときから一層強くなり、稲畑人形にも、深い感情より一層込められるようになったという。38年10か月教員生活ののち、稲畑人形教室主宰しその伝統を伝えている。 1985年昭和60年淡路くにうみ祭典」に出品のほか、多数博物館作品寄贈1994年平成6年氷上町重要無形文化財保持者兵庫教育文化研究所協力研究所員。「稲畑人形教室主宰2019年には、3月2日6日5日間、沼貫交流館丹波市氷上町)において、君江稲畑人形保存会、沼貫地区自治振興会主催により、「稲畑人形お雛祭り展」(神戸新聞社など後援)が開催された。稲畑人形だけを集めたひな祭り展は、初の試みであった君江制作稲畑人形氷上町稲畑の「香陽館」で鑑賞できる

※この「5代目赤井君江」の解説は、「稲畑人形」の解説の一部です。
「5代目赤井君江」を含む「稲畑人形」の記事については、「稲畑人形」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「5代目赤井君江」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「5代目赤井君江」の関連用語

1
稲畑人形 百科事典
36% |||||

5代目赤井君江のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



5代目赤井君江のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの稲畑人形 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS