5代目赤井君江
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現在は5代目赤井君江が伝統技術を継承し、人形製作教室を開催するなどして、技術の保存及び伝承に取り組んでいる。 君江は、1934年(昭和9年)に3代目の赤井若太郎直道の5女として生まれ、高校生の頃から、父の人形制作を手伝い始め、その後は小学校教諭として熱心な教育活動を行いながら、稲畑人形の制作に情熱を傾け、1981年(昭和56年)の神戸ポートアイランド博覧会実演、1982年(昭和57年)皇太子夫妻の前での実演、この時、丹波へ来た当時の皇太子から、『あなたは教師をしながら伝統文化を継承なさって、大変ご苦労でしょうが、がんばってくださいね』と声をかけられたことで、人形作りを継承することへの志を強くする。 稲畑人形には『饅頭食い』という人形があるが、これは2つに割った饅頭を持っている。これはお父さんとお母さんのどっちが好きかと問われた子供が、饅頭をポンを2つに割って、どっちも同じ味だからどっちも好きだと答えたことを表している。君江がこの人形の種(型をとる原型の人形)を作った当時、20歳になっていた次男の幼い頃の表情にたいへんも似ていた。君江は、次男には赤井家を継いで欲しいと願っていたが、10日もたたないうちに、次男を事故で亡くしてしまう。涙も出ずに茫然と1週間を過ごしたころ、はっと我に帰り、受け持ちの教室に戻ったところ、子供たちが『僕らが先生の子供になる』といって抱きついてきた。その時に初めて君江は涙を流す。君江が子供たちを愛し、その成長を願う気持ちは、このときから一層強くなり、稲畑人形にも、深い感情がより一層込められるようになったという。38年10か月の教員生活ののち、稲畑人形教室を主宰し、その伝統を伝えている。 1985年(昭和60年)淡路「くにうみの祭典」に出品のほか、多数の博物館に作品を寄贈。1994年(平成6年)氷上町重要無形文化財保持者。兵庫教育文化研究所・協力研究所員。「稲畑人形教室」主宰。 2019年には、3月2日‐6日の5日間、沼貫交流館(丹波市氷上町)において、君江や稲畑人形保存会、沼貫地区自治振興会主催により、「稲畑人形のお雛祭り展」(神戸新聞社など後援)が開催された。稲畑人形だけを集めたひな祭り展は、初の試みであった。君江制作の稲畑人形は氷上町稲畑の「香陽館」で鑑賞できる。
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