2016年 -初優勝-
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「琴奨菊和弘」の記事における「2016年 -初優勝-」の解説
2016年1月場所は、4日目の安美錦戦こそ際どい相撲だったが、順調に白星を重ね、中日には稀勢の里との58回目の対戦(武蔵丸 - 貴ノ浪とならび史上最多)に寄り切りで勝利すると、10日目に鶴竜、11日目に白鵬(全勝対決)、12日目には日馬富士と3横綱を圧倒し、優勝争いの先頭に立つ。3横綱連破は1991年初場所、霧島が旭富士、大乃国、北勝海を破って以来25年ぶりのことである。13日目に2敗で追う豊ノ島にとったりで不覚をとり白鵬と並んだが、14日目は栃煌山に勝って1敗を守り、自身の取組後に白鵬が稀勢の里に敗れたため、再び優勝争いの単独先頭にたった。千秋楽は豪栄道を突き落としで破り、2006年1月場所の栃東以来10年ぶり(59場所ぶり)の日本出身力士の優勝(帰化日本人を含めれば2012年5月場所の旭天鵬以来3年半ぶり)を決めた。なお、31歳11カ月での初優勝は、年6場所制が定着した1958年以降、霧島の31歳9カ月を抜いて旭天鵬、貴闘力に次ぐ3位の年長記録。初土俵から84場所での初優勝は、優勝制度が制定された1909年5月場所以降、隆の里に次いで6番目のスロー記録。新入幕から66場所での初優勝は、1909年5月場所以降、旭天鵬に次いで2番目のスロー記録。大関26場所目での初優勝は、昭和以降の新大関で、21場所の千代大海を上回る史上最スロー記録。佐渡ケ嶽部屋の優勝は2008年5月場所の琴欧洲以来14度目。二所ノ関一門も琴欧州以来。部屋別では九重部屋の52度が最多となっている。福岡県出身力士としての優勝は沖ツ海、魁皇に次いで3人目。32歳の誕生日の1月末に結婚式を行った。 3月場所は、今までの安定感の欠如から、高い水準での優勝、内容が求められる、という条件のもと、初の綱獲り場所となった。初日から先場所の勢いそのままに4連勝。しかし、5日目の隠岐の海戦で土俵際のはたきこみに屈して初黒星。中日まで7勝1敗と好調だったが、9日目からは稀勢の里、豪栄道、照ノ富士の3大関に敗れ3連敗で4敗、場所後の綱取りは消滅した。12日目に安美錦を破り勝ち越しを決めるも、13日目以降の3横綱との戦いはいいところなく全敗し、8勝7敗の成績で終えた。 5月場所は6日目までに格下相手に2回立合い変化を受けて2敗し、早々に優勝戦線から脱落。しかし12日目に横綱・鶴竜、13日目には大関・照ノ富士、千秋楽には大関・豪栄道を破り、最終的には10勝5敗だった。 7月場所は大関となって初の開幕4連敗スタート。5日目に同じく4連敗の御嶽海を破ってようやく初勝利を挙げた。しかし6日目に隠岐の海に敗れ5敗目を喫し、古傷の左膝などを痛めたため、翌日から日本相撲協会に「左膝内側側副靭帯損傷、左アキレス腱周囲炎のため約14日間の安静、加療を要す」との診断書を出して休場。7日目の魁聖戦は不戦敗となった。なお魁聖は2014年初場所の琴奨菊自身以来となる1場所2度目の不戦勝。秋場所は6度目の角番になる。大関角番6回は武双山に並ぶ歴代6位の記録。 9月場所は13日目にカド番を脱出するも千秋楽に豪栄道に敗れ全勝優勝を許し、9勝6敗で終えた。 11月場所前の11月4日、尾車部屋の九州場所宿舎で行われた二所ノ関部屋の連合稽古では、それまで182kgあった体重を173kgまで落としたにもかかわらず稀勢の里に馬力勝ちする場面もあり「ちょっとやせて、動きやすくなった。もうちょっとやせてもいいのかな。馬力もしっかり乗っているし」と本人も手応えを感じていた。しかし、11月場所は連敗が続くなどし11日目に横綱・日馬富士に下手投げで敗れ負け越しとなり来場所は歴代ワースト4位の7回目の角番となる。13日目に栃煌山に勝利し連敗は6でストップさせ、この場所は5勝10敗で場所を終えた。本来であれば千秋楽に稀勢の里との対戦が組まれるはずだったが、琴奨菊の不調もあり割り崩された。
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