2012年~2015年:数々の記録の達成
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「フランチェスコ・トッティ」の記事における「2012年~2015年:数々の記録の達成」の解説
2011-12シーズンはローマは15年ぶりに欧州のカップ戦への出場資格を失い、ルイス・エンリケは監督を辞任、新監督にはかつてローマを指揮した経験を持つゼーマンが13シーズンぶりに再び就任した。ゼーマンは自身の好む4-3-3のフォーメーションで、トッティを左ウィングとしての自由な役割でプレーさせようと試みた。その役割は13シーズン前のそれと比較的よく似たものであったが、加えてトッティは相手中盤へのプレッシングでボールを奪う役割を担うこともできた。既に36歳の誕生日を間近に控えた2012年9月2日のアウェーでのインテル戦で、アレッサンドロ・フロレンツィとダニエル・オスバルドの得点をそれぞれアシストし3-1での勝利に貢献、試合後には多くのメディアからの賞賛を受けた。9月26日のサンプドリア戦ではシーズン初得点を挙げてセリエA通算216得点とし、ジョゼ・アルタフィーニ、ジュゼッペ・メアッツァと並び歴代3位となった。その後10月21日のジェノアCFC戦で1得点を挙げ、単独3位に浮上した。 このシーズンはゼーマンの攻撃的なサッカーの下で順調に得点を重ねたが、チームとしては低調なパフォーマンスが続き、2013年2月の序盤にはゼーマンは解任され、クラブのテクニカルコーチであったアウレリオ・アンドレアッツォーリへと交代した。それでもトッティは活躍を続け、新監督の下で行われた2月16日のユヴェントス戦では決勝点をマークして1-0での勝利に貢献し、ローマはリーグに大きな衝撃を与えた。また3-1で勝利した3月3日のジェノア戦でPKを決め、セリエA通算225得点を記録してグンナー・ノルダールに並ぶ歴代2位タイとなると、3月18日のパルマ戦での得点でノルダールの記録を破り単独2位となった。4月8日の1-1で引き分けたラツィオとのローマ・ダービーでトッティはPKを決め、セリエAのローマ・ダービーでのゴール数を9とし、マルコ・デルヴェッキオの持っていた記録に並んだ。最終的にトッティは同シーズンで34試合に出場し、12得点12アシストを達成した。またローマはコッパ・イタリアの決勝に進出したが、決勝ではライバルのラツィオに0-1で敗れた。 2013年夏には新監督として前リールのリュディ・ガルシアが招聘され、再び偽9番として起用される機会が増加したが、時にはフォワードとして、また左ウィングとしてもプレーを見せた。2013年9月20日、ローマはトッティと新たな契約を結んだことを発表し、彼は39歳の誕生日を過ぎて2016年までクラブに留まることを発表した。3-1で勝利した9月16日に行われたパルマ戦にて、2013-14シーズン最初のゴールを決めた。続くインテル戦でも2得点を挙げて3-0での勝利に貢献し、チームは開幕から7試合全勝を維持した。 2014年2月14日には右臀部を打撲し、約一ヶ月の間ピッチを離れたが、3月17日のウディネーゼ戦にて復帰し、先制点を奪ってチームも3-2で勝利を収めた。その8日後のトリノ戦で、現役出場700試合を達成した。8ゴール10アシストの結果でシーズンを終え、同シーズンにおけるアシスト数1位をマークした。 2014-15シーズン、38歳の誕生日の3日後に行われた2014年9月30日のUEFAチャンピオンズリーグのグループステージのマンチェスター・シティ戦で同点弾を決め、大会史上最年長ゴール記録を更新した。この得点は同時に、プロキャリア300点目の得点でもあった。同年11月25日のCSKAモスクワ戦でも直接フリーキックで得点を挙げ、自身の記録を更新した(38歳59日)。 2015年1月11日には、地元のライバルであるラツィオとの対戦で2得点を挙げてローマダービーでの得点数を11とし、元ローマのディノ・ダ・コスタ(英語版)に並ぶ両チーム含めての1位タイに躍り出た。また、このゴールの際に見せた「自撮り」のパフォーマンスは大きな反響を呼んだ。 5月9日の2-1で勝利したACミラン戦では、ロベルト・バッジョの持つセリエAでのPKによる最多得点記録に並んだ(68)。同シーズン、10得点を記録して7度目となるチーム最多の得点数でシーズンを終えた。
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