2010年/不祥事による突如引退とは? わかりやすく解説

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2010年/不祥事による突如引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:58 UTC 版)

朝青龍明徳」の記事における「2010年/不祥事による突如引退」の解説

2010年1月場所は千秋楽前の14日目、日馬富士に1分13秒の大相撲の末下手投げ下して優勝決め、2場所ぶり25度目の優勝果たした。しかし千秋楽結びの一番では、白鵬寄り倒され13勝2敗の成績となった。特に本割での白鵬戦は7連敗となり(ただしその間優勝決定戦で2回勝利)、横綱同士での対戦成績としては男女ノ川双葉山喫したワースト記録並んだまた、これが結果的に横綱朝青龍として現役最後の一番となってしまう。 1月場所中の7日目1月16日未明泥酔して暴れ騒動起こした写真週刊誌報じられ、同1月場所千秋楽翌日1月25日に、日本相撲協会武蔵川理事長から厳重注意処分受けた。ところがそれから3日後の1月28日同日発売週刊新潮記事によるとその被害者は、当初名乗り出た一個人マネージャーではなかったことが発覚2月1日には、同協会の(理事選挙後の)新理事会で、調査委員会設置決まった被害者男性当初一般人報じられていたが、実際に半グレ集団関東連合)のリーダーであり、2011年知人男性暴行した傷害容疑で逮捕された。 2010年2月4日日本相撲協会理事会事情聴取受けた後、突如暴行問題責任を取る形で現役引退することを表明した同時に横綱審議委員鶴田卓彦委員長元日本経新聞社社長)からは横綱として初の「引退勧告書」が提出された。この引退表明大きく報じられ一部新聞では号外発行繁華街都市部配布されたほか、テレビ各局の同日夕方以降ニュース番組緊急特集組まれた。 高砂は「力士には怒って伸びる力士と、ダメになる力士がいる。朝青龍後者だ」と言ってトラブル続き朝青龍をかばい続けていたが、それが仇となった同じくモンゴル出身で、この日から事実上一人横綱となった白鵬同日中に宮城野部屋緊急記者会見開き、「事実ですけど信じたくない。まだやり残したことがあったと思う」と涙ながらに語るなど、先輩横綱突然の引退による衝撃をうかがわせた。次の2010年3月場所の大相撲番付表は、番付編成会議数日後ながらも横綱朝青龍四股名完全消滅し、東横綱に白鵬ただ一人の名前が記された。

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