2010年/不祥事による突如引退
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「朝青龍明徳」の記事における「2010年/不祥事による突如引退」の解説
2010年1月場所は千秋楽前の14日目、日馬富士に1分13秒の大相撲の末下手投げで下して優勝を決め、2場所ぶり25度目の優勝を果たした。しかし千秋楽結びの一番では、白鵬に寄り倒されて13勝2敗の成績となった。特に本割での白鵬戦は7連敗となり(ただしその間に優勝決定戦で2回勝利)、横綱同士での対戦成績としては男女ノ川が双葉山に喫したワースト記録に並んだ。また、これが結果的に横綱・朝青龍として現役最後の一番となってしまう。 1月場所中の7日目(1月16日)未明、泥酔して暴れる騒動を起こしたと写真週刊誌に報じられ、同1月場所の千秋楽翌日の1月25日に、日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意処分を受けた。ところがそれから3日後の1月28日、同日発売の週刊新潮の記事によるとその被害者は、当初名乗り出た一個人マネージャーではなかったことが発覚。2月1日には、同協会の(理事選挙後の)新理事会で、調査委員会の設置が決まった。被害者男性は当初は一般人と報じられていたが、実際には半グレ集団(関東連合)のリーダーであり、2011年に知人男性を暴行した傷害容疑で逮捕された。 2010年2月4日、日本相撲協会の理事会で事情聴取を受けた後、突如暴行問題の責任を取る形で現役を引退することを表明した。同時に横綱審議委員の鶴田卓彦委員長(元日本経済新聞社社長)からは横綱として初の「引退勧告書」が提出された。この引退表明は大きく報じられ、一部の新聞では号外も発行、繁華街や都市部で配布されたほか、テレビ各局の同日夕方以降のニュース番組で緊急特集が組まれた。 高砂は「力士には怒って伸びる力士と、ダメになる力士がいる。朝青龍は後者だ」と言ってトラブル続きの朝青龍をかばい続けていたが、それが仇となった。 同じくモンゴル出身で、この日から事実上の一人横綱となった白鵬は同日中に宮城野部屋で緊急記者会見を開き、「事実ですけど、信じたくない。まだやり残したことがあったと思う」と涙ながらに語るなど、先輩横綱の突然の引退による衝撃をうかがわせた。次の2010年3月場所の大相撲番付表は、番付編成会議の数日後ながらも横綱・朝青龍の四股名は完全消滅し、東横綱に白鵬ただ一人の名前が記された。
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