2010年のニューヨーク州知事選
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「ジミー・マクミラン」の記事における「2010年のニューヨーク州知事選」の解説
2010年のニューヨーク州知事選のために、マクミランは、民主党内で公認を得るための一次選手続を行い、「家賃がクソ高すぎる党」陣営に対しても行った。しかしながら、民主党への公認願いを得るための努力をほとんど何もしなかった。彼の名前が載った13,350の署名のうち大多数は、民主党への公認願いをマクミランと共同で行ったランディ・クレディコ(英語版)が集めた。クレディコは、投票用紙に名前を載せるために15,000票必要であったところ、二人合わせてトータルで20,000票越えにするために、マクミランに10,000票の署名を集めるノルマを積んだ。しかし、マクミランは最後まで行わず、両候補は一次選で勝つために必要な署名数がニューヨーク州法務官アンドリュー・クオモに及ばなかった。クレディコは仕返しに、マクミランのことを"jack-off"(→オナニー野郎)とか"sorry ass"(→情けないアホ)と罵り、「俺の邪魔をした」「荷馬車一台分の何も書いていない紙ペラを提出して、新車に乗ってアルバニーから出て行った」と糾弾した。マクミランは「家賃がクソ高すぎる」陣営が一次選で勝つために必要な署名の提出の手続きをした。そうすると州知事候補でない者が請願に含まれることになり請願は手続き上無効となる。しかし、請願には誰も異議を唱えなかったため、マクミランは投票用紙に何とか名前を載せることが認められた。 マクミランの人となりが非常によく表れた2010年の州知事選における討論会では、同性婚について「お前がクツと結婚したいって言うんなら俺はお前と結婚するぜってのが、家賃がクソ高すぎる党の意見だ。」と述べた。討論会の後、マクミランはメディアから非常に大きな注目を集めた。 マクミランは、41,129票(0.88%)を集め、候補者7人中5人目で終わった。得票の多くは"protest vote"(抗議としての投票)である。勝者アンドリュー・クオモ250万票、2位のカール・パラディーノ(英語版)140万票であった。マクミランの得票数は、リバタリアン党の候補者ウォーレン・レッドリッチ(英語版)と同程度(48,359票)、反禁止党(売春、マリファナ、同性婚の禁止に反対し銃所持の権利を支持する党)の候補者クリスティン・M・デイヴィス(英語版)(20,421票)の約2倍であった。 また、マクミランは、黒い手袋をはめていることに関して討論会で、「俺は退役軍人だ。俺がベトナムに二年半いて銅の勲章を3つ獲ったことを忘れるんじゃねえ。だけど、枯葉剤の化学物質、あのダイオキシンとかがいっぱい混ざったヤツだ、あれで病気になっちまった。俺が今晩、家に帰って、これを脱ごうとしたら、きっと息が詰まるにちげえねえ。よくわかんねえが、心理的なもんだろう。だけどとにかく俺はこれをはめるんだ。」と述べて話題になった。 マクミランの選挙戦をテーマとした長編ドキュメンタリー映画(「クソ!」(原題:DAMN!))も制作された。監督はアーロン・フィッシャー=コーエン、製作はクリスティアン・アルムグレン。ニューヨーク州知事選の選挙戦全体と選挙に敗れた直後の出来事を追ったドキュメンタリーで、アーカンソー州のリトルロック映画祭(英語版)やブルックリン映画祭(英語版)に出品されたが、2011年8月まで正式公開されなかった。
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