2010年の不祥事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 08:07 UTC 版)
「ハンリー・ラミレス」の記事における「2010年の不祥事」の解説
この出来事の発端となったのは、5月17日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でのラミレス自身のプレイだった。この試合でラミレスは、捕球しようとしたポテンヒットを足に当てた。その打球はレフトポール方向に転がっていったのだが、ラミレスがそれを全力で追いかけなかった為、ランナー2人が生還した。このプレイに怒ったフレディ・ゴンザレス監督(当時)は、懲罰としてラミレスをベンチに下げた。この怠慢なプレイに関してラミレスから謝罪がなかった為、追加的な制裁措置としてゴンザレス監督は翌日の試合を欠場させた。この制裁措置に対して、ラミレスが、自身はハムストリングを痛めて無理に出場しており、それがどういう事なのかはメジャーリーグでの試合出場経験がないゴンザレス監督には分からない、という旨の発言をした。更に、自分抜きでも、チーム(マーリンズ)が自分が出場している時のように試合出来る事を望む、とも発言した。このチームメイトを見下したかのような態度をメディアから非難された為、最終的にはラミレスが監督のみならずチームメイトに対しても謝罪を行う、という形で事態は収束した。 2011年は例年通り開幕から3番・遊撃手として起用されていたが、打率は2割台前半と不調が続いた。5月中旬から2番起用となったが、6月6日に腰の故障で15日間の故障者リスト入りした。6月14日に復帰。復帰後は4番を任されたが、8月10日に左肩の故障で15日間の故障者リスト入りした。9月5日に60日間の故障者リストへ異動。9月6日に左肩の手術を行うことが決定し、9月15日に手術を行い、そのままシーズンを終えた。この年は故障で92試合の出場にとどまり、打率.243、10本塁打、45打点、20盗塁だった。オフにラミレスとポジションの重複するホセ・レイエスが加入。ラミレスはレイエスの加入当時、「私は遊撃手だ」と話し、三塁手としてのプレーについて聞かれると怒っていたが、球団にトレード志願や契約内容の変更を求めず、オジー・ギーエン監督との会談を経て、「来年1月にはポジションの変更やそれ以外のことが起こるだろう。たとえ三塁手であっても私は大丈夫だ。勝つためにはどこのポジションでもするよ」と話した。 2012年は前年の手術の影響で年明けからリハビリを開始。その後スプリングトレーニングに参加。三塁手として21試合に出場し、3本塁打7打点2盗塁、打率.370と活躍。失策は1個のみを記録し、ギーエン監督も「我々は彼が多くの失策をすると思っていた。いつか遊撃手だったことを忘れるだろう」と絶賛していた。開幕後は三塁手として出場を続けたが、93試合の出場で打率.246、14本塁打、48打点、14盗塁に留まるなどラミレスの実力を考えれば今一つの成績だった。
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