2010年のデモ行進と2011年の政権交代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 14:03 UTC 版)
「2012年カタルーニャ独立デモ」の記事における「2010年のデモ行進と2011年の政権交代」の解説
2000年には国民党(PP)がスペイン議会総選挙で勝利をおさめ、ホセ・マリア・アスナール政権とカタルーニャ州政府の関係は険悪なものとなった上に、2000年代後半のバブル経済崩壊で政治基盤が弱体化し、カタルーニャ州は大きな公的債務を抱えるようになった。カタルーニャ州はスペイン有数の経済力を持つ自治州であるが、2008年のリーマン・ショック後には州の財政が悪化。2010年前半にはスペインを含むヨーロッパ諸国で欧州債務危機が起こり、中央政府は州政府に財政赤字削減策の遂行を要求した。カタルーニャ州が中央政府に支払う税金が州に十分に還元されていないとする不満が高まり、スペインからの独立を求める独立支持派が台頭した。 2010年7月10日にはカタルーニャ州バルセロナの中心部で、カタルーニャの自治の制限や、2006年のカタルーニャ自治憲章(英語版)改正の無効果や再解釈などに関する直近のスペイン憲法裁判所(スペイン語版)の決定に反対するデモが行われた(2010年カタルーニャ自治抗議参照)。地元警察はこのデモの参加者数を約110万人と、主催者は150万人と推定した。マドリードを拠点とする日刊紙のエル・パイスは、デモの参加者数を435,000人と推定した。デモ参加者数の報告に特化した民間企業のLynceは、デモ終了15分後の20時30分にある通りで参加者数を計測し、56,000人から74,400人と推定した。バルセロナ市長はデモの参加者数を「前例がない」と表現した。バルセロナに拠点を置く日刊紙のエル・ペリオディコ・デ・カタルーニャ紙は、「カタルーニャで起こった大規模な抗議行進のひとつであることは疑う余地がなく、おそらく最大のものだろう」と表現した。このデモはカタルーニャ語のスローガン「Som una nació. Nosaltres decidim.」(我々は国家だ。我々が決める。)の下で行われた。 2010年7月10日のデモがカタルーニャとスペインの関係の転機となったと分析するアナリストもいる。11月28日にはカタルーニャ州議会議員選挙が開催され、集中と統一(CiU)のアルトゥール・マスがカタルーニャ州首相に就任した。2011年5月には2011年スペイン議会総選挙が開催され、国民党(PP)が350議席中絶対多数の187議席を獲得してスペイン社会労働党(PSOE)から政権を奪取し、党首のマリアーノ・ラホイがスペイン首相に就任した。
※この「2010年のデモ行進と2011年の政権交代」の解説は、「2012年カタルーニャ独立デモ」の解説の一部です。
「2010年のデモ行進と2011年の政権交代」を含む「2012年カタルーニャ独立デモ」の記事については、「2012年カタルーニャ独立デモ」の概要を参照ください。
- 2010年のデモ行進と2011年の政権交代のページへのリンク