2010年のキングストン騒擾
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「クリストファー・コーク」の記事における「2010年のキングストン騒擾」の解説
2009年9月、アメリカ合衆国連邦政府(米政府)は合衆国内でのコークの麻薬取引容疑と武器取引容疑でジャマイカ政府に身柄引渡しを要求した。しかし、JLP党首でもあるブルース・ゴールディング首相は捜査段階におけるアメリカ国家安全保障局 (NSA) の違法盗聴を理由にこれを拒否したため、両国間の緊張が高まった。 しかし、米政府から「麻薬取引撲滅の取り組みに協力していない」との非難を受けたジャマイカ政府は2010年5月17日になりこの要求を受け入れ、コークへ逮捕令状を発行し、翌18日にはコークの弁護人を務めていたトム・フィンソン上院議員が「利益相反行為」を理由に弁護人の座を降り、23日にジャマイカ国防軍とジャマイカ保安隊、ジャマイカ警察の共同によるコーク逮捕作戦が開始された。 キングストン市チボリガーデン地区の熱狂的なコーク支持者はこれに抗議し、武装した上チボリガーデン地区にバリケードを築き、軍・警察の立ち入り調査を拒否し、さらに三つの警察署に放火した。24日にはコーク支持者と警察・軍との間では激しい銃撃戦がおき、同日未明にはキングストン市内に非常事態宣言が発令された。軍・警察は24日には1000人以上の人員を投入し、さらにはヘリコプターによる焼夷弾攻撃をも行い、27日までには4人の当局関係者と乳幼児を含む76人が死亡し、500人以上が逮捕拘留された。28日以降は衝突は沈静化した。
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