2009年以降の通貨安競争
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「通貨安競争」の記事における「2009年以降の通貨安競争」の解説
2009年、世界貿易量の約12%減という事態に象徴されるような深刻な経済沈滞に伴い、2009年までに通貨安競争の条件のうちいくつかは満たされていた。当時、先進国の間で、先進国の赤字の大きさが広く不安視されていた。先進国経済は、輸出主導の経済成長を最適な戦略とみなす中で、ますます新興国経済との関係を深めることとなった。国際協調が2009年のロンドンG20サミット(第2回20か国・地域首脳会合)によってピークに達する以前に、2009年3月には経済学者であるTed Trumanは競争的な為替切り下げの懸念を警告した最初期の人物のひとりとなった。彼はまた、"competitive non-appreciation (競争的非増価)"という言葉を作った人物でもある。2010年9月27日には、ブラジルのマンテガ(英語版)財務大臣も「世界は国際的な通貨安競争の真っただ中にある」と述べた。 数々の金融系ジャーナリストがマンテガの見解に賛同しており、例えば「フィナンシャルタイムズ」のAlan Beattie や「The Telegraph's」のAmbrose Evans-Pritchardが挙げられる。ジャーナリストはマンテガの見解をさまざまな国によってなされる、為替レート切り下げを意図した介入と結びつけた。このような介入を行っている国として、中国、日本、コロンビア、イスラエル、スイスなどが挙げられる。 CFA Instituteのジェームズ・リカーズは2010年以降、アメリカを発端として通貨安競争が発生し、2014年現在まで続いているとしている。2010年にはジョセフ・E・スティグリッツは、欧州やアメリカの欧州中央銀行(ECB)、連邦準備理事会(FRB)の金融緩和政策が世界経済に過剰流動性をもたらし、為替レートを不安定な状態に陥れているとしており、周辺国のブラジルや日本などの国々が打ち出した自国通貨高抑制の動きについて一定の理解を示す発言をしたものの、追加の金融刺激策は世界の需要不足によって生じた問題を解決できないのは明らかと指摘している。2013年にモスクワで開かれたG20財務相・中央銀行総裁会議において採択された共同声明においては、「通貨の競争的な切り下げを回避する」と明記され、通貨安競争を避ける方針で一致した。 2014年10月11日、アメリカのジェイコブ・ルー財務長官は、国際通貨金融委員会(IMFC)に対する声明を発表し、為替相場について通貨安競争を回避するとしたG7声明などの順守を強調した。2014年10月、ワシントンで開かれたG20財務相・中央銀行総裁会議では、ジェイコブ・ルーが通貨安競争をけん制する一方で、日本の日銀総裁や欧州諸国は自国通貨安による経済へのプラス面を強調し、認識にややずれがみられた。このような通貨安競争についてジェームズ・リカーズは、2012年時点で、通貨戦争が一過性のものではなく本格化していくと予想しており、ドル減価で世界が終わりなき通貨戦争へと至るとしている。 2018年に起きた米中貿易戦争では2019年8月に中国の人民元が2008年以来11年ぶりに対ドルで7元台まで下落したことを受けて26年ぶりの為替操作国認定が行われるなど通貨戦争が懸念されたが、2020年1月に米中が署名した経済貿易協定でG20のコミットメントを確認したことで通貨摩擦は休戦状態となった。
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