2009年再補選の結果不振
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「自由韓国党」の記事における「2009年再補選の結果不振」の解説
2009年4月の国会議員再選挙では、民心の動向を計れる意味において重要な地域である首都圏の仁川広域市富平区乙選挙区で民主党候補に、ハンナラ党の強固な地盤である慶尚道の蔚山広域市北区と慶州市でも進歩新党候補と親朴系無所属候補に破れ、全敗した。9月7日、朴熺太代表が10月に行われる国会議員再選挙に出馬するために党代表の座を退き、後任代表に代表選挙で次点だった鄭夢準最高委員が党憲・党規に基づいて就任した。その鄭代表が就任後の10月に行われた国会議員選挙では、慶尚南道梁山市で朴熺太が当選するなど、2箇所での勝利に留まり、民主党に惜敗した。 11月20日には、党結成12周年の記念式が行われ、趙允旋(チョ・ユンソン)報道官が「ハンナラ党は中道保守の代弁者としての場所を守り続けて来た。中産層を堅固にし庶民と交わる、頼もしい政党」になると述べたが、党内における親李系と親朴系の対立や、世宗市の建設問題などで党内葛藤が続いている中での式となったため、簡素に行われた。
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