2009年国連総会での演説とは? わかりやすく解説

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2009年国連総会での演説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 22:46 UTC 版)

ムアンマル・アル=カッザーフィー」の記事における「2009年国連総会での演説」の解説

態度軟化させたとはいえその特異な言動舌鋒衰え見せず2009年9月23日初め出席した国連総会では、ニューヨーク郊外ニュージャージー州遊牧民族伝統則りテント張り、そこを宿にした。 また一般演説席上国連安保理を「テロ理事会」と批判国連安保理常任理事国にのみ与えられている拒否権を、国連憲章前文謳われている加盟国平等に反するものと批判し演壇から国連憲章投げ捨ててみせ大国による体制批判したほか、「ターリバーン作りたかったのは宗教国家だったのだ。だったらバチカンのように作らせてやればいい。バチカンがわれわれ(ムスリム)にとって危険な存在だろうか」と発言。さらに「オバマがずっと執権ていればいい。オバマアフリカ息子であり私の息子でもある」、「ケネディ大統領暗殺されたのはイスラエル査察団を送り込んだため。調査した方がいい」「豚インフルエンザ2009年新型インフルエンザ)はワクチンを売るために人工的につくられたもの、ワクチン無料提供しなければならない」などと発言したカッザーフィー演説規定時間である15分を上回る1時間36分の長時間わたった。この演説に対してオバマ大統領ヒラリー・クリントン国務長官などは、はじめから退席イラン大統領マフムード・アフマディーネジャード途中で退席矢継ぎ早に言葉飛び出す長時間の演説に、国連アラビア語同時通訳士が疲れきり、途中で交代する場面見られた。 なお、この際国連憲章投げ捨てた行為は、2年後に同じ国連総会の場で、自らの政権打倒しリビア国民評議会マフムード・ジブリール執行委員会委員長暫定首相)によって批判されることになる。

※この「2009年国連総会での演説」の解説は、「ムアンマル・アル=カッザーフィー」の解説の一部です。
「2009年国連総会での演説」を含む「ムアンマル・アル=カッザーフィー」の記事については、「ムアンマル・アル=カッザーフィー」の概要を参照ください。

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