2代目・丸越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 11:54 UTC 版)
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)4月、旧丸越本店の大和武蔵店が譲渡されて軍需工場・大和航器が創業し、これを母体に戦後の1950年(昭和25年)に同地で衣料品の販売を開始し、1952年(昭和27年)7月に大和が武蔵店を閉店して事実上営業譲渡され、当社でほぼ全面的に使用可能となったため、同年9月に武蔵に商号変更して百貨店としての営業を復活させた。 そして翌年1953年(昭和28年)4月24日投票の第3回参議院議員選挙では、当社創業者林屋亀次郎が第4次吉田内閣の現役大臣として再選を目指したが、一時は大和の社長と会長として共同で経営していた井村徳二が対立候補として立候補し、林屋が大臣として決定を下した内灘試射場の用地接収を批判して組合を味方につけ、当時両者が経営していた百貨店名にちなんで「武蔵」と「大和」の内灘沖会戦と呼ばれた激しい選挙戦を繰り広げて、林屋を現職閣僚ながら敗れる波乱も起きた。 その年の9月に丸越に商号変更して、昔の名前である丸越百貨店としての営業を復活させ、1959年(昭和34年)11月に伊藤忠商事と資本提携、1962年(昭和37年)5月には名古屋鉄道とその関連会社の名鉄百貨店と資本提携するなど提携戦略を進めながら営業を続けていたが、1973年(昭和48年)8月にまず社名が金沢名鉄丸越百貨店に変更されて、法人としての丸越の名前は姿を消した。同年10月1日に市街地再開発事業で建設された武蔵ヶ辻交差点対面のスカイビルに移転して、現在の店舗での営業を開始するのと同時に、店名も金沢名鉄丸越百貨店に変更して、丸越としての歴史に終止符を打った。 金沢名鉄丸越百貨店となって以降については金沢丸越百貨店を参照。
※この「2代目・丸越」の解説は、「丸越」の解説の一部です。
「2代目・丸越」を含む「丸越」の記事については、「丸越」の概要を参照ください。
- 2代目・丸越のページへのリンク