1990年代 アプリケーション中心の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 13:42 UTC 版)
「分散制御システム」の記事における「1990年代 アプリケーション中心の時代」の解説
1980年代のオープン化の流れは、1990年代に入って、商用オフザシェルフ (COTS) コンポーネントとIT標準の採用によって加速された。この間の最も大きな動きは、UNIXからWindowsへの移行である。制御に近い部分はリアルタイムオペレーティングシステムが使われ続けたが、それ以外の部分は Windows に移行していった。 マイクロソフトがこの分野に進出してきたことで、OLE for Process Control (OPC) のような技術が開発され、それが現在ではデファクトスタンダードになっている。インターネット技術もこの分野で採用されるようになり、DCSのユーザインタフェース部分はインターネット接続がサポートされることが多くなっていった。1990年代には、複数の団体がこの分野のデジタル通信規格を争う「フィールドバス戦争」が発生した時代でもある。最終的にプロセスオートメーション市場のデジタル通信規格は Foundation Fieldbus と Profibus PA に収束していった。フィールドバスの機能を最大限に生かすため、以下のような業者が新システムを一から構築した。 ABB - System 800xA エマソン・エレクトリック(Emerson Process Management ) - DeltaV シーメンス - Simatic PCS7 アズビル - Harmonas-DEO しかし、COTSの影響はハードウェア部分で最も顕著だった。DCS業者は、特に入出力装置やコントローラといった大量のハードウェアを供給しており、それが主な収入源となっていた。DCS勃興期には、当然ながら大量のハードウェアが必要とされ、そのほとんどはDCS業者が一から製造したものだった。しかし、インテルやモトローラなどの業者の標準コンピュータ部品が増えるに連れて、DCS業者が独自にワークステーションやネットワークハードウェアなどを製造しても、コスト的に見合わなくなっていった。 COTSコンポーネントへの依存が大きくなるにつれ、DCS業者はハードウェア市場が急速に縮小していくことに気づいた。COTSは業者の製造原価を低減させるだけでなく、顧客からの価格低減要求に応じざるを得ない状況を形成した。PLCに強いロックウェル・オートメーション、シュナイダーエレクトリック、シーメンスといった業者はコストパフォーマンスに優れた製品をDCS市場に投入していった。従来からのDCS業者は最新の標準に基づいた新世代のDCSシステムをリリースし、結果としてPLCとDCSのコンセプトや機能が1つに統合される傾向が生まれた。 また、ハードウェア市場は飽和状態になりつつあった。入出力装置やケーブルなどのハードウェアの寿命は15年から20年である。1970年代から1980年代に実装された古いシステムの多くは今日でも使われ続けており、耐用年数に達しようとしているシステムが多数存在する。北米、ヨーロッパ、日本などの先進国は既にDCSが導入されていて新たな需要は少ないが、中国、中南米、東ヨーロッパなどでは需要が大きくなりつつある。 ハードウェアの売り上げが低下傾向にあるため、業者はハードウェア中心のビジネスモデルからソフトウェアや付加価値サービスを中心とするモデルへの移行を開始しつつある。各業者は1990年代に、生産管理、モデルベース制御、リアルタイム最適化、プラント資産管理 (PAM)、リアルタイム・パフォーマンス管理 (RPM) ツール、アラーム管理といった様々な機能を提供するようになっていった。しかし、これらのアプリケーションを本当に役立つものにするには、サービスコンテンツの充実が必要であり、業者らはそれにも取り組んできた。アズビルなどの業者は、顧客企業のオートメーションに関するあらゆる面に責任を持つ Main Automation Contractor (MAC) になるという手法にまで拡大して対応している。
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