1987 ラグビーワールドカップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/12 06:11 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年1月) |
このページの名前に関して改名が提案されています。 議論はこのページのノートを参照してください。(2015年3月) |
概要 | |
---|---|
開催国 | ![]() ![]() |
期間 | 5月22日 – 6月20日 |
出場国数 | 16か国 |
最終結果 | |
優勝国 ![]() |
![]() |
準優勝国 ![]() |
![]() |
統計 | |
試合数 | 32 |
観客動員数 | 604,500人 (1試合平均18,891人) |
最多得点選手 | ![]() |
最多トライ選手 | ![]() ![]() |
1991 →
|
1987 ラグビーワールドカップは、1987年5月22日から6月20日まで、ニュージーランドとオーストラリアの共催により開催された第1回ラグビーワールドカップ。この大会は両国の協会による招待大会として開催された。
タイトルスポンサーは国際電信電話株式会社(タイトルスポンサーは第1回のみ)。
招待国
まずIRBオリジナル国であるイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランスの5ヶ国に枠を与えた。ただし、南アフリカ共和国は、アパルトヘイトのため招待されなかった。
残る9ヶ国は、アルゼンチン、フィジー、イタリア、カナダ、ルーマニア、トンガ、日本、ジンバブエ、米国となった。一方で強豪とされていた西サモアなどが選出されず物議を醸した。また、当初招待国に入っていたソビエト連邦は、南アフリカがIRBから除名されないことに抗議し拒否した。
本大会一次リーグ
Pool 1
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 108 | 41 | 6 |
![]() |
3 | 2 | 0 | 1 | 100 | 32 | 4 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 39 | 99 | 2 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 48 | 123 | 0 |
Pool 2
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 82 | 31 | 6 |
![]() |
3 | 2 | 0 | 1 | 84 | 41 | 4 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 65 | 90 | 2 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 29 | 98 | 0 |
Pool 3
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 190 | 34 | 6 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 56 | 101 | 2 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 40 | 110 | 2 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 49 | 90 | 2 |
Fiji qualified for the highest number of tries (Fiji 6, Italy 5, Argentina 4)
Pool 4
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 2 | 1 | 0 | 145 | 44 | 5 |
![]() |
3 | 2 | 1 | 0 | 135 | 69 | 5 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 61 | 130 | 2 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 53 | 151 | 0 |
決勝トーナメント
準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
6月6日 - クライストチャーチ | ||||||||||
![]() |
30 | |||||||||
6月14日 - ブリスベン | ||||||||||
![]() |
3 | |||||||||
![]() |
49 | |||||||||
6月8日 - ブリスベン | ||||||||||
![]() |
6 | |||||||||
![]() |
16 | |||||||||
6月20日 - オークランド | ||||||||||
![]() |
3 | |||||||||
![]() |
29 | |||||||||
6月7日 - オークランド | ||||||||||
![]() |
9 | |||||||||
![]() |
31 | |||||||||
6月13日 - シドニー | ||||||||||
![]() |
16 | |||||||||
![]() |
30 | 3位決定戦 | ||||||||
6月7日 - シドニー | ||||||||||
![]() |
24 | |||||||||
![]() |
33 | ![]() |
22 | |||||||
![]() |
15 | ![]() |
21 | |||||||
6月18日 - ロトルア | ||||||||||
決勝
6月20日 15:00 NZT (UTC+12) |
ニュージーランド ![]() |
29-9 | ![]() |
イーデン・パーク, オークランド 審判: ケリー・フィッツジェラルド (オーストラリア協会) |
---|---|---|---|---|
Tries: Jones Kirk Kirwan Con: Fox Pen: Fox (4) Drop: Fox |
Report | Try: Berbizier Con: Camberabero Pen: Camberabero |
1987 ワールドカップ優勝国 |
---|
![]() ニュージーランド 初優勝 |
|
ラグビーワールドカップ1987
(1987_ラグビーワールドカップ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/09 15:28 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2015年1月)
( |
概要 | |
---|---|
開催国 | ![]() ![]() |
期間 | 1987年5月22日 – 6月20日 |
出場国数 | 16か国 |
最終結果 | |
優勝国 ![]() |
![]() |
準優勝国 ![]() |
![]() |
統計 | |
試合数 | 32 |
観客動員数 | 604,500人 (1試合平均18,891人) |
最多得点選手 | ![]() |
最多トライ選手 | ![]() ![]() |
1991 →
|
ラグビーワールドカップ1987は、1987年5月22日から6月20日まで、ニュージーランドとオーストラリアの共催により開催された第1回ラグビーワールドカップ。この大会は両国の協会による招待大会として開催された。
タイトルスポンサーは国際電信電話株式会社(タイトルスポンサーは第1回のみ)[1]。
招待国
まずIRBオリジナル国であるイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランスの5ヶ国に枠を与えた。ただし、南アフリカ共和国は、アパルトヘイトのため招待されなかった。
残る9ヶ国は、アルゼンチン、フィジー、イタリア、カナダ、ルーマニア、トンガ、日本、ジンバブエ、米国となった。一方で強豪とされていた西サモアなどが選出されず物議を醸した。また、当初招待国に入っていたソビエト連邦は、南アフリカがIRBから除名されないことに抗議し拒否した[2]。
区分 | 出場チーム |
---|---|
開催国 | ![]() |
![]() |
|
招待国・IRBオリジナル国 | ![]() |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
招待国・その他 | ![]() |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
プールステージ
プール1
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 108 | 41 | 6 |
![]() |
3 | 2 | 0 | 1 | 100 | 32 | 4 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 39 | 99 | 2 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 48 | 123 | 0 |
プール2
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 82 | 31 | 6 |
![]() |
3 | 2 | 0 | 1 | 84 | 41 | 4 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 65 | 90 | 2 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 29 | 98 | 0 |
プール3
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 190 | 34 | 6 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 56 | 101 | 2 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 40 | 110 | 2 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 49 | 90 | 2 |
フィジーは最多トライにより予選通過 (フィジー 6, イタリア 5, アルゼンチン 4)
プール4
Team | P | W | D | L | PF | PA | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 2 | 1 | 0 | 145 | 44 | 5 |
![]() |
3 | 2 | 1 | 0 | 135 | 69 | 5 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 61 | 130 | 2 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 53 | 151 | 0 |
決勝トーナメント
準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
6月6日 - クライストチャーチ | ||||||||||
![]() |
30 | |||||||||
6月14日 - ブリスベン | ||||||||||
![]() |
3 | |||||||||
![]() |
49 | |||||||||
6月8日 - ブリスベン | ||||||||||
![]() |
6 | |||||||||
![]() |
16 | |||||||||
6月20日 - オークランド | ||||||||||
![]() |
3 | |||||||||
![]() |
29 | |||||||||
6月7日 - オークランド | ||||||||||
![]() |
9 | |||||||||
![]() |
31 | |||||||||
6月13日 - シドニー | ||||||||||
![]() |
16 | |||||||||
![]() |
30 | |||||||||
6月7日 - シドニー | ||||||||||
![]() |
24 | 3位決定戦 | ||||||||
![]() |
33 | |||||||||
6月18日 - ロトルア | ||||||||||
![]() |
15 | |||||||||
![]() |
22 | |||||||||
![]() |
21 | |||||||||
決勝
6月20日 15:00 NZT (UTC+12) |
ニュージーランド ![]() |
29-9 | ![]() |
イーデン・パーク, オークランド レフリー: ケリー・フィッツジェラルド (オーストラリア協会) |
---|---|---|---|---|
Tries: Jones Kirk Kirwan Con: Fox Pen: Fox (4) Drop: Fox |
Report | Try: Berbizier Con: Camberabero Pen: Camberabero |
1987 ワールドカップ優勝国 |
---|
![]() ニュージーランド 初優勝 |
脚注
- ^ 小林深緑郎. “ラグビーワールドカップを巡る旅。 1987年NZ・オーストラリア共催大会。”. ラグビー共和国. 2016年1月21日閲覧。
- ^ Alexander Fedorets. “Russians target 2011 World Cup” (英語). The M&G Online. 2016年1月21日閲覧。
外部リンク
- ラグビーワールドカップ公式ウェブサイト(英語)(フランス語)(スペイン語)(日本語)
- ラグビーワールドカップ公式Facebook(英語)(フランス語)(スペイン語)(日本語)
- ラグビーワールドカップ公式Twitter(日本語)
- ラグビーワールドカップ公式Twitter(英語)
「1987 ラグビーワールドカップ」の例文・使い方・用例・文例
- 1987年のブラックマンデーショックは、ウォール街のみならず、世界中を震撼させた。
- 1987年のブラックマンデー以降、株式先物取引規制が強化された。
- わが社は1987年に設立されました。
- フランスの脚本家で、ギリシャ神話に対する再解釈で知られる(1920年−1987年)
- 米国のダンサー、映画俳優で、独創的で上品なタップダンスで知られる(1899年−1987年)
- 米国の作家で、人種差別に関する率直な批判者(1924年−1987年)
- フランスの原子物理学者で、物質の粒子が波状特性を見せることを示すことにより、波動・粒子の二重性を法則化した(1892年−1987年)
- 米国の作者で、貧困と衰退についての小説で知られる(1903年−1987年)
- イタリアの小説と短編小説の作家(キューバ生まれ)(1923年−1987年)
- 米国の神話学者(1904年−1987年)
- ヘンリー・フォードの孫(1917年−1987年)
- 米国のジャズミュージシャンでバンドリーダー(1913年−1987年)
- 1941年に明らかに英国と平和条約を交渉しようとスコットランドに単独で飛行したが、終身収監されたナチのリーダー(1894年−1987年)
- 米国の映画制作者で、米国で生まれ、1964年以降アイルランド市民となった(1906年−1987年)
- 米国の作曲家(オーストリア生まれ)で、いくつかのミュージカルでラーナーと協力した(1901年−1987年)
- 米国の脚本家で公務員(1902年−1987年)
- 英国の免疫学者(ブラジル生まれ)で、組織移植を研究し、移植片の不認可が免疫反応であることを発見した(1915年−1987年)
- スウェーデンの経済学者(1898年−1987年)
- 米国の生化学者(1891年−1987年)
- 米国の心理学者で、患者中心療法を開発した(1902年−1987年)
- 1987_ラグビーワールドカップのページへのリンク