1960年代後期およびモータウンへの移籍
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「フォー・シーズンズ」の記事における「1960年代後期およびモータウンへの移籍」の解説
1969年までに人々の興味はハード・エッジ、ソウル・ミュージック、世相に合った歌詞のロックに移行し、フォー・シーズンズの人気は下降していった。これを承知でボブ・ゴーディオはアルバム『The Genuine Imitation Life Gazette 』のためにフォーク・ロック・ソングライターのジェイク・ホームズとパートナーを組み、30代となったメンバーの見地からその年代に起こりうる出来事を課題にしたアルバムの製作を計画した。このアルバムのジャケットはジェスロ・タルの『Thick as a Brick 』より何年も前に新聞の1面を模したものであった。このアルバムは商業的に失敗となった。1970年、「フランキー・ヴァリ&4シーズンズ」としてフィリップスでの最後のシングル『Patch of Blue 』が発表されたがこれも成功しなかった。 フィリップスを離れ、イングランドのワーナー・ブラザース・レコードで1回限りシングルをレコーディングした。リード・トランペッターのジョン・ステファンはこの時のホーン・セクションの編曲をした。この曲は彼らがすでに確立していた新しいリズム・アンド・ブルースの分派を含め、フォー・シーズンズがいかに多才であったかを表現していた。このシングルはアメリカで発売されることはなかった。このシングルのA面は『Sleeping Man 』、B面は『Whatever You Say 』であった。このシングルの後、モータウンと契約したが悲惨な結果となった。1971年、モータウンの子会社モウエスト・レコードから1枚目のアルバム『Chameleon 』を発表したが失敗。1971年、モータウンからヴァリのソロ・シングル『Love Isn't Here 』、フォー・シーズンズの3枚のシングル『Walk On, Don't Look Back 』(1972年、モウエスト)、『How Come 』および『Hickory 』(1973年、モータウン)は全く売れなかった。全英シングルチャートで上位となった『The Night 』はアメリカでは1971年、ヴァリの曲としてプロモーションが行なわれただけでシングルとして発表されることはなかった。 1973年後期から1974年初頭、モータウンでの2枚目のアルバムに向けて8曲レコーディングを行なっていたが、レコード会社は発表を中止した。1974年後期、フォー・シーズンズとレコード会社は離別。フォー・シーズンズ・パートナーシップの取り分として当初ヴァリはフォー・シーズンズがモータウンでレコーディングした全曲の原版の購入を検討したが折り合いがつかず、『瞳の面影(My Eyes Adored You )』を4,000ドル(US)で購入できるよう試みた。ヴァリはプライベート・ストック・レコードの創設者でありオーナーのラリー・ユタにこの曲のテープを送るとユタはフォー・シーズンズの曲を繰り返し聴き、『瞳の面影(My Eyes Adored You )』をヴァリのソロ・シングルとして発表させることにした。1974年後期、フォー・シーズンズとしては未契約のままであったが、ヴァリは新たなレコード会社からソロとしてのキャリアを開始した。
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