1960年代末~1970年代:エレクトリック・サウンドの導入
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1969年にはブルーノートを離れ、ワーナー・ブラザース・レコードに移籍。『ファット・アルバート・ロトゥンダ(英語版)』(子供向けテレビ番組のサウンドトラック)では同時期のマイルスと同様に大胆にエレクトリック・サウンドを取り入れた。次作『ワンディシ(英語版)』では更にアフリカの民族音楽、ポリリズムに傾倒し、自らもスワヒリ語名でアルバム・タイトル同様の「ワンディシ」というニックネームを名乗る。 1972年にコロムビア・レコードに移籍[要出典]。また、同年グリネル大学より名誉博士(美術)の称号を授与されている。1973年に問題作『ヘッド・ハンターズ』を発表。本作は従来のジャズ・ファンの枠を超えて反響を呼び記録的に売上げるとともに大きな名声を獲得したが、当時のジャズ・ファンからは、ハービーも堕落したなど非難を受けることもあった[要出典]。エレクトリック・ピアノ/キーボードを専ら弾く彼に対する「もうアコースティック・ピアノは弾けないんだろう」との野次に対し、舞台上でピアノを用意させて演奏を披露、観客を納得させるなどという出来事もあった[要出典]。 1974年には、映画『狼よさらば』の音楽を担当して好評を博す。 1975年6月25日にザ・ヘッドハンターズとして広島で公演。その後、原爆被爆者に捧げるとして滞在先の広島市内でピアノに向かって徹夜で作曲し、翌日、ピアノ・ソロ曲「平和の街のために(英語: For the City of Peace)」を広島市に寄贈した。 1976年には、元マイルス・グループの黄金のクインテットと称された時期のメンバー(ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムス、フレディ・ハバード、ロン・カーター)を集めて、モダン・ジャズのグループ、「V.S.O.P.クインテット」を結成し世界中をツアーした。
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