フォー・シーズンズとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:07 UTC 版)
「フォー・シーズンズ」の記事における「フォー・シーズンズとして」の解説
1961年、フォー・シーズンズとしてゴーン・レコードから初めてのレコード『Bermuda 』/『Spanish Lace 』を発表したが、チャート・インしなかった。プロデューサーのボブ・クルーの所有するレーベルであるトピックスでバックグラウンド・ヴォーカルとして様々なグループと共に活動するようになった。クルーとゴーディオは話し合いを重ね、最終的にゴーディオは自分達のために『シェリー (Sherry )』という名の曲を書いた。レコーディングをし、フォー・シーズンズとクルーはレコード会社に売り込んだ。フランキー・ヴァリはヴィージェイ・レコードの西海岸セールス・マネージャーのランディ・ウッドと会い、ウッドは責任者に『シェリー』のリリースを提案した。これによりクルーは自身のプロダクション会社とヴィージェイは『シェリー』をリリースする契約を結ぶことができた。当時フォー・シーズンズはアーティストとしてクルーのプロダクションと契約していたのである。フォー・シーズンズはヴィージェイ初の白人アーティストとなった。 1962年、『シェリー』を収録したアルバム『Sherry & 11 Others 』を発表した。『シェリー』はフォー・シーズンズにとって初めてチャート入りしただけでなく、第1位を獲得した曲となった。プロデューサー/ソングライターのボブ・クルーの指導のもと、『シェリー』の後も『恋はヤセがまん(Big Girls Don't Cry )』(2曲目の第1位)、『恋のハリキリ・ボーイ (Walk Like a Man )』(3曲目の第1位)、『Candy Girl 』、『Ain't That a Shame 』などいくつかのミリオン・セールスを記録した。ドゥーワップの音楽性を大胆に取り込んだ曲は、ポップチャートばかりでなくR&Bチャートでも大きな成功を収め、ライチャス・ブラザーズとともに、ブルー・アイド・ソウルの草分けともいえる存在でもあった。1962年12月、ユニークな演奏でチャート入りした『サンタが街にやってくる』を収録したクリスマス・アルバム『The 4 Seasons Greetings 』を発表した。 1962年から1964年初頭、レコード売り上げにおいてアメリカではザ・ビーチ・ボーイズだけがライバルであった。ヴィージェイではホリデイ・シングルを除き、『ビルボード』誌のシングル・チャートで3曲連続第1位となった初めてのロック・バンドとなった。
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