フォー・シーズンズ以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:07 UTC 版)
「フォー・シーズンズ」の記事における「フォー・シーズンズ以前」の解説
1953年、フランキー・ヴァリの商業的初リリースは『My Mother's Eyes 』であった。翌1954年から1956年、ヴァリはトミー・デヴィート(およびリズム・ギターにハンク・メジャースキ、アコーディオンにフランク・カトゥーン、ドラムにビリー・トンプソン)と共にヴァリエーションズを結成し、何度かの改名を経てフォー・ラヴァーズとなった。1956年、初めてのレコード『You're the Apple of My Eye 』を発表し、『ビルボード』誌Hot 100のシングル・チャートで最高第62位となった。翌年までにRCAレコードからさらに5枚のシングルを発表したが、売り上げも伸びず、ラジオでもジュークボックスでも流れなかった。1957年、エピック・レコードから7枚目のレコードを発表したが状況は変わらなかった。 1956年から1960年、フォー・ラヴァーズとしてクラブやラウンジで演奏を続け、フランキー・タイラー、フランキー・ヴァレイ、フランキー・ヴァレイ・アンド・ザ・トラベラーズ、フランキー・ヴェイル・アンド・ザ・ロマンズ、ザ・ヴィレッジ・ヴォイスィーズなど様々に名を変え、様々なレコード会社からレコードを発表した。そのステージ・ネームは18にも及んだ。1958年、プロデューサーのボブ・クルーのもとでスタジオ・ミュージシャンとして活動を始めた(クルーはヴァリのソロ・シングル『I Go Ape 』を書いた)。同年終盤、フォー・ラヴァーズがボルチモアで演奏した際、同じステージにロイヤル・ティーンズ(英語版)も出演していた。ロイヤル・ティーンズは『ショート・ショーツ(英語版) (Short Shorts) 』の全米ヒットを持っており、これを他者と共同で作曲したのがロイヤル・ティーンズのギタリストで当時15歳だったボブ・ゴーディオであった。 翌年、フォー・ラヴァーズのニック・デヴィートの代わりにゴーディオが加入してキーボードとギターを兼ね、メジャースキの代わりにチャーリー・カレロがベース奏者として加入した。1960年、カレロが脱退してニック・マッシが加入した(カレロはその後アレンジャーとして戻ってきた)。メンバー・チェンジにより強化をはかったが、ニュージャージー州ユニオン郡のボウリング場のラウンジ演奏のオーディションに落ちた。ゴーディオによると、「この状況を脱する方法を考え、ボウリング場の名前から『フォー・シーズンズ』と名付けることにした」。フォー・ラヴァーズとして数年苦境に立たされていたが、これをターニング・ポイントとしてキーボード奏者で作曲家のボブ・ゴーディオとリード・ヴォーカルのフランキー・ヴァリはフォー・シーズンズ・パートナーシップを結成した。
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