1960年のブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 06:44 UTC 版)
1960年6月ごろから、若い女性を中心にブームの兆しが起こった。日本における玩具としては、1958年(昭和33年)のフラフープに続くブームとなった。ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになった。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」(平仮名表記で「だっこちゃん」とも)という愛称が与えられた。銀座の小松ストアー(後のギンザコマツ)のディスプレイに展示される、女子社員が腕にぶら下げて食事に出かけることなどで話題になり始め、テレビに登場した結果ブームに火がつき、大相撲夏場所の中継でテレビ画面の端にぶら下げた女性が映りこむと騒動になった。注文は大幅に増え、玩具店、デパートでは常に在庫切れとなった。定価の数倍で取引されることもあった。デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという。 当時のビニール人形の経済単位はせいぜい500ダース程度、3000ダースで大ヒットとされ、ダッコちゃんの当初の販売目標は2000ダースであったという。しかし実際には、発売から半年で真正品のみで240万個が販売される大ヒット商品となり、製造元の宝ビニール工業所がタカラ(現・タカラトミー)となる基盤をつくった。 同年夏には海水浴場において水着姿の若い女性が腕にぶら下げる姿や、1960年ローマオリンピックの日本代表選手が腕にぶら下げて羽田空港を出発する風景も見られた。玩具業界にあった「黒は夏の玩具に不向き」という概念を打ち破った。 製造が間に合わないほどの売れ行きを見せたこと、簡単な構造の商品だったことなどから多くの偽物が流通し、偽物を含めた出荷数は1000万個に達したと推定される。皮肉にもそのおかげで全国に「黒いビニール人形」は拡大し、1960年代を代表する玩具となった。本物の特徴として目に貼られた特殊なシール(レンチキュラー印刷)により見る角度によってウィンクすることがあげられるが、多くの偽物にはそれが無く、真贋の目安になった。1960年10月12日にはツクダヤがこのシールを単体で販売開始した。価格は3体分の目玉と糊のセットで80円。 大宅壮一は『週刊コウロン』(中央公論社)1960年8月2日号の記事においてダッコちゃんブームを黒人文化への関心の高まりによるものと分析し、その背景にはアメリカの進駐によりもたらされた白人文化へのレジスタンスがあるのだろうと論じた。 ブームによりソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発・販売された。しかし、ダッコちゃん自体のブームは日本国内では半年、国外輸出を含めても1年で沈静化しほとんどの商品は販売を停止した。
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