1960年の時代背景について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:53 UTC 版)
「1960年代のカウンターカルチャー」の記事における「1960年の時代背景について」の解説
1960年代はじめ、共産主義と資本主義のあいだの冷戦は、大国間でのスパイ活動や戦争の準備をふくんでいた。 大国は小国に対する軍事的、政治的な介入をおこない、これらの活動の失敗の一部から、大国の政府への幻滅と不信感とがひろがることとなった。たとえば、1968年のハンガリー動乱やチェコスロバキアの「プラハの春」などソ連の反共産主義デモに対する手荒い反応、それから1961年のキューバのピッグス湾事件でのアメリカのぶざまな失敗などである。アイゼンハワー大統領のまやかしは、1960年のU-2撃墜事件の真実に関するもので、政府は見えすいた嘘をつき、その時代のひとびとのあいだの権威に対する不信はますます高まっていった。 1963年の「部分的核実験禁止条約」(PTBT)は、政治的および軍事的なラインにそったアメリカのエスタブリッシュメントの意見をわけた。東南アジア条約機構(SEATO)、特にベトナムについての条約上の義務に関する政治的意見の不一致や他の共産主義勢力への対抗方法についての議論もまたエスタブリッシュメントのなかで意見の一致をみなかった。イギリスでは、売春婦クリスティーン・キーラーによる「プロヒューモ事件」がおこり、当時のマクミラン政権への幻滅がひろがって、リベラルな行動主義への刺激になった。 1962年10月、世界を核戦争の瀬戸際へと追いこんだキューバ危機は、、その大部分が二枚舌のスピーチとソ連の一連の行動によって助長された。また、 1963年11月のジョン・F・ケネディ大統領の暗殺とその事件に関する説明は、若者をふくむ一般のひとたちの政府への信頼をさらに低下させるものだった。
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