1960年の橋
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1960年(昭和35年)3月 に工費557万7千円を投じ、木造桁の冠水橋として架け替えられた。橋長185.8メートル、幅員3.6メートル。現在の橋のすぐ上流側に架設されていた。車幅制限は2.0メートルで重量制限は3.0トンでその旨を示す標識が設置されていた。道幅が狭いことから片側交互通行であった。 この橋は荒川橋とも呼ばれていた。この冠水橋は永久橋の開通に伴い撤去された。冠水橋の遺構や痕跡は残されていないが、北側の取り付け道路が現橋の側道として現存している。
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1960年の橋
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1957年、仮設橋から永久橋への架け替えが決定し、1960年 (昭和35年) 5月、竣工した。
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1960年の橋
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現在の西新井橋は交通量が増大したことと経年による橋の老朽化のため、戦後の荒川では四ツ木橋に次ぐ2例目の永久橋として国庫補助を受け、東京都建設局が事業主体となり、首都圏整備事業の一環として事業費7億4800万円を掛けて約80メートル下流の位置に架け替えられたものである。橋の施工は1956年(昭和31年)10月着工され、1960年(昭和35年)にかけて行なわれた。橋の設計は東京都建設局が行なった。施工は上部工を大林組、横河橋梁(現、横河ブリッジ)、および宮地鉄工所(現、宮地エンジニアリング)が担当した。また、下部工は主径間を井筒基礎、側径間を長さ15メートルの杭を2本繋いだ鉄筋コンクリート中空杭基礎の鉄筋コンクリート造りの逆T式橋脚で大林組により施工が行われた。架設地点周辺は軟弱地盤のため橋脚の基礎は主径間は地下35メートル、側径間は地下30メートルまで打ち込まれている。主径間の床版は軽量化のため鋼製のものを使用している。 橋は1961年(昭和36年)3月に開通(暫定開通)した。ただし、橋の両詰は民家が密集していて用地買収が遅れたため、左岸側取り付け道路は開通当初はまだ未着工で、1967年(昭和42年)においてもその計画は具体化されていなかった。
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