1960年の橋とは? わかりやすく解説

1960年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:57 UTC 版)

花園橋」の記事における「1960年の橋」の解説

1960年昭和35年3月工費5577千円投じ木造冠水橋として架け替えられた。長185.8メートル幅員3.6メートル現在の橋のすぐ上流側架設されていた。車幅制限2.0メートル重量制限3.0トンその旨を示す標識設置されていた。道幅が狭いことから片側交互通行であった。 この荒川橋とも呼ばれていた。この冠水橋永久橋開通に伴い撤去された。冠水橋遺構痕跡残されていないが、北側取り付け道路現橋側道として現存している。

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1960年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:16 UTC 版)

平和橋 (中川)」の記事における「1960年の橋」の解説

1957年仮設から永久橋への架け替え決定し1960年 (昭和35年) 5月竣工した

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1960年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 18:40 UTC 版)

西新井橋」の記事における「1960年の橋」の解説

現在の西新井橋交通量増大したことと経年による老朽化のため、戦後荒川では四ツ木橋に次ぐ2例目の永久橋として国庫補助を受け、東京都建設局事業主体となり、首都圏整備事業一環として事業費7億4800万円掛けて80メートル下流位置架け替えられたものである施工1956年昭和31年10月着工され1960年昭和35年)にかけて行なわれた。橋の設計東京都建設局が行なった。施工上部工を大林組横河橋梁(現、横河ブリッジ)、および宮地鉄工所(現、宮地エンジニアリング)が担当したまた、下部工は主径間井筒基礎、側径間長さ15メートルを2本繋いだ鉄筋コンクリート中空杭基礎鉄筋コンクリート造りの逆T式橋脚大林組により施工が行われた。架設地点周辺軟弱地盤のため橋脚基礎は主径間地下35メートル、側径間地下30メートルまで打ち込まれている。主径間床版軽量化のため鋼製のものを使用している。 1961年昭和36年3月開通暫定開通)した。ただし、の両詰は民家密集していて用地買収遅れたため、左岸側取り付け道路開通当初はまだ未着工で、1967年昭和42年)においてもその計画具体化されていなかった。

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