1954年ベルギーグランプリとは? わかりやすく解説

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1954年ベルギーグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 17:33 UTC 版)

 1954年ベルギーグランプリ
レース詳細
1954年F1世界選手権全9戦の第3戦
スパ・フランコルシャン (1947-1978)
日程 1954年6月20日
正式名称 XVI Grand Prix de Belgique
開催地 スパ・フランコルシャン
ベルギー フランコルシャン
コース 公道コース
コース長 14.120 km (8.774 mi)
レース距離 36周 508.320 km (315.855 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー マセラティ
タイム 4:22.1
ファステストラップ
ドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ
タイム 4:25.5 (13周目)
決勝順位
優勝 マセラティ
2位 フェラーリ
3位 マセラティ

1954年ベルギーグランプリ (1954 Belgian Grand Prix) は、1954年のF1世界選手権第3戦として、1954年6月20日スパ・フランコルシャンで開催された。

レース概要

当レースより前に開催される予定だったオランダGPがキャンセルされたため、ヨーロッパラウンド最初のレースとなった。

メルセデス新車はまだ登場せず、ファン・マヌエル・ファンジオは前戦(インディ500を除く)アルゼンチンGPに引き続きマセラティをドライブする。マセラティのワークスはファンジオの他、オノフレ・マリモン、セルジオ・マントヴァーニの3台体制。ノンワークスはスターリング・モスプリンス・ビラ、ロベルト・ミエレスがプライベーターとして参戦する。

フェラーリは、前月に行われたミッレミリアで負傷したジュゼッペ・ファリーナが復帰し、ホセ・フロイラン・ゴンザレスとともに553をドライブする。当レースからモーリス・トランティニアンがワークス入りを果たし、マイク・ホーソーンとともに625をドライブする。地元出身のジャック・スウォーターズはエキュリー・フランコルシャンから参戦する。

ゴルディーニジャン・ベーラに加え、地元出身のポール・フレールとアンドレ・ピレットの3台体制。

ランチア新車もメルセデス同様開発が遅れ、前年度チャンピオンのアルベルト・アスカリはこのレースも欠場となった。

36周で行われたレースは、ファンジオがポール・トゥ・ウィン、トランティニアンが2位、モスが3位となった。

エントリーリスト

当レースでは14台がエントリーされた[1]

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 ジャック・スウォーターズ エキュリー・フランコルシャン フェラーリ 500/625 フェラーリ Tipo625 2.5L L4 E
4 ジュゼッペ・ファリーナ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 553 フェラーリ Tipo554 2.5L L4 P
6 ホセ・フロイラン・ゴンザレス
8 モーリス・トランティニアン 625 フェラーリ Tipo625 2.5L L4
10 マイク・ホーソーン
12 ジャン・ベーラ エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 23 2.5L L6 E
14 アンドレ・シモン 1
16 ポール・フレール
18 アンドレ・ピレット
20 プリンス・ビラ プリンス・ビラ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
22 スターリング・モス スターリング・モス マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
24 ロベルト・ミエレス ロベルト・ミエレス マセラティ A6GCM マセラティ A6 2.0L L6 P
26 ファン・マヌエル・ファンジオ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
28 オノフレ・マリモン
30 セルジオ・マントヴァーニ
50 エマヌエル・ド・グラッフェンリード 2 バロン・デ・グラッフェンリート マセラティ A6GCM マセラティ A6 2.0L L6 P
ソース:[2]
追記

予選

ファンジオが1951年アルファロメオ・159で記録した4:25.0を上回る4:22.1のコースレコードでポールポジションを獲得した。ゴンザレスは1.5秒差の2位だったが、ハンドリングの改善に満足していた。ファリーナはマシンのセッティングが決まらず、ゴンザレスと2秒以上遅れて3位に終わった。

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 26 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 4:22.1
2 6 ホセ・フロイラン・ゴンザレス フェラーリ 4:23.6 + 1.5
3 4 ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 4:26.0 + 3.9
4 28 オノフレ・マリモン マセラティ 4:27.6 + 5.5
5 10 マイク・ホーソーン フェラーリ 4:29.4 + 7.3
6 8 モーリス・トランティニアン フェラーリ 4:30.0 + 7.9
7 12 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 4:34.5 + 12.4
8 18 アンドレ・ピレット ゴルディーニ 4:40.0 + 17.9
9 22 スターリング・モス マセラティ 4:40.8 + 18.7
10 16 ポール・フレール ゴルディーニ 4:42.0 + 19.9
11 30 セルジオ・マントヴァーニ マセラティ 4:42.0 + 19.9
12 24 ロベルト・ミエレス マセラティ 4:43.8 + 21.7
13 20 プリンス・ビラ マセラティ 4:46.5 + 24.4
14 2 ジャック・スウォーターズ フェラーリ 4:54.2 + 32.1
ソース:[3]

決勝

[1][4]

決勝は予選を走行した14台に加え、映画「ザ・レーサーズ英語版」の撮影用カメラを搭載したマセラティ・A6GCMをエマヌエル・ド・グラッフェンリードがドライブした。

スタートでファンジオが出遅れ、ゴンザレスとファリーナの先行を許す。ミエレスのマセラティが炎に包まれたが、ミエレスはマシンを飛び降りて軽いやけどを負っただけで済んだ。

トップに浮上したゴンザレスは1周目にコンロッドが折れてリタイアとなった。これでトップに立ったファリーナだったが、3周目にファンジオがファリーナを抜いてトップに立った。

10周目、ファンジオのフロントサスペンションが壊れてファリーナに再び先行される。しかし、14周目にファリーナのエンジンが壊れてリタイアとなり、あとはファンジオが冷静沈着な走りで逃げ切った。

フェラーリ加入後最初のレースとなったトランティニアンが2位、モスが3位に食い込み、ともに初の表彰台に立った。

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア グリッド ポイント
1 26 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 36 2:44:42.4 1 9
2 8 モーリス・トランティニアン フェラーリ 36 + 24.2 6 6
3 22 スターリング・モス マセラティ 35 + 1 Lap 9 4
4 10 マイク・ホーソーン
ホセ・フロイラン・ゴンザレス
フェラーリ 35 + 1 Lap 5 1.5
1.5
5 18 アンドレ・ピレット ゴルディーニ 35 + 1 Lap 8 2
6 20 プリンス・ビラ マセラティ 35 + 1 Lap 13
7 30 セルジオ・マントヴァーニ マセラティ 34 + 2 Laps 11
Ret 4 ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 14 イグニッション 3
Ret 16 ポール・フレール ゴルディーニ 14 エンジン 10
Ret 12 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 12 サスペンション 7
Ret 28 オノフレ・マリモン マセラティ 3 エンジン 4
Ret 6 ホセ・フロイラン・ゴンザレス フェラーリ 1 エンジン 2
Ret 2 ジャック・スウォーターズ フェラーリ 1 エンジン 14
Ret 24 ロベルト・ミエレス マセラティ 0 火災 12
ソース:[5]

注記

  • 車両共有 – 10号車: ホーソーン(20周)、ゴンザレス(15周)
  • 初表彰台: トランティニアン(2位)、モス(3位)
  • 初ポイント: モス(3位・4ポイント)、ピレット(5位・2ポイント。ピレットは当レースが唯一の入賞となった)
  • ファンジオはF1通算11回目のファステストラップを記録し、自身が持つ最多記録を更新した。
  • ファリーナは当レースが1954年のF1における最終出走となった。
  • ド・グラッフェンリードは映画「ザ・レーサーズ」の撮影のため、マセラティ・A6GCMを走らせた。

第3戦終了時点でのランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 ファン・マヌエル・ファンジオ 17
5 2 モーリス・トランティニアン 9
1 3 ビル・ブコビッチ 8
1 4 ホセ・フロイラン・ゴンザレス 6.5
2 5 ジュゼッペ・ファリーナ 6
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

  1. ^ a b Grand Prix de Belgique”. motorsportmagazine.com (2014年7月7日). 2017年6月14日閲覧。
  2. ^ Belgium 1954 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年8月15日閲覧。
  3. ^ Belgium 1954 - Qualifying”. statsf1.com. 2017年8月16日閲覧。
  4. ^ (林信次 2000, p. 98)
  5. ^ 1954 Belgian Grand Prix”. formula1.com. 2014年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。

参照文献

外部リンク

前戦
1954年インディ500
FIA F1世界選手権
1954年シーズン
次戦
1954年フランスグランプリ
前回開催
1953年ベルギーグランプリ
ベルギーグランプリ 次回開催
1955年ベルギーグランプリ


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