1944年8月-9月 第三十一戦隊
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「第二十二号海防艦」の記事における「1944年8月-9月 第三十一戦隊」の解説
1944年8月7日、ミ11船団(マニラ出港時9隻)の護衛に協力することとなり、同船団を護衛してマニラ発。12日、ミリ着。その後マニラへ回航。20日、連合艦隊第三十一戦隊に編入。23日、ダソル湾に退避したタマ24A船団の二洋丸(浅野物産、10,022トン)の救援のために、第三南遣艦隊の命で第102号哨戒艇とともにマニラから差し向けられた。2隻は8月23日18時前にマニラを出港したが、第22号海防艦は当時修理中であった。第102号哨戒艇も当時缶管の故障に悩まされており、8月23日も応急修理を実施していた。第22号海防艦と第102号哨戒艇はダソル湾口に到着後対潜警戒を実施していたが、夜が明けてから第102号哨戒艇が二洋丸を誘導するために湾内に入っていき、第22号海防艦は湾口において単艦で警戒を続けた。24日0647、第22号海防艦はソナーで探査中、水測室から「艦橋、敵潜探知、右艦首二〇度、感度三」と報告があり、同時にその方向にアメリカ潜水艦ハーダーの潜望鏡を発見した。第22号海防艦は「戦闘爆雷戦、前進強速急ゲ」と下令しハーダーの潜望鏡に艦首を向けて速力を上げた。ハーダーは向首する第22号海防艦目がけ魚雷を3本発射。第22号海防艦は命中を覚悟したが、魚雷は右に1本、左に2本と進んできたものの、いずれも第22号海防艦をかすめ去った。第22号海防艦は0728に潜望鏡が見えていた辺りの直上から爆雷を投射器から12個、軌条から3個投下した。ハーダーはこの攻撃で撃沈された。やがて攻撃地点から多量の噴煙や重油、コルク片が出てきた。この一連の対潜戦闘の間、第102号哨戒艇は二洋丸を誘導し、ダソル湾を出てマニラに向けて航行を開始しており、やがて戦闘を終えた第22号海防艦が合流して二洋丸の右舷側に張り付き、3隻は8月24日夕方に無事マニラに帰投した。27日、マモ02船団(4隻)を護衛して内地へ向けマニラ発。30日、中継地の高雄に入港。31日、引き続きマモ02船団を護衛して高雄発。五島列島沖でマモ02船団から分離して佐世保へ回航。 9月4日から佐世保海軍工廠で訓令工事を行う。工事終了後は第三十一戦隊の僚艦と訓練に従事。
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