1944年8月-9月 第三十一戦隊とは? わかりやすく解説

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1944年8月-9月 第三十一戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:46 UTC 版)

第二十二号海防艦」の記事における「1944年8月-9月 第三十一戦隊」の解説

1944年8月7日、ミ11船団マニラ出港時9隻)の護衛協力することとなり、同船団を護衛してマニラ発。12日ミリ着。その後マニラ回航20日連合艦隊第三十一戦隊編入23日、ダソル湾に退避したタマ24A船団の二洋丸(浅野物産10,022トン)の救援のために、第三南遣艦隊の命で第102号哨戒艇とともにマニラから差し向けられた。2隻は8月23日18前にマニラ出港したが、第22号海防艦当時修理であった第102号哨戒艇当時缶管の故障悩まされており、8月23日応急修理実施していた。第22号海防艦第102号哨戒艇はダソル湾口到着対潜警戒実施していたが、夜が明けてから第102号哨戒艇が二洋丸を誘導するために湾内入っていき、第22号海防艦湾口において単艦で警戒続けた24日0647、第22号海防艦ソナー探査中、測室から「艦橋、敵潜探知、右艦首二〇度、感度三」と報告があり、同時にその方向にアメリカ潜水艦ハーダー潜望鏡発見した第22号海防艦は「戦闘爆雷戦、前進速急ゲ」と下令ハーダー潜望鏡艦首向けて速力上げたハーダーは向首する第22号海防艦目がけ魚雷3本発射第22号海防艦命中覚悟したが、魚雷は右に1本、左に2本と進んできたものの、いずれも第22号海防艦をかすめ去った第22号海防艦は0728に潜望鏡見えていた辺り直上から爆雷投射器から12個、軌条から3個投下したハーダーはこの攻撃撃沈された。やがて攻撃地点から多量噴煙重油コルク片が出てきた。この一連の対潜戦闘の間、第102号哨戒艇は二洋丸を誘導し、ダソル湾を出てマニラ向けて航行開始しており、やがて戦闘終えた第22号海防艦合流して二洋丸の右舷側に張り付き、3隻は8月24日夕方に無事マニラ帰投した。27日マモ02船団(4隻)を護衛して内地へ向けマニラ発。30日中継地の高雄入港31日引き続きマモ02船団護衛して高雄発。五島列島沖でマモ02船団から分離して佐世保回航9月4日から佐世保海軍工廠訓令工事を行う。工事終了後第三十一戦隊僚艦訓練従事

※この「1944年8月-9月 第三十一戦隊」の解説は、「第二十二号海防艦」の解説の一部です。
「1944年8月-9月 第三十一戦隊」を含む「第二十二号海防艦」の記事については、「第二十二号海防艦」の概要を参照ください。

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