1944年9月 第十一海防隊-沈没
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「第五号海防艦」の記事における「1944年9月 第十一海防隊-沈没」の解説
1944年9月3日、モタ25船団護衛部隊3隻は高雄で編成中のタマ25船団の護衛に割り当てられることとなり、高雄行きを取りやめ基隆に回航されることとなった。本艦らはモタ25船団を基隆まで送り届け、4日高雄に入港。5日、第一海上護衛隊隷下に新編された第十一海防隊に編入。同日、タマ25船団(11隻)を護衛して高雄発。6日船団がアメリカ潜水艦の攻撃により損害を出したため、東港に退避。8日、引き続きタマ25船団を護衛してマニラへ向け東港発。9日、船団が再び損害を出したため、10日ラボック湾に退避。11日ラボック湾を出港したが、ビサヤ諸島が12日にアメリカ艦上機の空襲を受けていたため、マニラ直行をとりやめて13日にスービック湾で仮泊。14日にはサンタクルスへ退避することとなった。17日、アメリカ艦上機によるビサヤ諸島に対する空襲が終わったためスービック湾へ向けサンタクルスを出港し、同日スービック湾に入港。18日に同湾を出港し、同日マニラに到着した。20日、マタ27A船団(6隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。21日、スービック湾沖でアメリカ艦上機の空襲を受け、被爆し沈没した。海防艦長の桐山勝三少佐以下乗員10名が戦死し、さらに生存者のうち7名が収容先の艦上で死亡した。 1945年5月25日、第五号海防艦は第十一海防隊と第一号型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。
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