1944年9月 第十一海防隊-沈没とは? わかりやすく解説

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1944年9月 第十一海防隊-沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:58 UTC 版)

第五号海防艦」の記事における「1944年9月 第十一海防隊-沈没」の解説

1944年9月3日モタ25船団護衛部隊3隻は高雄編成中のタマ25船団護衛割り当てられることとなり、高雄行き取りやめ基隆回航されることとなった本艦らはモタ25船団基隆まで送り届け4日高雄入港5日第一海上護衛隊隷下新編された第十海防隊に編入同日タマ25船団11隻)を護衛して高雄発。6日船団アメリカ潜水艦攻撃により損害出したため、東港退避8日引き続きタマ25船団護衛してマニラへ向け東港発。9日船団が再び損害出したため、10日ラボック湾に退避11日ラボック湾を出港したが、ビサヤ諸島12日アメリカ艦上機空襲受けていたため、マニラ直行とりやめ13日スービック湾仮泊14日にはサンタクルス退避することとなった17日アメリカ艦上機によるビサヤ諸島対す空襲終わったためスービック湾へ向けサンタクルス出港し同日スービック湾入港18日に同湾を出港し同日マニラ到着した20日マタ27A船団(6隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。21日スービック湾沖でアメリカ艦上機空襲を受け、被爆し沈没した海防艦長桐山三少佐以下乗10名が戦死し、さらに生存者のうち7名が収容先の艦上死亡した1945年5月25日第五号海防艦第十海防隊と第一号型海防艦から削除され帝国海防艦籍から除かれた。

※この「1944年9月 第十一海防隊-沈没」の解説は、「第五号海防艦」の解説の一部です。
「1944年9月 第十一海防隊-沈没」を含む「第五号海防艦」の記事については、「第五号海防艦」の概要を参照ください。

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