1944年8月〜1949年:戦争末期〜戦後(野菜屑の雑炊、すいとん)
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太平洋戦争末期には、配給の米がほかの主食で代用されることが多くなり、闇米(食糧管理法に違反して取引される米)も最大で公定価格の50倍に跳ね上がった。こうなると米の使い道は「節米」などという生易しいものではなく、わずかの米とダイコンの葉、芋の蔓、ジャガイモの欠片などの野菜屑を大量の汁で煮た雑炊が基本だった。代用食には飼料用のトウモロコシ、油を搾った後の豆のかすまで用いられた。戦時中の食事として知られる「すいとん」が代用食として本格的に活用されるのもこの頃である。こうした食料事情は戦後さらに悪化し、日本がこの状況を脱するのは1949年(昭和24年)頃を待つこととなる。
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